初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

NG 大会

2009年04月30日 18時05分59秒 | Weblog
写真説明、大阪・外環状線(170号線)の富田林市付近の歩道のつつじです。横を引っ切りなしに走る自動車に負けず健気に咲いていました。

 テレビ初期の生コマーシャル、VTRコマーシャルについて…、

 コマーシャルはテレビ営業へ街の広告代理店から持ち込みが主流ですが、スポンサー個人で、スポットコマーシャルを相談に来る人もいました。

 どこのテレビ局でも、外からすぐに入れるように一階に営業部がありました。
代理店で細かなコンテを立ててくるところ。半分くらいコンテをまとめて、あとは局のスタッフと相談して決めるというのもありました。

 なんどのんびりしていました…。
 
 あるコマーシャルのVTR撮りです。

 正月用の振袖姿のタレントさんを連れて来て、顔出しのコマーシャルがありました。セットは門松を立てて、鏡餅の飾りの横で振袖姿のタレントさんが正月の挨拶をするコマーシャルです。

 新春のお慶びを申し上げます
 皆様お健やかに新春をお迎えのことと存じます。旧年中はひとかたならぬご厚誼を賜りまして、大変ありがとうございました。 本年も何卒よろしくお願い申し上げます。 この新しい一年が皆様にとって素晴らしい年でありますよう心からお祈りいたします …

 文言は違いますが、大体このようなことを言ってあとは商品のお知らせの台本でした。
 カメラリハーサルや、セリフの時間も問題はなかったのです。

さて、本番で、彼女はセリフをとちってしまいました。

 遅くとも、十二時前に終わる予定でしたが、何度やってもセリフを噛んでしまい、どうしてもOKが出ません。

 スタッフは一度休憩です。早昼(はやびる)開始で、現場を離れました。

 若い彼女にとって日頃馴染みのないセリフをしゃべらされて、とちってしまったのでしょう…。

 結局、彼女の顔出しを半分にしてOKになりました。

 映画でも、テレビドラマでも誰か、セリフをとちると、その場面の全員にプレッシャーがかかって、次に他の人がセリフをとちります。それが次から次へと伝染して「NG大会」になることがありました…。

 プロ野球でも、誰かエラーをすると、次に他の選手がエラーを重ねることがあります。

 その後、電通、博報堂などの大手の代理店が、メディア全部をまとめて、新聞、雑誌、ラジオ、テレビなどにそれぞれ作戦を立て総合的に広告を扱うようになりました。

 テレビ初期ののんびりしていたときの、思い出です…。


熱心なおばさん

2009年04月29日 17時57分42秒 | Weblog
ラジオ番組の公開放送は、スタジオの座席にお客さんに入ってもらって、お客さんの拍手や笑い声を番組に一緒に収録するスタイルです。
スタジオのお客さんの人数は限られました。

劇場のように簡単に入れる600座席のホールができました。

ラジオで使わないときは映画の試写会、講演会、音楽の発表会などが開ける小規模なホールでした。

 このホールで「夫婦善哉」「オヤジ万歳」など評判のラジオ番組ができました。

テレビも公開番組が出来ました。テレビもこのホールを使いましたが、クイズ番組、婦人番組、などは、200人までの小人数で、テレビスタジオに座席を用意しました。

 お客さんのなかに、熱心なおばさんがいて、お客さんを入れたスタジオ番組のときは、必ず座っていました。

いつも、来ているので、顔なじみになりました。目が合うと挨拶されます。

 「にいちゃん、いつも頑張っているなあ…」

です。

 そのおばさんは、民放、在阪各局だけでなく、NHKの公開番組にまで写っていたのです…。

そのおばさんは番組にとって決して迷惑ではなく、舞台のギャグにきちっとリアクションしてくれました…。

 テレビスタジオのクイズ番組、お笑い番組などは、1日に2回分のVTR撮りをします。同じお客さんで撮りますが、このおばさんが1回目と2回目と同じ場所にいるのは具合が悪いので(1週目の番組と2週目の番組のこと)、上の座席のお客さんと前の座席のお客さんと一緒に入れ替わってもらいます。

 ある時からそのおばさんが来なくなりました。しばらくしてからまた、元気に現れました。

「おばさんどうしていたの…」

と聞きますと、連れ合いを病気で亡くしたといいます。

「住まいも、京都・宇治になったから京阪電車で来た…」

「気楽になったので、これからずっと来るよ…」

という返事でした。

 正月用の番組のVTR撮りのときは、客席に振袖姿のお嬢さんに入ってもらいます。劇団やタレント事務所に頼んで、良く写るところへ座ってもらいます。

番組のADさんが、前説(まえせつ)でお客さんにご協力をとことわりを入れます…。



松竹新喜劇 下

2009年04月28日 18時25分08秒 | Weblog
 在阪各局が、大阪、道頓堀・中座から松竹新喜劇を中継録画番組として放送します。

各局の番組の演目が重ならないように、テレビ番組用に過去に評判が良かった作品のリメイクや、新作を用意します。

その日の公演が終わって中座の舞台でリハーサルをします。

 夜中、役者さんは風呂上りの浴衣がけで、素ッピン(素顔で)の部屋着で、セットのない舞台で立ち稽古します。役者さんは素顔ですから誰が演じているのかわからないことがありました。

舞台衣装でメーキャップを施してはじめて、あの人だったのかということがありました。

 藤山寛美さんが若手の演技指導をします。下手桟敷のカメラと上手桟敷のカメラは舞台の役者の大写し、客席後のカメラは舞台の広い絵を撮っているから。両桟敷のカメラに赤いランプが点灯すれば、顔の表情に気をつけろ…。

セリフの間のとり方など、さすが喜劇の演出でした。

 夜中にリハーサルした芝居は、翌日の演目になります。

 中座の一日の公演が済んで、午後十時過ぎに、テレビのスタジオに新喜劇劇団員は集まります。
テレビの30分ドラマ用の新作の稽古です。役者さんはテレビ局で初めて台本を渡されて、真夜中に30分ドラマ、2本を撮ります。劇団員は早朝に中座へ引き上げてゆきます。

テレビ局側のスタッフは、夜10時ごろの出勤で、徹夜でVTR撮りを済ませて家に帰る変則的な勤務でした…。

 藤山寛美さんは、それから、車で京都・太泰・東映撮影所へ行きます。朝のスケジュールで映画に出演するのです。それが済むと、大阪・道頓堀・中座の舞台が待っています。

超過密なスケジュールのときがありました。

そのほか、連続公演記録や、その日のお客の注文で即興的にリクエスト公演をやったり、大変でした。

藤山寛美さんが亡くなった後、渋谷天外さんの息子、天笑さんが3代目天外として、「新生松竹新喜劇」となります。藤山寛美さんの娘、藤山直美さんも参加します。

老人向け ? ラジオ深夜番組「深夜便」の中で、最近、前川清と藤山直美さんのデュエットで

  「LOVE  SONGが聴こえない」

を歌っていました。器用な娘さんです…。


松竹新喜劇 中

2009年04月27日 17時47分40秒 | Weblog
 舞台の袖にADさんが懐中電灯で台本を照らしながら舞台の進行を見守っています。
 ときどき、セリフを抜かして芝居が飛ぶことがあります。

 舞台では、皆仲間ですから、うまい具合につじつまを合わせてゆきます。こちらは台本指定のショットサイズが狂うので困ります…。

 ADさんが

「××頁飛びました…」

「△△頁何行目のセリフに芝居は戻りました…」

とインターカムで知らせてきます。

 VTR取材が早く済んでも、中座の芝居がすべて終わって、観客がいなくなってからでないと中継車を動かすことができません。午後十時過ぎに、スタッフの先導で道頓堀から御堂筋に中継車を出します。

 松竹新喜劇は、道頓堀・中座が本拠地ですが、名古屋の御園座、東京の新橋演舞場でも興行しました。

 名古屋・御園座の興業のときは、大阪から中継車を名神高速道路で運びます。
 中継車に、ドライバーのほか、中継技術から一人,側乗といって、二人で名古屋に向かいます。そのほかの、中継スタッフは、新幹線か近鉄特急で向かいます。新幹線は大阪から速いのですが、時間は充分あります。

 どちらも名古屋駅に到着しますから 新幹線の倍時間がかかる近鉄特急の安い運賃で行きます。

 東京の新橋演舞場も、大阪から名神高速道路と東名を使って中継車を側乗者と二人で行きます。スタッフは新幹線しかありません。東京のどこかの局のスタッフでVTR録画を頼んでもよさそうなのに…。

 名古屋の御園座も、東京の新橋演舞場でも、客の入りは上々で、大阪以外でも、松竹新喜劇は根強いファンが居るのです。


松竹新喜劇 上

2009年04月26日 17時53分14秒 | Weblog
  京都・南座で高校生のころ、芝居好きの母親に連れられて、「松竹新喜劇」見に行ったことがありました。

母親が、
 「あの人が、人気の藤山寛美だよ…」
と言っていました…。

               … … …

ゴールデンタイムの番組として道頓堀・中座の「松竹新喜劇」の録画中継がありました。

劇団は、渋谷天外(しぶやてんがい)、藤山寛美、曾我廼家五郎八(そがのやごろはち)、曾我廼家明蝶(めいちょう)、高田次郎、小島慶四郎、ベテラン女優の曾我廼家鶴蝶(つるちょう)、酒井光子(さかいみつこ)、など多彩な顔ぶれです。

 在阪各局がこの「松竹新喜劇」を中継していましたから、演目がかぶらないように調整します。

VTR本番の日取りが決まりますと、スタッフの下見の日が決まります。中継の演目の下見は中座一階の後の客席一列を購入して、舞台の上の役者さんの動きを台本にチェックを入れて覚えます。下見はこれ一回きりで、カメラリハーサルもなく本番になります。

 中継当日は、道頓堀の人出が少ないときに、テレビ中継車をスタッフの先導で、所轄の警察署の交通課に申請した場所に入れます。

テレビ中継車に積んでいるVTRで舞台の芝居を撮ります。

録画は大体一本撮りです。二本も三本もとなると、芝居の筋立てがごっちゃになり、舞台の俳優さんの動きがわからなくなります。二本撮りのときは、スタッフを総入れ替えします。

 中継日はたいていどこかの団体客の招待とかちあいます。中座の前に長い机を並べて、世話役が飲み物と弁当の入った紙袋を団体のお客さんに配っています。

 当時は、△△商店会の大売り出しの景品として、団体客がよく来ていました。

開演時間になると、舞台の下手脇から白いタキシード姿の藤山寛美さんが現れます。

「△△商店会の皆様よくお越しくださいました…」

と挨拶があります。

  ブザーが鳴ると緞帳が上がり芝居が始まります。

  続く…


スタジオ スズメ

2009年04月25日 17時21分13秒 | Weblog
  写真説明。毎朝の散歩のコースの途中に大きな公園があります。そこの「四季の広場」で、この ゴールデンウィークに植木市が開かれました。初日の今日は生憎の雨になりました。それでも、植木愛好家が大勢きていました…。

 スタジオスズメといわれる人種がいます。あちこちのスタッフや俳優さんのゴシップなどを聞いてきて、スタジオの本番待ちの時間にしゃべりまくります…。

 姉小路祐、原作の正義感あふれる弁護士・朝日岳之助役、森繁久弥のサラリーマン物語で軽妙な秘書役の小林桂樹さんは味のある俳優さんです。スタジオで準備の待ち時間のときタイムキーパーの若い女の子に冗談を言って和やかな雰囲気を醸し出したりします。スタジオでの仕事ぶりが、明るくてスタッフ全員に好感をもって迎えられています。

 田村高廣さんは、いろいろ映画で活躍されていました。映画「白い巨塔」は重厚な演技ですした。スタジオでVTR本番に入るまでは別人のように朗らかで、冗談を言って皆を笑わせていました。それが、本番のカウント…

  「5、4、3、2、1…」

 のADさんの秒読みを聞くや、あの重厚な演技の表情とセリフになります。

 奈良岡朋子さん(劇団民藝)、は演技もすばらしく、ナレーションもこなす女優さんです。彼女は付け人も少なく、スタジオでもおとなしく手がかからない、静かな女優さんです。

 テレビを見ていると、あちこちのドラマによく出ている俳優さんがいます。その俳優さんは、きっとスタジオマナーの良い人で、スタジオのスタッフから歓迎されている俳優さんなのでしょう。

 微妙な年齢に差し掛かっていた大女優××さん。VTR撮りの日に、お誕生日おめでとうと、バースディケーキを携えて、スタッフが楽屋に届けたところ、

  「まあ、失礼な…」

 と、怒られてしまいました。その大女優さんは、実年齢が皆にわかることを気にしていたのでしょうか…。

   これは後で、スタジオスズメから聞いた話です…。


不思議な御縁

2009年04月24日 18時31分59秒 | Weblog
友人が写真の個展が開かれました。

 友人は、学部の写真クラブの仲間でしたから、50年余りの付き合いになります。

 皆が卒業後は彼が段取りをしてOB会を作り上げました。年1回の集会だけでしたが京都市内で写真展を年1回開くまでに努力されました。その彼が個展を開きました。

 展覧会場へ彼の奥さんが友人の婦人と訪れてきました。

 ひょんな話題から、世界遺産の下鴨神社の話になりました。

 私が下鴨神社の近くで生まれたことを話しました。生まれた場所が、

       京都市左京区下鴨下川原町××番地

 婦人が通っていた幼稚園を聞きますと××幼稚園で私と同じでした。

 婦人は私の家の筋向いが実家だとの話になりました…。


 小学校三年のとき、父親の会社が戦時体制で縮小されました。リストラされた技術者の団長になって、満州に行くことになりました。

 海を越えて行くのですから、普通の引っ越しと違います。荷造りの人が何人も来て、家具は木枠の中に入れます。大きな鏡の姿見は、木枠の中に入れて、鏡を見えるように裸で荷造りにしていました。

 三宮まで近所の人の見送りで、神戸港から「みどり丸」という名前の船で出港しました。
 翌日朝、大連港に着きます。そこから、超特急「あじあ号」で新京へ向かいます。
 途中の四平街あたりでは、車窓一面に高粱畑が延々と続いて、一時間列車が走っても、景色は変わりません。遠くに見える地平線があまりの広さに湾曲して見えます。
 地球が丸いということが実感できました。

 アメリカの西部劇映画のように、広大な土地の中にわが家がありました。

    新京特別市盛京大路房産住宅△△號

 が新しい住居の番地です。

 敗戦後、引揚者として帰ってまいりました。私には小学校の同窓会がありません。

 これまでの私の人生は外国をぐるっと回ってきました。それが、友人の個展の会場で子供のころの筋向いに住んでおられた婦人に会うなんて、不思議な御縁です…。


私の好きな作家

2009年04月23日 18時50分20秒 | Weblog
  私の学生時代の思い出に、ときどき、「アサヒカメラ」に掲載された朝日新聞社の、吉岡専造氏、大束元氏、船山克氏の決定的瞬間の人物の表情を撮った作品群は素晴らしいものでした…。

 新聞の取材のカメラ、スピードグラフィック(略してスピグラ)は4×5判の大きなカメラです。フィルムは大きなシートフィルムですから、1枚撮るたびに、引き蓋というかシートを引き出して、焦点面に新しいフィルムを出さなくてはなりません。

 新聞ですから、フラッシュランプを焚かなくてはなりません。フィルムは一枚、フラッシュも一回で決めなくてはなりません。フラッシュ球も一回ごとにフラッシュガンに取り換えてつけなくてはなりません。

 それで、あのような素晴らしい作品が生まれるのですからすごいことでした。

 毎年出版された朝日新聞報道写真集での作品はフィルムが大きい分、豊富な諧調でした。決定的瞬間のシャッターでした。見るのが楽しみでした。

 新聞各社もだんだんと35ミリカメラに切り換わっていきました。

                 … … …
 風景写真では、岡山の作家、緑川洋一氏の瀬戸内海をモチーフにした多重露光、超長時間露光の作品群、前田真三氏の広大な北海道の作品群、竹内敏信氏の新しい感覚の風景は好きです。

 特に、竹内敏信氏の偏光フィルターを多用した作品は私に偏光フィルターについて学びました。

 一眼レフカメラはTTL露光ですから、偏光フィルターの回転角度によって露光量が微妙に変わっても、カメラが自動で露光を調整してくれます。私も真似て偏光フィルターをよく使います。満開の桜を偏光フィルターを回転させて見ていると、花の輝きがいろいろと変わりファインダーを見ているだけで楽しいものです。


VISTAでIME

2009年04月22日 18時19分14秒 | Weblog
  以前にも記しましたが、健康のため朝食後に近所を散歩することにしています。朝のコースは一応、決めていますが、時々変わります。途中に、他所から移転してきた花屋があります。

今日の写真はその花屋の店先を写したものです。世の中、桜が終わって、色々の花が咲き出しています。

街の花屋では、綺麗に咲いた切り花を進物用でしょうか、満開の花が並んで、華やかですが、この花屋の店先は派手ではありません。

 よく見ると、花はまだ蕾が多い植木鉢が並んでいます。花が咲いてしまったら売り物として少し遅いのでしょう…。
  
ボケ防止に、MS-DOS3.30D「一太郎」、ATOK7で、産経新聞の「産経抄」(700字余り)を毎朝、ストップウォッチ片手に打ち込んでいました。約13分かかりました。

一足飛びに機械がVISTAのノートパソコンに変わりました。ソフトもWORDでIMEです。有名な言葉「記者の記者汽車で帰社」も完全に変換します。いろいろ戸惑うことがありまして、VISTA解説書と一日、首っ引きでした。

IMEは句読点から句読点まで文章を打ち込んで、一気に変換できるすぐれものですが、IME独特のクセがあります…。
 VISTAで「産経抄」もやっと15分を切るぐらいに上達してきました。
 
 頭を使うのには、キーボードよりも、手書きで文章を書くのが一番良いそうです。一度、キーボードで味をしめてしまっては、もう手遅れです…。

 好きな小説を読む時間が出来ました。去年の話題作、東野圭吾の功一、泰輔、静奈の3兄妹の絆の物語、「流星の絆」。

 物理学教授・湯川が事件を解決する長編の「聖女の救済」、と短編の「ガリレオの苦悩」、いずれも面白かったです。


結婚式の写真アルバム

2009年04月21日 18時14分14秒 | Weblog
写真を趣味にしていると、結婚式の写真を頼まれることがありました。写友(写真の仲間)と結婚式の写真の話をしますと、カラーネガの撮りっぱなしをそのまま渡すという人…、一応サービス判に焼き付けて渡す…、様々です。

 私は、引き受けたならば結婚式のお祝いとして、アルバムに仕上げて渡すことにしていました。十数冊作りました。私の撮影で心掛けていることを記します…。

 結婚式には、神前結婚、基督教の教会、仏前、人前と一応神前を除いて撮影しました。神前は素人には撮影できないので経験がありません。

教会の場合は、事前に神父さん、牧師さんに挨拶をして、決められた場所で撮ることにしています。式中はストロボを使いません。一脚を付けてスローシャッターで撮ります。花嫁のベール越しの顔がぼんやりと写ります。はっきり写らなくても、式の雰囲気を壊さない方がよいのではないでしょうか。

 式が終わって、新郎新婦が参列者の拍手に送られて出口に歩いてくるところは、ストロボとワイドレンズで広い絵を撮ります。また、教会から出てくる2人のライスシャワーもストロボの日中シンクロのワイドで撮ります。これはぜひ物です。

花嫁がロングドレスならば彼女には後ろ姿は見えませんから後姿も必ず一枚はどこかで撮ります。

披露宴では、受付係の数人の記念写真も必要です。△△様○〇様ご両家披露宴の立札、花瓶、小物など後で役に立つことがあります。

披露宴で宴の始まる前に、入口で迎える金屏風の前の2人と両家の親が並んでいるところは、正面から少し低い位置のカメラで広い絵で撮ります。披露宴の全体の広い絵も必要です。新郎新婦の入室で、入口で挨拶するところを少し低いアングルで、花嫁のドレスが切れないように少しルーズに撮ります。

ウェディングケーキの入刀は、2人の足元が切れてもケーキの一番上の人形まで入れます。花嫁の大写しは、望遠レンズで撮ります。

両家の母親が和装ならば、裾模様が切れないようにカメラを引いて全身のサイズで写す。

なるべく、カメラを引いて全体を写します。2人の友人、招待客はデジカメや携帯電話のカメラで2人の大写しを狙っていますから、私はカメラを引いてロングで撮ります。
 
仕上がりのプリントはサービス判から六つ切りまでいろいろです。アルバムには六つ切りが大きさの限度です。プリントは、ワイド六つ切りで仕上げて、長手方向どちらかを、切った方が良いです。最初から六つ切りに指定して、足元を切ってプリントされて困ったことがありました。アルバムの中での六つ切りプリントは十数枚です。

私は35ミリ銀塩フィルム、36枚撮り5本というペースです。

デジカメで撮った写真は、液晶ファインダーで見て終わりという風潮なのでしょうか。「寿のアルバム」が店にないときや希望しているアルバムが製造していないことがあります…。