初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

テレビはニッコールとキャノン・レンズ

2013年03月31日 18時33分15秒 | Weblog


新しく始まったテレビジョンは

生放送でスタートしました



テレビスタジオでは

テレビカメラで撮りながら

生放送されます



放送時間が過ぎれば

その番組も終わります



映画では撮影が終わっても

撮影したフィルムを現像焼き付けが

済むまで結果はわかりません



保守的な映画に比べて、

テレビは制作と放送が同時ですから

制作機材もこだわりなく新しいものが

入ってきました



国産、真空管式テレビカメラ(スタジオ用)に

日本光学の35ミリカメラの

ニッコール28、35、50、

85、135、200ミリ単レンズを流用した

パイ・マウントになっていました



中継カメラは、280、300、400

600ミリのキャノンでRCAマウントで

全て国産レンズでスタートしました











テレビは国産で始まった

2013年03月30日 23時54分04秒 | Weblog

サイレント映画時代(活動写真)では

ウィリアムソン、ユニバーサルなど

手回しハンドルのキャメラで始まりました

トーキー映画になってフランスから

パルボが

エスカニア、エクレル、カメフレックス

アメリカのスタンダードミッチェル、

NCミッチェル

ベル&ハウエルのキャメラ

ニュース映画取材にはゼンマイ駆動の

アイモで始まりました



レンズもバルター、エクターなど外国製でした。



日本の映画界の機材はすべて舶来でした



日本製としてはNCミッチェルによく似た

土井(どい)ミッチェルや精機(せいき)ミッチェルなど

作られていましたが



銀塩フィルムを使う映画制作で

撮影されたフィルムは最終的に

現像してみなくてはOKかNGかわかりません



舶来の映画機材でスタートした

無声映画(活動写真)からの

歴史で、以後、映画機材は舶来の

機材でと保守的な伝統になったのでしょうか



新しくテレビが始まって

テレビスタジオカメラ、中継カメラ

レンズ、ズームレンズなどは国産品で

スタートしました










メガホンとクランク

2013年03月29日 18時01分56秒 | Weblog


無声映画(活動写真)では監督が

ディレクターズ・チェアに

座ってメガホンで

「用意…スタート」

から俳優さんに演技のきっかけなど

叫んでいたらしいのです



無声映画のキャメラはキャメラマン(撮影技師)が

キャメラについているクランク(ハンドル)を

手で回して撮っていました



無声映画(活動写真)からトーキーになって

撮影現場で監督さんは声をだせませんし

キャメラはハンドルからモーターになりました



しかし新聞、雑誌などではいまだに

「××監督のメガホンで俳優△△さん主演の

映画がクランクイン…」

と記事が載っています




活動写真のハンドルで撮るキャメラから

最近のワイドスクリーン映画のキャメラまでの間で

国産のキャメラは見ませんし、

キャメラのレンズも舶来でした






続・カラーテレビ始まる

2013年03月28日 20時44分46秒 | Weblog


テレビはカラー時代になって

ドラマや音楽番組に色がついて

華やかになりました



カラーテレビカメラのレンズを通った

映像はプリズムで赤緑青にわかれて

三本のプランビコン管に導かれる

チョット複雑な方式ですが

白黒時代のカメラと同じくらいの

大きさでした



最初のイメージオルシコン管カラーカメラ

は大きくて、カメラブームの上げ下げは

電動モーターで操作する大きなカメラでした





カラーニュース番組の取材だけ

銀塩カラーフィルムのカメラでした



アメリカのテレビ局から

ソニーや東芝に大量の

小型ビデオカメラと

小型ビデオレコーダーの注文が入ったと

メーカーの営業さんから

聞こえてきました








カラーテレビ始まる

2013年03月27日 20時45分37秒 | Weblog


モノクロ(白黒)の映像は家庭のテレビで

カラー大型画面の映像は映画館でと

モノクロで始まったテレビは

映像の棲み分けがありました。



イメージオルシコン管カメラでした

カラー映像をこのイメージオルシコン管で

研究が進められました

映像をRGB三色と明暗の輝度に分離して

4管式カラーカメラが作られました



この4管式カラーカメラは

東京オリンピックで

使われました。開会式で日本選手団

入場行進で赤のブレザーが

青空に映えて綺麗でした



しかしこのイメージオルシコン管カメラの

色彩再現は、水彩画のような淡泊な色でした

そこへ油彩絵のような濃厚な色彩を再現する

フィリップスのプランビコン管カメラが

あらわれました

このプランビコン管の登場で

世界中のテレビがカラー化に進みました



ニュース番組もカラー化されました

ニュース取材はベル&ハウエルの

70DRカメラが主流で

16ミリカラーリバーサルフィルムで

撮っていました



編集室には、カラー自動現像機が据えられて

取材カメラマンはスポット露出計を渡されました





ビスタ・サイズ映画

2013年03月26日 20時55分03秒 | Weblog


ビスタビジョンは

普通映画の倍のライカ判で

ネガフィルムがキャメラの中を

横に駆動します



そして映画館用フィルムは縦に

駆動ですから映像は縮小して

プリントされます。



画面が横に広くて、映像が

鮮明なことから大映京都が

伊藤大輔監督「地獄花」を

制作しました



鮮明な映像で仕上がるビスタビジョンも

フィルム経費や現像処理など大変です



映画フィルムの性能が向上したので

ビスタ・サイズというのがあらわれました

普通に映画を撮って、上映劇場のスクリーンを

少し横長にして、つまりフィルム画像の上下を

トリミングして横長のビスタビジョンのサイズ(比率)で

上映する方法です



このビスタサイズの画面は、

ワイドテレビやハイビジョンテレビにも

取り入れられました



1957年ビスタビジョン映画「地獄花」を

制作した翌年の1958年、

渡辺邦男監督はオールスターキャストで

「忠臣蔵・前後編」をシネマスコープで撮っています






ビスタビジョン・フィルム

2013年03月25日 20時50分51秒 | Weblog



輸入されるイーストマンカラーフィルムは

ビスタビジョン用に2000フィートの大きな

缶に入っていました



普通の映画で使用するミッチェル、NCキャメラの

フィルムは35ミリフィルムで

1000フィートの長さのマガジンを

使っていました



ところがミッチェル、ビスタビジョンキャメラは

35ミリフィルム、2000フィートマガジンを

使用するようになっていました

ビスタビジョンキャメラの撮影画面は

ライカ判ですからスタンダート画面の

2倍です

1000フィートの倍で

2000フィートの長さのフィルムと

マガジンになりました



ところが日本のフィルム現像所では

一度に1000フィートしか

現像機に入らないという問題が起こりました



撮影所の暗室で長い2000フィートの

フィルムを半分に切断して

2000フィート、マガジンに

装填して使いました



スタンダード映画で1000フィートは

大体13分ほど撮れます。

ビスタビジョンでは6分ぐらいになりますか

… … …

撮影現場では、記録係女史(スクリプター)が

リハーサルでワンカットの長さを

測っていますからこぼれることはありません






ビスタビジョン・キャメラ

2013年03月24日 18時32分07秒 | Weblog


ミッチェル・ビスタビジョンキャメラは

図体の大きなキャメラでした。

キャメラの運搬は鉄製の担架に乗せて

2人がかりで運んでいました



ビスタビジョンキャメラは画面サイズが

大きいので、制作現場でキャメラの

スイッチを入れてすぐ

芝居を始められませんでした



監督の

「用意…」

の号令で

ビスタビジョンキャメラの

予備スイッチを入れます

フィルムは低速で走り出します

すかさず助監督のカチンコが

画面の中に入ってきます

キャメラの標準回転スイッチを入れます



ビスタビジョンキャメラは

ネガフィルムを大量に消費しました




撮影所の試写室で

現像の仕上がったラッシュプリントを

見ると

スタンダード画面の倍のビスタビジョン

映像は、画面も大きくしかもピントの鮮明な

仕上がりでした



カラーの大型映像は映画で

白黒の小さな画面はテレビでと

映像の棲み分けがはじまりました









映画「地獄花」

2013年03月23日 23時07分27秒 | Weblog


ミッチェル・ビスタビジョン・キャメラを

大映京都撮影所は購入しました

大映京都は黒澤明作品「羅生門」が

ヨーロッパの映画祭でグランプリを得てから

世界に向けて数々の大型時代劇を発表していました



注目の大型画面でビスタビジョン時代劇を

企画したのでしょう

題名は「地獄花」で鶴田浩二、京マチ子主演で

忠治旅日記、鞍馬天狗などのベテラン伊藤大輔監督でした



伊藤監督はカメラをトロッコに乗せて動かしながら

撮影する移動撮影をよく使っていました

この撮影態度をみて伊藤大輔監督を称して

「イドウダイスキ(移動大好き)」と渾名されました



フランス映画もこの移動ショットが

よく取り入れられていました。



「パリの屋根の下」ルネ・クレール監督作品

の冒頭のシーンはとくに印象に残るカットでした

屋根と煙突の並ぶカットからゆっくりと

キャメラ移動(クレーンではなく)で

地上に降りてきます。

アパートのドアから人が出てきます

それをなめて街のフルショットに決まります








映画「めまい」

2013年03月22日 19時17分53秒 | Weblog


ビスタビジョン映画に

[OK牧場の決闘」(テクニカラー)が

ありました



早撃ちガンマン、ワイアット・アープに

バート・ランカスター。

病気のドクターでガンマン、ドグ・ホリデーに

カーク・ダグラス、イメージとして適役と思いました。



映画のクライマックス・シーンで

ワイアット・アープ側の

ガンマン四人の歩きを

ローアングルでトラック・バックする

移動ショットが好きでした



邦画時代劇にも肺病の剣豪

平手造酒(ひらてみき)がいます

浪曲、講談などにも登場します

… … …

ドグ・ホリディと平手造酒は

どこか似ているように思えます



ヒッチコックもテクニカラー

ビスタビジョンで

作っています

ジェームス・スチュアートと

キム・ノヴァクの

「めまい」です

… … …

キャメラはロバート・バークス

彼はヒチコックとコンビで

数多く撮っていました



高所恐怖症の「めまい」の画面効果を

ズームレンズをズームアウトしながら

カメラをドリーインして、

画面のパースペクティブを

変えるカットは不思議な効果でした。