初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

口絵カラー写真の作者

2020年09月29日 21時16分54秒 | Weblog


私が高校生時代に世間では

カラー写真が始まりました。

カラー写真といっても

今のように印画紙にプリント

されたカラー写真ではなく

撮影したカラーフィルムを

反転現像して紙枠にマウントした

ものでした…



最近では、カラーリバーサルと

呼ばれていました。

このカラー・リバーサルは

添付写真のように

スライド・ビュアーで見るか

スライド映写機に装填して

スクリーンに大きく映して

見るしかありませんでした。

… … …

カラー写真は

カラーリバーサルですから

スライド・ビュアーで覗くか

スライド映写機でスクリーンに

投射して見る以外は

雑誌などでカラー印刷された

ものしかありませんでした。

… … …

当時、不便なカラー事情の中、

「アサヒカメラ」のカラーで口絵写真

として、毎月、ヨーロッパの

風景を掲載していた石橋幹一郎さんとは

どのような人か私には謎でした。

… … …

この石橋幹一郎さんは、後に

ブリジストンの社長、会長になる人と

わかりました。






「アサヒカメラ」のカラー口絵写真

2020年09月27日 20時36分15秒 | Weblog


高校生時代の私は雑誌

「アサヒカメラ」を見始めました

当時の写真は銀塩フィルムで

モノクロ(白黒)全盛でした。

… … …

何時からか、カラー写真も

始まりました。

アメリカからコダックの

コダクローム(外式)や

エクタクローム(内式)が

入ってきましたが、

そのカラーフィルムは

日本では現像処理が

出来ませんでした

撮影済みのカラーフィルムは

現像処理のためにアメリカへ

送らなければなりませんでした。

… … …

写真雑誌「アサヒカメラ」に

口絵写真としてカラー写真が

毎月、1枚、掲載されました。

絵柄はヨーロッパの街並みや

風景でした。

当時、ヨーロッパの街並みが

珍しいのと、その写真が

カラーだったので余計、

すばらしい作品でした。

… … …

この「アサヒカメラ」の連載

口絵写真はかなり長く続いていました。

撮影者は石橋幹一郎とあります。

この作者がどういう人か

長い間わかりませんでした。



写真雑誌いろいろ

2020年09月25日 18時40分24秒 | Weblog


私の高校生時代になると

世の中は、何となく写真ブームが

始まりました。

私は、学校の写真クラブが発足して

趣味の写真がスタートしました。

… … …

写真の知識を深めるには

写真雑誌を読むのが、手っ取り早いです。

写真雑誌は戦前から続いている

「アサヒカメラ」から始めました。

… … …

世の中の写真ブームに乗って

新しく写真雑誌が創刊されました。

「サンケイカメラ」と「カメラ毎日」

「日本カメラ」です。

… … …

毎月、月刊写真雑誌が4冊も

発行されて、それぞれ

よく売れていたのですから

写真ブームはスゴかったのですね。


現像液の液温

2020年09月22日 22時43分07秒 | Weblog


撮影済みのフィルムをカメラから

取りだして現像します。

この現像処理を済ませるとはじめて

フィルムに画像が見えるようになります。

… … …

撮影されたフィルムは化学処理に

よって、画像がフィルムに定着します。

化学処理をする現像液を使うには

決められた温度に保つ必要があります。

この現像液を使用する温度のことを

液温(えきおん)と呼んでいました。

現像液の処方集には、20℃と記されていました

… … …

この20℃に決めた根拠を

探していくと…

当時のアメリカの室温らしいことが

判ってきました。

当時、わが家の冬や夏の

室温は20℃などではありません。

当時のアメリカの一般家庭の室温が

20℃だ…とは、すごいことだなあと

思っていました。


フイルム現像を始める

2020年09月19日 23時03分35秒 | Weblog


撮り終わったフィルムをカメラで

巻き戻して、撮影済みフィルムの

パトローネをダークバッグの中で

手探りで現像タンクの中枠にフィルムを

巻き付けます

… … …

ダークバッグの中で撮影済みの

フィルムを現像タンクの中枠に

手探りで、巻き込むのですが

その時、注意しないと

フィルムに指紋をつけたり

爪などで傷つけると大変です。

… … …

カメラ入門書やカメラ雑誌を

読みながらどうやら、

現像処理のコツが判ってきました。





私の写真人生スタート?

2020年09月16日 20時33分41秒 | Weblog


親父にオリンパス35Ⅳ型を

買って貰ったのと

学校の写真クラブへの

入部で、私の写真人生?が

スタートしました。

… … …

カメラで使う35㍉ネガフィルムは

親父が撮影所から貰ってくる

映画用ネガフィルムの切れっ端を

私はダークバックで、パトローネに

詰めて使うことになりました。

… … …

そして、撮影後のネガフィルムを

私はどのように現像していたのか

どうも、記憶が曖昧で思い出せません…

… … …

ノーベルトの現像タンクを使っていたのか

現像液、定着液をどうしていたのか?

当時、フィルム現像液はDー76(ディ ナナジュウロク)

と酸性硬膜定着だったことは覚えています。





私の新しいカメラ

2020年09月14日 19時39分37秒 | Weblog


ある日、わが家に来客が

ありました。

その日は、何故か親父と私が家に

いました。

お客さんは、座敷で

親父に「先生、お久しぶりです」と

挨拶されて、小さな箱を出しました?



その小箱にはカメラが

入っていました…

カメラはオリンパス35Ⅳ型

でした。

親父が私にこっそりと

買ってくれたのでした。



当時、オリンパス光学は

高千穂光学?(たかちほ)という

社名でした。

オリンパス35Ⅳ型は

35㍉フィルムで24×36の

ライカ判で

レンズは、ズイコー40㍉、F3、5

(テッサー型)、コパルシャッターでした。

フィルムは自動巻止めで

シャッターを切るとフィルムの

巻き上げができました。

シャッターは毎回セットする

形式でした。

私のためにカメラを届けて

くれたお客さんは

カメラチェーン店ムツミ堂の

社長でした

親父とこの社長は

どういう知り合い

だったのでしょう?







家庭用電化製品の登場

2020年09月12日 20時36分29秒 | Weblog


私らが銀閣寺道へ

引っ越してきたころから

世の中が少しずつ変わって

きました…

… … …

電化製品がボチボチ現れた

ころでした…

先ず、親父がフルーツでジュースを

作る、ジュースミキサー?を買ってきました

次に、トーストを焼くトースターが、来ました。

食パンを入れると、チーンと音が鳴って

こんがりと焼き上がったトーストが

飛び出してくる器具でした。



そして、いよいよ電気洗濯機が現れました

家庭の女性を重労働から解放するが謳い文句でした。

洗濯機には粉石鹸が使用されます。

洗濯用合成洗剤「ワンダフル」が登場します。

わが家の風呂場に洗濯機と洗剤

「ワンダフル」が備えられました


部活、写真クラブ

2020年09月09日 20時08分33秒 | Weblog


部活の写真クラブが出来たのは

確か私が高校1年生のころだった

と、記憶しています…

E上君のローライフレックスは

名機でしたが…

写真機屋の息子、N納君が

店から色んなカメラを

持ち出してくるのも

スゴかったです。



写真機屋の息子、N納君は

小西六(現コニカ)のパールRS

スプリングカメラを愛用するように

なっていました。

… … …

N納君の愛用のパールRSは

ブロニーフィルム半裁のセミ判で

レンジファインダー(距離計)の

カメラでした…



さて、私ですが

写真を撮るのは好きでしたが

クラブ活動をするほどの

熱心ではありませんでした。

私はとりあえず、浜松で

使っていたコダックベス単で

参加しました。



カメラ・ローライオートマット

2020年09月07日 20時27分28秒 | Weblog


浜松の学校から京都の学校へ

転校してきてから

私はクラスに馴染んで

親しい友人も何人かできました。

… … …

友人の1人、E上君がある日

学校のクラブ活動で写真部を

作ろうと、云ってきました。

先生の了解を得て、クラブは

出来ました。

… … …

新しく発足した写真部の

メンバーに四条寺町の

写真店の息子、N納君が

いました。

… … …

写真部を作ろうと云っていた

E上君は四条木屋町の

料理屋の息子で親父の愛用の

カメラ、ローライフレックス

オートマット(二眼レフ)を持って

きましたし、写真屋の息子のN納君は

店の売り物のカメラを、次々に

持ち出してきました。