初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

敵機の爆音

2019年11月30日 20時25分45秒 | Weblog



戦時中の小学生にモールス信号を

教えてどうするのか?というのですが

当時の私は、無邪気に練習に

励んでいました…

当時の私はモールス信号に

絡んで電気に興味を持つように

なりました…

誠文堂新光社?出版の

小学生用、電気の入門書を

愛読するようになっていました。

… … …

小学校(国民学校)の授業は、国語を

はじめ算数、満洲大陸、音楽とあります。

音楽は、名曲鑑賞とか合唱が主でしたが

敵機(アメリカ)の爆音を録音した

レコード(78回転SPレコード)

を生徒に聴かせて、飛行機名を

当てさせる授業がありました…

… … …

軍隊は敵機襲来に備えて、聴音機(ちょうおんき)を

使って警戒していたようです…

構造は逆向きのラッパで爆音を

集めていました。

… … …

「Bー29、1万メートル!」

ロッキードとかグラマン××

などの録音(レコード)を聴いて

、先生に答える授業でした

(添付写真=聴音機)



電鍵操作

2019年11月29日 19時51分33秒 | Weblog


モールス信号の授業は戦時中の

「軍国少年」育成の一環だった

のでしょう。私は別に抵抗もなく

覚えていきました…

どの先生が授業を担当されて

いたのか、覚えていません

… … …

教壇の先生が、トン、ツーの通信文を

電鍵(でんけん)を操作して送信されます

生徒の私たちは、通信文がわかれば、

「ハイ…!」と手を挙げて答えます。また

生徒が教壇の電鍵を操作して通信文を

送信して、受信する生徒が答えるという

授業でした…。

… … …

私も一度、当てられて通信文を電鍵で

送信したことがありました。通信文は

「燃料欠乏ワレ自爆セントス!」でした。

戦闘機か爆撃機が空中戦で燃料が無くなって

敵地に突っ込むという通信なのでしょう。

いくら戦時中のこととは云え、先生から

なんとも酷い文章を教えられたものです。





モールス信号

2019年11月27日 21時46分57秒 | Weblog


当時は、戦時中ですから

学校へ通う生徒の授業は

軍事教育?です。

私らは「軍国少年」です。

授業の中に通信で使っている

モールス信号(符号)を覚える

授業がありました…





モールス符号は短音(・)と長音(ー)で

・トン、ーツーから

成り立っています

い= ・ー (イトー=伊藤)

ろ= ・ー・ー (ロジョウホコウ=路上歩行)

は= ー・・・ (ハーモニカ)

に= -・-・ (ニューヒゾーカ=入費増加)

ほ= ー・・ (ホーコク=報告)

へ= ・ (ヘ=屁)


… … …

など、48文字のモールス符号を

覚えます。そして次に電鍵(でんけん)を

操作して、文章を送信します。

小学生の私は、電気の知識はほとんど

ありません。電鍵を買ってもらって、

中古の気象用ラジオゾンデの部品、

マグネチックスピーカーと乾電池を

組み合わせて、オッシレーターまがいの

ものを作りました。

電鍵を操作するとトン・ツーと信号音が

スピーカーから聞こえます

小学生の私には、モールス符号と

相性が良かったのか何ら抵抗もなく

覚えられました…




授業「満洲大陸」

2019年11月25日 20時55分32秒 | Weblog


当時、世間では「鬼畜米英(きちくべいえい)」とか

「欲しがりません。勝つまでは」や

「勝って兜の緒を締めよ」、

「贅沢は敵だ」などの標語がありました。

戦地で多くの若者が亡くなります。

そこで「生めよ増やせよ」と叫ばれました

今から思うとなんとも乱暴な標語でした


私の通っていた春光国民学校

(しゅんこうこくみんがっこう=小学校)の

授業に「満洲大陸」という授業がありました。

この授業は満洲大陸の歴史、地理に北京語の学習などが

ありました…

中国語のアクセント、四声から始まって

簡単な会話の練習などでした。

我(ウォー) 、你(ニー)、他(ター)

你去不去(ニーチュブチュイ)

貴方は行くの?

他来不来(ターライブライ)

彼は来るの?

など。

早速、近所の地元の人に

話して見ましたが、首を傾げるだけで

通じません。

近所で覚えた言葉は

通じたのですが …





軍艦行進曲(マーチ)

2019年11月24日 22時03分17秒 | Weblog


当時、戦争の状況はラジオの

ニュースとして放送されていました。

ラジオニュースのトップに

大本営発表(だいほんえい)と

アナウンスがついて華々しい戦果を

挙げたときは、

軍艦マーチが流れて、それを

バックに戦果が放送されていました



戦争の最初の頃は、かなりの

戦果を挙げていたのですが

だんだん思わしい結果が

挙がらなくなってきました

それは、ニュースの頭に

軍艦マーチが流れたわりには

戦果がもう一つと思われました。

当時、小学生だった私の思い出です。













大本営発表

2019年11月22日 21時38分41秒 | Weblog


大東亜戦争の勃発で日本は

戦時体制になりました。

そして、日本の映画界が

整理、統合されて、松竹下加茂撮影所に

勤務していた親父は、満洲映画協会へ

行くことになりました。

家族の私たちも

満洲國新京特別市へ移住することに

なったのでした…

… … …

始まったばかりの大東亜戦争も

最初は華々しい戦果を挙げていました。

ハワイ攻撃、マレー沖での

戦艦レパルスとプリンス・オブ・ウェールズ の

撃沈。

スマトラ島パレンバンへ落下傘部隊の攻撃

「空の神兵(しんぺい)」作戦。

マレー半島を南下する自転車部隊

(銀輪部隊)の奇襲作戦などのニュースは

ラジオから大本営発表として放送されました…

日本ではNHKからで、

ここ、満洲では新京放送局?から

でした。新京放送局には

森繁久弥さんがアナウンサーとして

勤務されていたようですが当時の私は

知るよしもありません…






続・水筒を持って登校

2019年11月21日 19時48分14秒 | Weblog


私は京都下鴨小学校の三年生の夏に

満洲國新京特別市(まんしゅうこく、

しんきょうとくべつし)の春光国民学校

(しゅんこうこくみんがっこう)へ

転校してきました…

親父に最初に注意された

ことは、ここでは

「水道の水(生水)を絶対飲んではいけない」と

厳しく云われました。

下痢をすると云われました…

… … …

京都に住んでいたころは

水道水や台所にあった井戸水を

喉が渇けば吞んでいたのに…

… … …

毎朝、母親は生水(水道水)を沸かして

麦茶作って…、

水筒を持たせてくれました

教室に入ると、教室の後に

各自の名前を書いた水筒が

ズラリとぶら下がっていました…

現在、日本の小学生も水筒を持っていって

いるでしょう。70数年前

満洲の小学校では水筒持参で

登校していたことになります。

… … …

どうして満洲の水道水を吞むと

日本人は下痢をするのでしょうか?

あとでわかったのですが

日本の水道水(生水)は軟水です

ところが満洲や大陸の水は

硬水なのです

軟水で育った日本人が満洲の

硬水(生水)を吞むと下痢を

するのかも知れません?





水筒を持って登校

2019年11月20日 21時23分44秒 | Weblog


満洲、春の砂嵐は半端ではなかったです。

満洲より本場の中国の砂嵐は

もっと凄まじいのかも知れません。

日本の京都の春は穏やかでしたが

大陸性気候の満洲の春の始まりは

なんともスゴいものでした…

… … …

京都の春の静かな景色を眺めていると

遠景がボーッと霞んでみえる

いわゆる春霞(はるがすみ)があります

… … …

この日本の春霞は、

この中国、満洲の、春の砂嵐

の砂粒が海を越えて日本の空へ

やって来ていたということを

後で知りました。

… … …

満洲は大陸性気候のせいで

雨はあまり降りません。

毎朝、寝床で眼が覚めると

喉がカラからに渇いていて

びっくりしました…

春が過ぎる頃になると、

空気はますます、乾燥して

きます…。

毎朝、母親が用意してくれた

麦茶の入った水筒を持って

学校へ行きます…


砂嵐の中を…

2019年11月19日 19時36分54秒 | Weblog


国民学校(小学校)へ 登校するのに

ゴーグルをかけて、砂嵐の中を

歩いて行くのは初めての経験でした

一寸前を歩いている人がゴーグル越しに

黒っぽくボンヤリ見えるだけで、

あとは真っ黄色です

この強風の砂嵐は一日中ということも

なく、数時間で一応収まります

親父も出勤にはゴーグルをかけて出掛けて

いました…

しかし、母親はゴーグルをかけません

でした。砂嵐が収まった時を見計らって

近くの市場へ出掛けていたようです


私らの家の近くには個人商店はありませんし

一戸建ての住宅もありませんでした。

すべて煉瓦造りの官舎?のみでした

… … …

この厄介な砂嵐は、道を歩くのに不自由なだけでなく

家の窓の僅かな隙間?から室内に侵入するのです

廊下に薄らと細かな砂が積もります

砂というより細かな粘土の粒子でした

… … …

廊下に積もった粘土質の砂に雑巾がけをすると

この粘土質の砂が筋になって廊下に残りました

掃除をする母親は難儀していました。






黄塵万丈(こうじんばんじょう)

2019年11月17日 19時11分01秒 | Weblog


満洲、新京に来て初めての春を

迎えることになったのですがある日、

親父にゴーグルを買ってもらいました。

「当分、春には必要になる…!」と

云われました。

ゴーグルとは水泳の水中眼鏡や

スキー選手が競技で使う眼鏡の

ことです…

プラスチック万能の現在では

格好いいデザインがありますが

当時はガラスだけでしたから実用本位です。

親父に貰ったゴーグルは

水中眼鏡ほど気密ではありませんが

なぜ、ゴーグルが必要かわかりません、

… … …

初春のある日、登校時の朝

窓の外を見ると強い西風とともに

あたりが真っ黄色になって、何も見えません

真っ黄色の原因は、細かな砂粒が強い風で

舞い上がっているのです…

ゴーグルは、この強烈な砂粒から

目を守るのだと、はじめて気が付きました

私は登校のため、ゴーグル(水中眼鏡風)を

着けて外へ出ました…

私の前、1、2メートル先を歩いている人が

ボンヤリと黒っぽく見えるだけです…

この強い風と黄色い砂煙の道を歩いて

学校へ到着しました。登校してくる生徒達も

全員ゴーグル姿です。そして校舎に入って

学生服についた砂粒を払っています…

… … …

日本へ帰ってから、

「黄塵万丈(こうじんばんじょう)」と

いう四字熟語を知りました。