初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

カラーテレビカメラの国産化

2017年06月30日 21時26分14秒 | Weblog


カラー番組が増えてきて

いよいよ,カラーカメラが足りなくなってきました

そしてカラーカメラの国産化が浮かび上がってきました



東芝、日立、池上がカラーカメラの製作に入りました

ABCはどうやら日電(にちでん=NEC)で

製作することになり、ある日、日電技術者と

わが制作技術部で会合がもたれました



初めての国産カラーカメラにはズームレンズ

対応ですが、フィリップスのカメラの電動ズームは

現場のカメラマンに評判が悪かったので

ズーミングはズームシャフトの押し引きの手動ズームで

ズームシャフトを回すとフォーカス調整を行うスタイルに

決まりました。

レンズメーカーは、白黒テレビカメラで実績のある

キヤノンがテーラーマウントのズームレンズを製作しました







カラーカメラのヤリクリ

2017年06月29日 22時12分29秒 | Weblog


毎日のテレビ番組は、モノクロ(白黒)番組が

ほとんどで,特別番組としてカラー番組が

編成されていました

カラー番組のときは、画面の下の方に

「カラー番組」とタイトルがスーバーインボーズ

されていました

… … …

カラー番組を作るのにはまず、

カラーカメラが必要です

フィリップスから輸入されたカラーカメラ

4台で、全カラー番組は作られました



カラースボーツ番組のブロ野球ナイターには

中継車でカラーカメラを甲子園球場へ運びました

公開バラエティ番組では

ABCホールへカラーカメラを持ち込み

テレビドラマ制作ではテレビスタジオへ

カラーカメラを運び込みました



毎週の番組制作スケジュールを睨みながら

カラーカメラをあち、こちへ運んで

いました…

… … …

カラー番組制作を始めたテレビ各局はどこでも

カラーカメラのヤリクリに大変だったことでしょう







フィリップスカラーカメラ来る

2017年06月28日 23時43分19秒 | Weblog


ABCテレビ局へオランダ、フィリップ社から

カラーカメラ4台が到着しました

イメージオルシコン管を使ったバカでかい

カラーカメラと違って、いままで馴染んできた

モノクロカメラとあまり違わない大きさでした

このカラーカメラを乗せるペディスタルドリーは

いままで使っていた、モノクロカメラ用に載せると

バランスがとれて,カメラの上下は手で軽く操作

できました



このカラーカメラの特徴は、レンズターレットを

廃止して、4本のビスで止めるズームレンズが

取り付けられていました。

レンズはイギリス、テイラー&テイラーホブソン社の

ズーム比、10倍でズーム操作はパワーズーム、即ち

電動スームで、パン棒に取り付けられたプリセットボックス

で行う方式で、馴れないせいか,一寸戸惑いました



レンズメーカーのテイラー社は、テッサータイプのレンズ

スピード・パン・クックを発表して有名になりました

このズームレンズの明るさ、開放F値(えふち)はT2(てぃーに)でした

このT絞りは,戦後、写真レンズがコーティングレンズになって

いままでのレンズの明るさを示すF値からT値になったことが

ありましたが、その名残でしょうか…









カラーテレビ放送の夜明け

2017年06月27日 20時47分03秒 | Weblog


カラー放送が日本でも

ぼちぼち始まりました

料理番組で、盛り付けが

鮮やかな出来上がりを眺めた

女子アナは

「カラーでお見せできないのが残念です…」と

云ったりしていました



朝日放送はイメージオルシコン管(撮像管)を

使ったバカでかいカラーカメラの導入に

一寸、消極的な感じでした

毎日のテレビ番組は白黒番組にまじって

カラー番組は多くなりませんでした



あるとき、業界ニュースに米国CBSテレビが

オランダ、フィリップスが開発した撮像管、

プランビコン管を使ったカラーカメラが素晴らしい

とありました。

… … …

プランビコン管を使ったカラーカメラの発色は

油絵のように鮮やかで濃厚な色彩で

これからのカラー番組はこのフィリップスの

プランビコン管のカラーカメラになるだろうと

予想されていました







カラーテレビ放送はじまる

2017年06月26日 21時15分43秒 | Weblog


日本でテレビ放送が開始されて

白黒テレビが普及してすぐに

カラー放送の実験が始まりました

やがて、カラー番組が各局で放送

されるようになると、テレビ画面の下の方に

「カラー放送」とスーバーインボーズ

されるようになりました



1964年(昭和39)の東京オリンピックの

開会式をテレビ制作技術局のRCA製カラー

テレビ受像機で観ました。

日本選手団の赤いブレザーが紺碧の空に映えて

美しい描写でした



やがて日本のテレビ界もNHKはじめ

東京のキー局ではカラー放送が徐々に始まったようです

白黒テレビはイメージオルシコン管を使ったテレビカメラで

始まりました

このイメージオルシコン管は感度も高く

白黒テレビでは問題がなかったのですが、

この撮像管3本を使ったカラーテレビカメラでは

色彩が淡泊というか,水彩画のような淡い描写でした

… … …

油絵のような,濃厚な色彩がどうしても再現できませんでした

この淡泊な色彩が災いしてか、テレビ界はカラー放送に

踏み切れなかったようでした








カラーテレビカメラに触る

2017年06月25日 21時47分43秒 | Weblog


家庭で見られる動画は白黒(モノクロ)で

色彩動画を観たければ街の映画館でと

白黒画面と色彩(天然色)画面が

何となく棲み分けができていました



テレビ界も次は、画面のカラー化にという

雰囲気になってきました

モノクロテレビで大活躍している

イメージオルシコン撮像管を3本使って

カラーカメラが作られるのですが

どうも色彩がピリッとしません。



私もカラーテレビのデモンストレーションの

番組で、一度カラーカメラ(レンタル?)を

操作したことがありましたが、兎に角,図体がバカでかく

アングルを調整するのに、パン棒に付いている

操作ボタンを押して、モーターでカメラを上下する

大変なカメラで、テレビのカラー化は難しいなと

感じていました。






テレビドラマは花盛り

2017年06月24日 22時21分41秒 | Weblog


「君たちは魚だ」桜木健一、石橋正次、

氾文雀(はんぶんじゃく),佐藤慶、

河原崎健三、渡辺美佐子、



「嫁ふたり」京マチ子、和泉雅子(いずみまさこ)

友竹正則(ともたけまさのり),浜田光夫(はまだみつお)


「嫁の縁談」安田道代(やすだみちよ)

小山明子(こやまあきこ)、藤巻潤(ふじまきじゅん)

沖雅也(あきまさや)


「嫁さこらんしょ」宇津井健(うついけん)

有馬稲子(ありまいねこ),長岡輝子(ながおかてるこ)



テレビ映画「必殺仕置人」藤田まこと、白木万里

菅井きん、さんらの出演で、太秦の松竹京都で

制作がはじまりました

… … …

私のテレビ局勤務で一番、ドラマ制作が多かった

時代です。私だけでなく、東京のテレビキー局でも

ドラマ制作が華やかでした…









作家、香川登志緒さん

2017年06月22日 23時07分52秒 | Weblog


香川登志緒さんと「信州そば」へ

ご一緒するとき、また、スタジオでドラマの

リハーサルに立ち会われるとき、

香川さんは歩きながら,ときどきズボンを

たくし上げておられます



あるときから,私は気になってきました

そばに居た,ブロデューサー氏が私に

「先生は身体を締め付けたり束縛するのが

嫌いなのだそうです…」と云っていました

… … …

香川登志緒さんは、仕立てのいい服装なのに

ズボンのベルトがありません。

身体に合ったズボンでもベルトが無いので,

どうしてもズボンが下がるのでしょう。

また、ネクタイは首を締め付けるのでダメ。

腕を締め付ける腕時計も勿論、ダメでした。



香川登志緒さんは,身体を締め付けるのは

なんでもダメなのですが、身体だけでなく、

精神的にも、よそから束縛されるのは

嫌いだったのかも知れません…





香川登志緒さんは洋楽ファン

2017年06月21日 23時08分43秒 | Weblog


放送作家で,漫才作家の香川登志緒さんが

洋楽レコード(LP盤)の収集癖があるとは

思っていませんでした

レコード棚がすっかり重くなって傾いてきたので

レコードの好きな人に差し上げると云われました



スタッフの中には,レコード愛好家も大勢いますから

私は、LP盤三枚いただきました

当時、新進レーベルのインパルス盤で、そのうちの

一枚は,クインシー・ジョーンズで、すっかり

恐縮してしまいました



香川登志緒さんは、クラシックの方もと,幅広い

洋楽ファンです。ベートーヴェンのピアノ協奏曲(皇帝)で

演奏がバックハウスとあるのを見て

そこの家、後へ下がれと大声で

「バックハウス!…バックハウス」と

叫んでいるようですねと、流石,漫才作家の

ギャグに大笑いしました









香川登志緒さんは洋楽ファン

2017年06月21日 23時08分43秒 | Weblog


放送作家で,漫才作家の香川登志緒さんが

洋楽レコード(LP盤)の収集癖があるとは

思っていませんでした

レコード棚がすっかり重くなって傾いてきたので

レコードの好きな人に差し上げると云われました



スタッフの中には,レコード愛好家も大勢いますから

私は、LP盤三枚いただきました

当時、新進レーベルのインパルス盤で、そのうちの

一枚は,クインシー・ジョーンズで、すっかり

恐縮してしまいました



香川登志緒さんは、クラシックの方もと,幅広い

洋楽ファンです。ベートーヴェンのピアノ協奏曲(皇帝)で

演奏がバックハウスとあるのを見て

そこの家、後へ下がれと大声で

「バックハウス!…バックハウス」と

叫んでいるようですねと、流石,漫才作家の

ギャグに大笑いしました