初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

映画の台本

2009年03月31日 17時45分16秒 | Weblog
ジーパンの後ポケットに丸めた台本、首からストップウォッチを下げて、自転車で撮影所内を走り回る助監督さんは、映画青年の憧れでしょう…。

 その台本について記します。

 映画会社の企画部、製作部で制作が決定すると、脚本家から原稿が届きます。
 その原稿は、印刷所に送られて、和文タイプライターでタイピスト(死語?)で印刷原稿が打ち込まれます。

 出来上がった台本は、
 表紙の次に、美辞麗句で制作意図が記されています。

 制作スタッフ、キャスト、の名前か続きます。
 制作スケジュール、小道具表など、雑記もあります。

 主演の俳優さんの名前は、一頁一人で占領していました。

 台本の中身ですが、縦書きのタイプライターの文字が読みやすく美しいです。
 頁の上の方には、ト書き(とがき)が書かれています。

 「そこで××は、戸口を入っていく…」などです。

 そのト書きのしたに俳優さんのセリフが書き込まれています。

社運を賭けたオール・スター・キャスト作品の台本の表紙は豪華でした。

 製作部に届いた台本は、監督部、撮影部、録音部、照明部、俳優部、大道具、小道具、俳優事務など必要な数が配られます。

 台本が各部に配られたから予定通り映画制作が始まるかというと…。

 撮影第一日目の撮影が終わるまで分からないといわれています。一寸したことで、「お蔵入り」つまり制作中止になったことがありました。

 スタッフ、や俳優さんの台本は、赤や青の鉛筆で印をつけられて映画制作は進行してゆきます。

 明日はテレビの台本について…。




 

 



カタログの数値

2009年03月30日 17時59分33秒 | Weblog
  銀塩写真ではASA感度つまり、フィルムのスピードが気になります。
カラーフィルムも最初は感度が低く、ASA6,_ASA12,ASA32,ASA50,ASA80と速くなってきました。カラーネガフィルムはASA100になりました。

 この100という数字は私に安定して気持ち良く聞こえます。

 学生時代のテストは100点が満点で最高です。その響きが心に焼き付いていてASA100というと、安心するのかもしれません。

 私は、ASA100のカラーネガフィルム「リアラ」を愛用していました。柔らかい描写がとくに気にいっていました。

 コダックの白黒フィルム、トライ×は長くASA320でしたが、ASA400に変わりました。安全係数を切り詰めてきりのいい400にしたと雑誌で読みました。

 フィルムのASA感度は私にとって気になる数値です。

 DOS時代のコンピューターのハードディスクの容量は、20MBで値段が高かったです。EMSメモリーも7Mで結構値段がしました。

 今のVISTAの機械はCPUのスピードも速く、メモリーが2GBで、ハードデスクが160GBで夢のようです。外付けハードデスクの1TBを狙っています。

 21年前のソウルオリンピックにソニーがデジタルカメラ「マビカ」を新聞取材に提供するという記事がありました。

 気がつくと、周りはコンパクトデジタルカメラであふれています。
次の、CCD,CMOSの画素数が私にとってクローズアップしてきました。

200万画素、300万画素、600万画素と1000万画素を超えました。

 腕時計の石の数から始まって、新しいものが出るたびに、いろいろな数値がカタログに踊ります。

 カタログの数値にいつも気になる私にも困ったものです。



腕時計の石

2009年03月29日 17時22分15秒 | Weblog
  昔は中学生になると、万年筆と腕時計を入学祝いにもらいます。
腕時計は、うれしくて、毎日決まった時間にネジを巻きました。腕時計は今と違ってゼンマイ駆動ですから少しでも正確な時間どおり動いてもらおうと思っていました。

 時計はいろいろな歯車を軸受けて保持しています。金属の軸受けだと摩耗して、正確な時間が刻めなくなります。そこでルビーなど金属より硬い宝石で軸受けを作ります。その時計で使用している宝石の数を表わすのが石です。
17石、14石、10石などと呼ばれます。時計の文字盤に21Jewelなどと銘記されています。

 友人の持つ腕時計と石の多少を自慢したものでした。
まず、腕時計の石の数がその時計の優劣の見分ける方法として心に留めました。

 戦後しばらく経って、カメラ業界も活発になってきました。
少しでも明るいレンズをと業界は鎬を削っていました。ツァィスのゾナー50㍉、F1.5に対して、ニッコールはF0.1だけ明るい50㍉、F1.4のレンズを発表しました。

 早速、ツァィスからF1.5とF1.4の違いは何かなど文句がきました。
レンズの絞り値は算術的な計算です。レンズ口径と焦点距離の比率ですから、寸法が合っていればそれでよいのです。

 そのあと、ズノーF1.1、キャノンF0.95など、各社でレンズの開放絞り値の競争が続きました…。
 レンズの開放F値の明るさが私にとってレンズの優劣というか値打ちの尺度の一つになりました。

 LPレコードも普及してきますと、レコードを再生するHiFiアンプが問題になります。トランスメーカーの山水(サンスイ)から総合アンプが発売されました。

 当時、高出力の30Wの「マンモスアンプ」と呼ばれて話題になりました。

 技術雑誌には、家庭にそんな高出力のアンプは要らないしボリュームを絞って再生していては意味がない。また、音声出力のピークは意外に大きいからひずみの問題から高出力が良い…。その後、各社からいろいろな高出力のアンプが売り出されました。

 私には、アンプの出力が良し悪しの尺度の一つになりました。

       続く…。





浅見光彦

2009年03月28日 17時39分38秒 | Weblog
  エドガーアランポーの「モルグ街の殺人」からコナン・ドイルの「シャーロックホームズ」と読み進みました。短編ばかりでなく長編の「緋色の研究」「パスカビル家の犬」…も読みました。

 ストランド誌上で短編の「シャーロックホームズ」は大好評でした。
シャーロックホームズが悪人モリアーティ教授と滝の上の格闘で、滝に落ちて行きます。当時の読者から猛烈な投書でシャーロックホームズを奇跡的に生還させます。それほど、ホームズの人気はすごかったのでしょう。
 熱烈な愛読者はホームズの架空の住所、ベーカー街221Bの周りに集まるそうです。博物館やシャーロックホームズクラブもあります。シャーロックホームズが実在の人物として研究をしている人をシャーロキアンといいます。かって我が国の長沼××氏の論文が受け入れられてシャーロキアンとして認められたと新聞紙上で読みました。

「半七捕物帳」は、このシャーロックホームズの翻案でした。囲炉裏端で英国に名探偵が居るというくだりがあります。

 内田康夫の「使者の木霊」は乱歩賞に落ちて自費出版したところ、新聞紙上の書評で好評を得て、売れ行きが伸びたといいます。第3作目の「後鳥羽伝説殺人事件」で、浅見光彦が誕生します。内田康夫のテンポのいいストーリーの展開は浅見光彦のトラベルミステリーだと思っています。遅ればせながら、古本屋を漁って全部読みました。最新作「壺霊」も読みました。光彦は、永遠の青年で、後鳥羽伝説が82年ですから27年も33歳の独身で頑張っているわけです。

 軽井沢の内田康夫邸に浅見光彦の浅見光彦倶楽部ができて、浅見光彦の所持品などを展示する博物館もあるそうです。
 
 私は浅見光彦のファンです。


スナップショット

2009年03月27日 18時21分04秒 | Weblog
  天王寺美術館の帰り、久しぶりに近くの天王寺動物園へ行きました。園内では幼稚園の遠足で並んで記念写真を撮影していました。私の良く知っているいるカメラマンでした。

 彼は、その幼稚園の年間の行事は必ず記録を撮っていました。
春、秋の遠足、夏の七夕行事、など年間の行事の記録。入園式、卒園式、の記念写真なども撮影していました。

 彼の幼稚園のスナップ写真を見せてもらいますと、十人ぐらいのグループの写真
ばっかりで、一人や二人のショットの写真がありません。

 行事のスナップ写真が出来上がり、幼稚園内の壁に張り出されます。大勢のスナップ写真に混じって二、三人の大きく写した写真があると、それを見た保護者のママが、なぜ、家の子だけ大写しの写真がないのかと文句が出るそうです…。
  
 たとえ可愛らしく写っている写真ができても、壁に張り出さないというのです。
何ともつまらない撮り方ですが、仕方がありません。


 映画が完成すると社内試写会が行われます。映画会社の所長はじめ、会社側と、
スタッフ、キャスト(出演者)が勢ぞろいで完成試写会に参加します。
 無事、試写会も終わりますと、立食スタイルでおつまみやビールなどが出ることがあります。

 試写映画の主演級の俳優Aさんの付け人は、Aさんのアップのショットを数えています。そして、俳優Bさん(ライバルの)がAさんより××カット多いと、告げ口します…。

 また、映画の終り方は俳優Aさん、俳優Bさんのどちらのアップで終わるのかが話題になります。各映画会社は誰のアップで終わるかに気を使います…。

 テレビは最初は生放送で生ドラマでしたから、ドラマの終わり方にまで余裕がありません。映画のような伝統や習慣がありませんでしたから、ドラマ本位で最後の俳優さんのアップは誰で終わるかまで関心がありませんでした。ドラマ本位ですっきりしていました。

 最近のプロダクション制作のVTRドラマの場合はどうなのでしょう…。

 何時でも記念写真やスナップは、サイズも平等にして写さなくてはいけません…。


 


 

ゴルフ中継 下

2009年03月26日 18時54分39秒 | Weblog
  カラーカメラのファインダーの画面の大きさは写真のサービス判ぐらいの大きさでモノクロブラウン管です。かなり長い間、ファインダーの画面は白黒でした。
 カラーブラウン管のカラー映像だと、ピントが少し甘いのと、レンズのフォーカスの山が掴みにくいからです。

 ゴルファーはスポンサーから提供された衣装で現れます。事前にシャツはチェックの××色、スラックスは△△色、などを記したコピーがカメラマンに渡されます。午後に、衣装替えがあれば、選手名と衣装の詳細が記されたコピーがまわってきます。

 そのため、カメラもカラーブラウン管が搭載されるようになりました。ファインダー横の切り替えボタンで、白黒にもなりますし、カラーにもなるようになっています。

 選手の、衣装調べのときは、ファインダーをカラー映像に切り替えて確認します。
 プレー中は選手は掴まえられるのですが、ギャラリーと一緒の移動中や、他の選手のプレーを見ているリアクションの姿などは、カラー映像でなくてはつかまえにくいものです。

 番組が始まって、最終組が十八番に来るまでは午前中の成績や、VTRなどでつないでゆきます。

 大勢のギャラリーを従えで、最終組が十八番に現れました。

 十八番の第二打を終えるころは、大勢のギャラリーは選手の後ろからついてゆきます。
 最終日の最終組の十八番ホールは階段席ギャラリーと遠巻きの立ち見のギャラリーでいっぱいです。

 プレーオフなどになると、十七番からか、十八番だけか大会本部が決定を出しますから、最終組が終わっても十八番以外のところの機材を撤収することができません。

 プレーが終わると、早速、表彰式の準備に入ります。表彰式までの時間は、当大会のハイライトなどで時間をつなぎます。

 生の表彰式も無事、番組に入って終わりです。
 

ゴルフ中継 中

2009年03月25日 17時44分11秒 | Weblog
  カメラケーブルも張り終えて、テイグランドに一台カメラ、第二打、第三打の球の軌跡を追いかける高い櫓の上にもカメラが上がります。無線のハンディカメラも二、三台、用意されます。このハンディカメラは、ラフに入った球や、ウォーターハザード、バンカー、フェアーウェーを歩く選手を拾う、忙しいカメラです。全ホールにカメラは配置できませんから、午前中のホールでのホールインワンなどは主にこの無線のハンディカメラ班が拾ってゆきます。

 大会の予選で、全カメラを通して、解説者、アナウンサーも交えてリハーサルを行います。時間に余裕ができて、天候が良い日は番組の中で使える池の風景や、花などをインサートカットとして、また、番組スポンサー提供の賞品の自動車などをVTRに撮っておきます。

 リハーサルや打ち合わせが終わりますと、櫓の上のカメラをはじめ、全カメラのケーブルを外します。不意の雷を避けるためです…。
 

 ティーグランドに一台カメラが置かれます。ティーショットを拾います。かなり選手に近い場所にカメラを置きます。アマチュアの場合はとても危なくて置けないな接近した場所でもプロ選手の場合はまず安全です。そしてプロ選手の球の飛び方はだいたい同じコースをたどってゆくものです。

 球がフェアウェイに飛んでいくのを櫓のカメラが追いかけます。球が着地すると、ティーのカメラで選手の大写しの顔に戻ってきます。

  ゴルフ生番組は、たいてい午後です。午前中のプレーはVTRで撮ります。

 十六番、十七番、十八番、ぐらいが生で番組に入ります…。

ゴルフ中継 上

2009年03月24日 18時04分29秒 | Weblog
 ゴルフ場の下見も済んで、打ち合わせも終わって、ゴルフの中継放送の準備日が決まります。クラブハウス付近に放送センターがプレハブで設営されます。NTTに申請して連絡用の臨時専用回線、電話線を引いてもらいます。
高い場所からカメラの俯瞰撮りができるような櫓もあちこちに設営されます。

 事前にゴルフコースの説明用に別班でヘリコプターからコース全体のVTRを用意します。

 放送センターの隣に中継車を持ってきます。中継車でカメラ調整を行ってカメラの映像を放送センターに入れます。
 放送センターには、解説者の元ゴルファーとアナウンサーの席をセットされます。二人のパックは青色か緑色に塗られた壁面があります。この青または、緑色で二人の出演者をワイプして、ゴルフ場の景色を重ねるとお馴染みの画面が出来上がります。クロマキーという手法です。

 各ホールの櫓から放送センターまで、カメラケーブルを張ります。
 昔は、大蛇のような太い78芯のケーブルでしたが、まもなくトライアクシャルという細いケーブルになりましたからセッティングが楽になりました。

 中継の準備でカメラケーブルだけを一応張り終えて帰りました。
翌日、カメラケーブルを見ると、歯形が三つある動物に齧られています。
まさか、ケーブルを齧られるとは思っていませんでしたから…。

 ゴルフ場で聞くと、芝生でCM撮影があり、リスをたくさん使いました。行方不明がかなりありましたから、そのリスト違いますかという返事ですが本当のところは分かりません…。

 千葉県のゴルフ場で、VTR撮りの最中に雷が鳴りだしました。皆避難するようにいわれました。そのゴルフ場は、雷の銀座通りで、あぶないところらしいのです。

 やがて、櫓のカメラに雷が落ちました。それを見ていたスタッフの一人は、桃色の光がケーブルを走ってゆきましたといいます。
 その桃色の光は、中継車に吸い込まれました。カメラコントロール卓の電源装置を直撃して、何台かのカメラの電源が駄目になりました。

 それ以来、カメラを使用しないときはカメラケーブルを外すことになりました。

 また、ゴルフ場のリスも注意しなくてはならなくなりました。




  

エラリークイーン

2009年03月23日 18時42分21秒 | Weblog
  学生生活が終わって就職するまで間、ミステリーに凝りだしました。
 SSヴァンダインの衒学的な名探偵フィロ・バンスの「ベンスン殺人事件」「僧正殺人事件」からFWクロフツの「樽」など次々と読んでいきました。

 アガサ・クリスティーの「アクロイトゲ殺し」のトリックには唖然としました。まだ、読んでおられない方は是非お勧めします。

 エラリークイーンの「Xの悲劇」「Yの悲劇」「Zの悲劇」「ドルリー・レーン最後の事件」など。私は「Yの悲劇」が傑作だとおもいます。これから読んでみようと思う人は、X,Y,Zと順番に読まれることをお勧めします。

 当時の日本で米国のEQMM(エラリークイーンミステリーマガジン)が翻訳されて出版されることになりました。創刊号から毎月が待ち遠しいくらいでした。EQMMで欧米の推理小説の事情がよく分かりました。このEQMMは好調だったのか、「アルフレッド・ヒチコック・マガジン」も出版されました。

 このEQMMのエラリー・クイーンは二人の作者でした。欧米では二人の作者の合作が数多くあります。

 日本も「焦茶色のパステル」で江戸川乱歩賞を二人で合作、岡嶋二人というペンネームの作者が現れました。日本のエラリークイーンと期待していたのですが、別れてしまいました。
 
 どらえもんなどの作者、藤子不二夫も二人です。

 このほか、コーネル・ウールリッチの「幻の女」「黒衣の花嫁」、 ジェームス・スチュワート、グレース・ケリーで映画になったヒチコックの「裏窓」が好きでした。

テレビのカムヘッド

2009年03月22日 18時12分06秒 | Weblog
  運動会の徒競争でわが子をズームレンズの望遠側でフォローする場合、三脚のヘッドの良し悪しが気になるものです。

 映画カメラは、日本ではミッチェルが標準ですから、三脚、フリクションヘッド、もミッチェル製です。

 最初、テレビカメラのヘッドもこのミッチェルのフリクションヘッドを参考にして作られました。三脚への取り付けはミッチェルマウントと呼ばれていました。
 
 映画は、ワンカットづつ撮影されます。テレビはドラマでも座談会でも番組の始めから最後まで、テレビカメラからカメラマンは手が離せません。
 また劇場中継では望遠レンズを使いますからフリクションヘッドのバランスの悪さが気になりました。テレビは映画に比べてヘッドの良し悪しがとくに仕事に影響しました。

 英国のヴィンテン社から「カムヘッド」という新しい理論のヘッドがやってきました。カメラのバランスを完全にとりますと、テレビカメラがどんな角度でもバランスよく止まっています。
 望遠レンズ使用でもスムースに操作出来ました。全国のテレビ局に普及しました。

 報道番組が16ミリ取材からENG取材になって、ハンディテレビカメラが現場で使用されるようになり、ハンディカメラ用のヘッドに悩まされました。
 粘性のオイルヘッドなどありましたが、望遠レンズでゆっくりパンしていくのには都合がいいのですが、急にカメラを動かそうとしても、オイルでヘッドが粘って具合が悪かったのです。

 そこへドイツから「サクラー」の名称のヘッドが入ってきました。三脚と組み合わせでカメラの水平アジャストも合理的で使い勝手の良い黒い塗装の製品でした。

 英国のヴィンテン社から薄い鼠色の三脚とヘッドが輸入されました。これもなかなか具合のよい製品でした。

 タレントの婚約発表でホテルの客室で記者会見が行われます。客室の前の座席は新聞記者や雑誌記者が座ります。客室の後ろにENG取材班が三脚を林立させます。席上のタレントさんを望遠レンズで狙うのは合理的ですが、ハンディカメラのヘッドの良し悪しがもろに出ます。

 記者会見が始まる前は各社のカメラマンがお互いの機材の良し悪しを話し合って情報交換にします。薄鼠色のヴインテン派、黒塗装のサクラー派に分かれていました。