初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

ワープロの余波

2019年06月30日 21時06分20秒 | Weblog


ワープロが世間に広まって

小説家の原稿もワープロで作られるように

なってきました。出入りの出版社の編集者に

3、5吋のフロッピーディスクで渡したり

電話回線で原稿を送るようになってきました…

ワープロが普及するまで、小説は原稿用紙に

万年筆で書かれていました…

そして、書かれた原稿用紙のあちこちに

朱の訂正が入ったり、その作家の悪戦苦闘ぶりが

見られていたのに、ワープロの原稿になって

作家の苦心の跡がなくなりました

出版社の受け取り編集者には、作家の制作の過程が

判らなくなってしまいました…






大学の卒業論文もワープロで作られるようになつて

きました…

いままで、大学生の手書きの論文だったのが

ワープロで綺麗に印字されて、誰が書いたのか

判らないと、大学によってはワープロでプリントした

論文を認めない

学校もあったようでした…

いまは、どうなのでしょう…










「天声人語」をテキストとして

2019年06月29日 20時59分07秒 | Weblog


私のパソコンのOSはMSDOSマシーンで

現在のWindowsに比べて

メインメモリーも少なく、映像は

扱えず、インターネットも始まって

いませんでした…

ワープロソフト「一太郎4、3」で

文章を打ち込むだけでした

… … …

折角、ワープロ技能検定試験を

受けたのですから…

腕?が鈍らないように

毎日、キーボードを叩いていました

テキストは、朝刊の一面記事とか

800文字の「天声人語」などを

打ち込んでいました…





新聞記事に出てくる政治家の名前などを

変換辞書に新語登録してATOKを

使いやすくしててました

同時に、グラフィック?の「花子」で

近所の地図や、展覧会場の配置図など

作図して遊んでいました…










ワープロ機からパソコンへ

2019年06月22日 19時23分57秒 | Weblog


日電の16ビットコンピューターの

98(きゆうはち)シリーズは

日本語で文章を作る限り

独壇場?でした。

世界中で色々なパソコンが

使われ始めましたが

日本では、日電の98シリーズが

押さえていました…

… … …

私のパソコン歴はワープロ機で

始まったのですが…

いつの間にか、日電の98を使い始めて

いました…

パソコンの面白いところは、文章を作る以外に

表計算ソフトが使えたり、その他

図形を扱う、ソフト「花子」がありました







いままで使っていたワープロ機は

文章以外にその機械専用のアプリを

ダウンロードすると、簡単な表計算や

出来上がった表計算図表を文章の中に

貼り付けることも出来ていましたが

ソフトの切替えが何となく面倒くさくなって

パソコンのほうが、ソフトの切替えが

スムースなこともあって、

気が付いたらワープロ機よりパソコンを

使う時間が多くなっていました…








「汚職事件」と「お食事券」

2019年06月17日 21時25分49秒 | Weblog



私は、しばらくワーブロ機を使っていました

から、パソコンは久しぶりの対面でした

パソコンもBASICの時代は、それぞれ

プログラムを自分で作って遊んでいました






パソコンもDOS時代になって

アプリケーションが店に出回るように

なりました。私は早速、当時人気の高かった

ワーブロソフトの「一太郎4、3」を使い始めました

「一太郎」はパソコンのメモリーを拡張しなくては

なりませんでした。EMSを乗せたのですが

いまから思うと高価でした それに

外付けハードディスクが必要でした

… … …

「一太郎」の漢字変換辞書、ATOKは

快調にひらがな文を漢字交じりの文章に

変換してくれるのですが…ときどき、とんでもない

誤変換してくれました

新聞一面記事でよく「汚職事件」が

取り上げられていましたが、このATOKは

「おしょくじけん」と入力すると、なんと

「お食事券」と誤変換されます

これがなんともご愛敬でした…













ワープロソフト「一太郎4、3」

2019年06月11日 22時16分02秒 | Weblog


世の中、文章作成にワープロ機が

すっかり広がりました

若い新進作家は早速、小説を

ワープロ機での制作が流行りました

出入りの出版社編集者に作家は

3、5吋のフロッピーディスクで

渡していたようです…






パソコンもBASICマシーンから

DOSになって、

ワープロソフトが各社から出始めました

私は、NECの9821でスタートしました

ソフトは一太郎4、3で始めました

変換辞書はATOK6か7でした









英文タイプライターとワープロ機

2019年06月08日 21時00分58秒 | Weblog


このブラザーのピコワード、

ワーブロ機は手の届く値段で

登場しました…

と同時に、東芝、NEC、シャープ

ナショナル、日立などから

一斉にワープロ機が発売されました

… … …

当時、パソコンもなんとなく?

ありましたが、OSはBASICで

扱える和文がカタカナだけでした

MSDOSも始まっていたかも

知れませんが…

廉価で発売されたワープロ機は

扱える和文がはじめて、

漢字交じりのひらがな文が

プリントできたのでした…

… … …

当時、家庭に届く、電気代、ガス代

水道代の請求書の宛名がカタカナでしが

ワープロの登場によって、請求書、

領収書の町名、氏名が

はじめて漢字表記になりました…

… … …

ワープロ機のキーボードを叩くと

液晶ディスプレーに漢字交じりの

ひらがな文が表記されていきます

そして、プリントできます

それまで、キーボードから簡単に

文章が出来上がる、英文タイプライターが

私には羨ましかったのですが、新兵器

ワープロ機の登場で、和文もキーボードから

簡単に入力できるようにそして、簡単に

プリント出来るようになりました

私はすっかり、ワープロ機の虜になって

しまいました…






ブラザー製ピコワード

2019年06月05日 22時30分04秒 | Weblog


ワープロ機の最初は、大きな机くらい

大きな図体の代物でした…

やがてだんだん小型化されて

いくのですが、値段が高くて

趣味として簡単に手に入れられるような

ものではありませんでした…

… … …

大阪梅田の紀伊國屋書店の事務機の

売り場に、ブラザー製ピコワードと

名付けられたワープロ機が展示されて

いました…

価格がたしか7~8万円でした…

いよいよ、手近な処にワープロ機は

近づいてきました…

ブラザーはミシンのメーカーで

輸入のシンガーミシンに次いで

我が国の大手メーカーです…

そのメーカーが事務機の分野に

入ってきました…








憧れのタイピスト

2019年06月02日 21時43分37秒 | Weblog


ワーブロが普及する前は

事務機として和文、

英文タイプライターが

全盛でした。

街の経理学校でも

タイプライターの養成課目が

ありました。





会社の秘書課で、

タイプライターを扱うのは

綺麗な若い女性で

タイピストと呼ばれて

OLの憧れの職種でした

… … …

タイプライターは英文も和文も

書類を印字していって、最後に

間違うとまた、最初から書類を

作らなくてもならない不便な

機械でした…

英文タイプライターはアルファベッドが

26文字ですから、操作が楽ですが

和文タイプライターは、特殊な構造で

漢字を一つ一つ拾って印字していく大変な

機械でした…