初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

イーストマンカラー

2016年07月31日 21時08分09秒 | Weblog


イーストマン・カラーフィルムは

冷蔵船で輸入されて

撮影所へ冷蔵車で運ばれてきます

… … …

そのフィルムをそのまま撮影部の

冷蔵庫(家庭用)に入れていました

撮影前日に、必要な量のフィルムを

冷蔵庫から出して、常温に戻します

冷蔵庫から出してすぐ使用すると

フィルムに水滴が付着する恐れがあるためです



撮影後のフィルムは常温のまま、

東京の現像所に送るのですが

大澤商会の若い人が

フィルムを受け取りに来ていました

… … …

当時の日本の交通手段は貧弱で

名神、東名高速道路はありません

東海道新幹線もまだありません



国道1号線はところどころ

未舗装の道路でした

遠くから未舗装の国道を見ると

砂埃を巻き上げて自動車が走っていました

まるで、西部劇映画の幌馬車隊が荒野を

走っているようでした

… … …

大澤商会の若い人は国鉄東海道線の

夜行列車で現像所にフィルムを

運び込んでいたのでしょうか?







帰ってきた親父

2016年07月30日 22時17分48秒 | Weblog


約一ヶ月して親父は帰ってきました

アメリカ土産はシェーファー・スノーケルの

万年筆や、コダックのエクタクローム・フィルムなど



土産話に、いまハリウッドは大変なことに

なっている。

アメリカはすでにテレビ放送が始まっていて

その影響で、映画の都ハリウッドは

すっかり寂しくなっていると話してくれました



アメリカへはパンナム航空だったようです

多分、JALはまだ国際線がなかったのでしょう

親父は搭乗記念にパンナムのバッグと

日付変更線通過の記念の証明書を貰ってきました



今から当時を考えてみますと

アメリカと日本は1ドル=360円の

固定相場でしたから、ハリウッド行きも

大変だったでしょう



映画制作の話になって

撮影されたイーストマン・カラー・フィルムの現像、仕上げは

東京の東洋現像所(五反田=ごたんだ)で行う、

京都花園の東洋現像所では処理できないので

撮影したフィルムを東京へ送らなくてはならないのでした









大映色彩映画「地獄門」

2016年07月29日 22時59分30秒 | Weblog


大映の第一回色彩映画「地獄門」に

ついて思い出してみます

女優さんは、京マチ子さんと

長谷川一夫さんでした



制作当時、私は高校生でした

親父から聞いた話です

… … …

松竹(大船)の初色彩映画は「カルメン故郷に帰る」で出演は高峰秀子、

監督木下恵介で大成功でした、そして

翌年の色彩映画「夏子の冒険」は出演、角梨枝子(すみりえこ)で

監督は中村登で、フィルムは富士フイルム・リバーサル(外式)?

(ディライトタイプ)だったようです



当時、カラー・フィルムの感度は低く、

松竹の二作品ともロケーション主体で現代劇でした

… … …

大映が企画した「地獄門」は時代劇でしたから

当然、スタジオでのセット撮影が主体になります



親父にカラーフィルムはどうするの?と聞きますと

開発されたネガ・ポジ方式のイーストマン・カラーだと

云っていました

… … …

当時、カラーフィルムに関して

イーストマン(コダック)とアンスコが競っていましたが

コダックに負けてアンスコが退いたようでした

… … …

コダックではネガ・ポジ方式のフィルムが

開発されて感度はASA32?で

色温度3200K°のタングステン・タイプでした



時代劇セット撮影の電灯照明(タングステン)では

カメラに色温度変換用フィルターは

いりません。

ロケーション場面でアンバー色の色温度

変換フィルターが必要になります

… … …

光量の乏しいセットではフィルターなしで

そして光量豊富なロケーションでフィルターを

使うというフィルムです

… … …

監督衣笠貞之助、照明器具のR電社の若社長など

スタッフはハリウッドへ研修に出発しました










ビスタビジョン方式

2016年07月28日 23時07分38秒 | Weblog


京マチ子さんは

黒澤明監督の「羅生門」以来

海外映画祭をターゲットにした

作品に数多く出演しました

… … …

源氏物語、大仏開眼、雨月物語、

イーストマン・カラーによる

大映色彩映画第一作の

地獄門それに

楊貴妃

… … …

新平家物語「義仲をめぐる三人の女」の

配役は、木曽次郎義仲(よしなか)に長谷川一夫

山吹=山本富士子、冬姫=高峰秀子、そして

巴=京マチ子さんでした



大映初のビスタビジョン作品の

地獄花に京マチ子さんは鶴田浩二と出演されています

… … …

京マチ子さんは、毎年五本ほどの

作品に出演されていました



私が大映京都撮影所に入社したころに

テレビの本放送が始まりました

映画館の入場者数が少しずつ

減ってきました。テレビの影響です

… … …

テレビ受像機の映像は小さな14インチの

モノクロの画面で、とても映画の画面とは

比べられないのですが、



映画の敵はテレビと考えて

映画館は大画面のシネマスコープで

製作される作品が増えてきました

しかしシネマスコープは画面の鮮鋭度が

もう一つなのでビスタビジョン方式が

考案されました








続・毘盧遮那佛

2016年07月27日 23時40分47秒 | Weblog


大仏開眼千二百年を記念してつくられた

毘盧遮那佛・写真集の撮影を担当された

佐保山堯海さんを調べると

佐保山堯海(さほやま*ぎょうかい/1907-1990)さんは

第209代東大寺管長を務めた僧侶であると共に、

昭和28年(1953)に「丹平写真倶楽部(たんぺい)」の仲間と

シュピーゲル写真家協会を立ち上げた創立会員(8名)の

一人。とあります



シュピーゲル写真家協会の創立会員に

棚橋紫水、木村勝正、和田生光、岩宮武二、

堀内初太郎らの名前が見えます



毘盧遮那佛・写真集の奥付(おくづけ)を

見ると印刷者・佐藤辰三(さとう・たつぞう)

印刷所・株式会社 便利堂とあります



戦後、法隆寺金堂壁画を一流画家を動員して

模写中に不審火によって炎上、壁画は

焼失してしまいました



しかし、戦前、佐藤辰三、便利堂によつて

原寸大で金堂壁画は撮影されていました。



私は学生時代、京都YMCA

写真クラブに所属していました

主宰は浜岡昇(はまおかのぼる)さんで

講師に佐藤辰三さんがおられました

佐藤辰三さんから色々お話を伺いました



先日、京都を歩いていると

京都YMCAは

京都市中京区

三条柳馬場角(やなぎのばんばかど)に

あるようでした









毘盧遮那佛

2016年07月26日 22時48分48秒 | Weblog


映画「大仏開眼(だいぶつかいげん)」の

製作も無事終わって、しばらくして

親父は本を貰ってきました



本には大仏開眼千二百年記念そして

題名は毘盧遮那佛(びるしゃなぶつ)で

だいぶつさまとルビが打たれて

東大寺と記されています

… … …

表紙 國畫會 會員 杉本健吉

A3判の寫眞集でした



寫真撮影は

東大寺塔頭寶珠院住職

佐保山堯海(さほやま・ぎょうかい)とあります



失礼を顧みずに平たく云えば、

東大寺のお坊さんが

知り尽くした大仏殿を

あらゆる角度から撮られたのでした



カメラはどうやら35ミリフィルムで

ライカ?ではないでしょうか



大仏殿の天井からの俯瞰ショットは

ライカ手持ち撮影でしょう

デーライトフラッシュで暗部を

おぎなったショットもあります



撮影の佐保山堯海さんを調べてみると

普通のお坊さんとはちょっと違っていました

… … …

貼付寫真に「毘盧遮那佛」とスーパーインポーズ

しました




映画「大仏開眼(だいぶつかいげん)」

2016年07月25日 23時42分45秒 | Weblog


1952年(昭和27年)に封切りされた

大映京都撮影所製作の作品の

「大仏開眼(だいぶつかいげん)」に

京マチ子さんは長谷川一夫とともに

出演されていました

… … …

物語は奈良・東大寺建立の話でした

大映京都撮影所の東オープンに

原寸大の大仏のセットができました

… … …

そのオープンセットの大仏の写真を探しましたが

どうしても見つかりませんでした

… … …

大学一年生だった私は、

大仏のセットを見学しましたが立派な出来映えでした

大掛かりなオープンセットは

映画「羅生門」の崩れかけた楼門以来でした



京都観光バスの観光コースに

太秦の撮影所巡りが組み込まれて、東映の町並みの

オープンセットや松竹撮影所についで

大映京都撮影所のセットの大仏様見学が組み込まれました

… … …

映画用のセット・大仏様を見上げた

観光客は思わず賽銭を投げて

撮影所側を戸惑わせました






映画「偽れる盛装」

2016年07月24日 23時37分57秒 | Weblog


古都京都に乗り入れている鉄道は

JR(国鉄)、阪急、京阪とあります

大阪から京都へ帰ってくるのは

昔の京阪電車が一番好きでした



京阪電車が地下になる前は

七条から鴨川東の堤を走っていました

春の季節には堤の桜が満開で

車窓の西側に鴨川、東側に疎水が流れ

桜並木を走る京阪電車に乗っていると

京都へ帰ってきたなあ…の

気分になったものでした



映画「偽れる盛装(いつわれるせいそう)」の

クライマックスシーンで京阪電車が登場します

… … …

凄腕の芸妓(君蝶=京マチ子)は足袋跣(たびはだし)で

団栗橋(どんぐりばし)を西から東へ逃げてきます

団栗橋は四条大橋の次の橋です

後から山下(菅井一郎=すがいいちろう)が追いかけてきます

団栗橋の東側を走る京阪電車の通過で

踏切が降りてくる場面です

京マチ子さんはこの映画でも熱演です

そして、大映の制作は国際映画祭をターゲットとして

次々に大作が企画され、京マチ子さんも出演が続きます



その後、京阪電車は七条から地下に潜って地下路線で

祇園四条、三条→出町柳(でまちやなぎ)と延長されました

線路東側で水の豊富だった疎水も暗渠になって、

川端通りになりました








映画「羅生門」②

2016年07月23日 22時50分39秒 | Weblog


映画「羅生門」のあらすじは

ある事件が起こります。その

事件の関係者、目撃者が

事件を証言するのですが

それぞれ証人の立場から少しずつ

証言が違うのです



白い壁に白い砂を敷き詰めた

お白州(セット)で検非違使(けびいし)に

証言するのです

… … …

亡くなった犠牲者の霊魂を巫女が

呼び寄せて証言するなど…

… … …

いままでにない構成の映画で

人間のエゴイズムがテーマでした



この映画の興行成績もまあまあで

国内ベストテンでの話題も

乏しかったようでした

… … …

ところが紆余曲折を経て国際映画祭に

出品されたところ、

ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を

受賞しました。

… … …

受賞ニュースでグランプリと報道され

主演した新人、京マチ子さんは

グランプリ女優と云われました






映画「羅生門」

2016年07月22日 21時06分09秒 | Weblog


私が高校生のころ、なにか父親に

用事で、嵐電に乗って太秦駅

(うずまさえき=現・太秦広隆寺駅)へ

そして駅からたんぼの間をとおって

大映京都撮影所に行ったことがありました



撮影所の東オープンには崩れかけた楼門が

建てられていました。随分、大きくて立派な

オープン・セットでした

… … …

知り合いのスタッフの人に聞くと

黒澤明監督の「羅生門」のセットでした

どんな筋か聞きますと

まったくストーリーがわからない

撮影現場で、いまどこを撮っているのかも

わからない…



また黒澤明監督は天気が良くても

雲の格好が悪いから、今日もロケーションは

中止とかで…いつ映画が完成するかわからない

とその人は首を振っていました



「羅生門」は黒澤明作品ですから

主演は三船敏郎で志村喬(しむらたかし)

千秋実(ちあきみのる)森雅之(もりまさゆき) に

女優さんは現代劇「最後に笑う男」で颯爽と登場した

新人、京マチ子さんでした

時代劇に京マチ子さんが、私は意外に思いました