初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

グレン・ミラー楽団

2016年01月31日 20時46分32秒 | Weblog


当時の私は、河原町今出川のレコード店へ

よく行きました

そこの店主から,このレコードはいいですよと

勧められたのが

グレンミラーの「真珠の首飾り」でした




聞き覚えのあるサウンドでした

中学生のころ,浜松セントラル劇場

で見た映画、ソニア・ヘニーの「銀嶺セレナーデ」

にグレン・ミラー楽団が出演していたのを

思い出しました



続いて、グレン・ミラーのテーマ曲の

「ムーンライト・セレナーデ」

「サンライズ・セレナーデ」も揃えました



グレン・ミラーは戦時中、英仏海峡で消息を絶っています

戦後、在団していたテックス・ベネキー(テナー・サックス) が

バンド・リーダーとなってグレン・ミラー楽団を再編成しました

そして「茶色の小瓶」など数々のヒット曲を

再録音しました



「真珠の首飾り」を録音した当時のグレン・ミラーは

人気も演奏も熱気をはらんで絶好調でした

… … …

テックス・ベネキーのグレンミラー楽団(ニュー)は

音色も演奏もスマートで良いのでしたが

熱気が少し乏しいようでした







トミー・ドーシー楽団

2016年01月30日 20時02分38秒 | Weblog


クラシックをスイング風に編曲された

レコードは

新しく発売されたビクターのS盤、

コロンビアのL盤の他に

普通ラベルのSPレコードでも

発売されていましたに



トミードーシー楽団の

インドの唄(リムスキー・コルサコフ) と

春の歌(メンデルスゾーン)のレコードを

持っていました





また、ブルースを演奏するウディ・ハーマン楽団は

剣の舞(ハチャトリアン)など,クラシック編曲のレコードをと

私でも数枚持っていたのですから、アメリカではもっと

多く発売されていたでしょう



このへんの事情をジャズの歴史物語・油井正一著によると

音楽戦争(102P)の項目に放送、レコード、などの

著作権問題が発生して,ストライキ騒動になったとあります



さらに、その騒動から逃れるために

古い歌曲、古いクラシック、民謡などは,著作権問題のない

PD(パブリック・ドメイン)といって公共所有物なので、

クラシックの編曲が流行ったのでしょう









フレディ・マーチン楽団のクラシック

2016年01月29日 21時48分02秒 | Weblog


センチメンタル・ジャーニーで

ヒットを飛ばしたレコード会社は

新しいアメリカの軽音楽を輸入しました

日本ビクターはS盤という新シリーズを

発売しました。

ラジオ東京から「S盤アワー」というラジオ番組も

好調でした



日本コロンビアはS盤に対抗して

L盤が登場して

同じ放送局のラジオ東京から「L盤アワー」が

始まりました



三条新京極の十字屋レコード店で

S盤、フレディー・マーチン楽団を

二枚購入しました



なんとクラシックでA面が

チャイコフスキーのピアノ協奏曲で

B面がグリーグのピアノ協奏曲でした

フレディ・マーチンはダンスバンドですから

メロディをダンスミュージック風に

アレンジされていました



チャイコフスキーのピアノ協奏曲の第1楽章は

三拍子ですがここでは四拍子で演奏されています

なんとも不思議な雰囲気でした



もう一枚はバンブル・ブギーのタイトルで

これもクラシック、リムスキー・コルサコフの

熊ん蜂の飛行をジャック・ファイナのピアノが

エイトビートのブギウギのタッチで鮮やかでした。



いずれも,六十数年前,私が高校生時代に聞いた演奏が

YouTubeに入っていました。

YouTubeはなんともすごいサイトです。










センチメンタルジャーニー

2016年01月28日 19時59分40秒 | Weblog


5球スーパーを組み立てるのと同時に

SPレコードのレコード・プレイヤーも

組み立てました。



赤井のフォノモーターに小林理研の

クリスタル・ピックアップ、

箱は岡田ケースでした

ピックアップの出力を5球スーパーの

DH3Aのドライバーにつなぎました

そのため出力の大きい

クリスタル・ピックアップを

使いました




当時、京都には,新京極,河原町今出川に

とあちこちにレコード店がありました



三条通の十字屋レコード店で

コロンビアレコードの

ドリス・ディ唄う「センチメンタル・ジャーニー」を

買いました。私にとって戦後のアメリカ軽音楽

レコードは初めてでした



早速,父親と一緒に聞きました

伴奏のレス・ブラウン、バンド・オブ・レナウンの

少し長いイントロに強烈な合奏のあと

専属歌手、ドリス・ディの歌が浮かび上がります

一緒に聞いていた父親は

「この歌手の声は少しかすれているね…」と

云いました。

なるほど,ドリス・ディは軽い

ハスキー・ボイスでした





当時、アメリカのポピュラー歌手は楽団の専属から出発していました

フランク・シナトラはハリー・ジェイムス楽団(トランペット)や

トミー・ドーシー楽団(トロンボーン)の専属歌手でした






ラジオの名アナウンサー

2016年01月27日 21時19分24秒 | Weblog


高校生にラジオを作る趣味が広がって

いたころ,ラジオは全盛時代でした



音声だけのラジオで放送される舞台中継、

各種スポーツ番組など

当時は担当するアナウンサーの話術のみで

舞台、競技場、球場が目に浮かびました

… … …

担当するアナウンサーの力量もさることながら

現場の情景を心に描く

聴取者の想像力も大したものでした



戦後、ラジオにテープレコーダーが導入されて

始まった、名物番組「街頭録音」の

藤倉修一(ふじくらしゅういち)、

相撲中継、舞台中継の

和田信賢(わだしんけん=わだのぶかた)

プロ野球中継の志村正順(しむらせいじゅん=しむらまさより)

などの名アナウンサー

と野球解説の小西得郎(こにしとくろう)さんの

「なんと申しましょうか…」の名調子も覚えています



公共放送のNHKの第一放送、第二放送のところへ

広告収入で経営する民間放送がスタートしました

最初、大丈夫かと案じられていましたが

全国的に民間放送が次々に開局されて

ラジオのダイアルが賑やかになりました



しかし、NHKではテレビジョンの

試験放送が始まりました

ラジオ製作の教科書的な雑誌

ラジオ技術などもテレビジョンの

解説が載るようになりました








短波放送のいろいろ

2016年01月26日 19時04分46秒 | Weblog


短波放送は主に外国から飛んでくる電波です

スピーカーに耳を傾けていると

放送が波を打っているような

うねるように聞こえてきます

いかにも遠方からの電波だと実感します



この現象をフェージングと云われています

電波が地上波と電離層に反射する波と

干渉するからでしょうか

… … …

スーパーヘテロダイン・ラジオには

中間周波増幅真空管のゲインを調節する

AVC回路(オートマチック・ボリューム・コントロール)が

あるのですが、このフェージングを完全に取り除けませんでした



もう一つ外国の日本向け短波放送を聞いていて

困ることがありました。

それは妨害電波です

放送が始まると,途端に

ジャーッともの凄い音が放送に被さります

ジャミングと云うのですが



大陸のどこからか大出力で雑音の

電波を出すのです

きっと放送内容が、

その国にとって都合が悪いのでしょう



日本標準時を送信するJJYがありました

毎秒、コツ…コツ…と聞こえて周波数は

5,10,15メガサイクル等でした

いまは,40,60キロヘルツで

電波時計の較正に使われています

… … …

短波放送をダイアルで探していると

アマチュア無線局を受信することがありました

友人のなかにはアマチュア無線へ進んだ人が

何人かいました







短波放送を聞く

2016年01月25日 21時22分04秒 | Weblog


オールウェーブ・ラジオで初めて

短波放送を聞き始めました

中波ラジオを聞くようにダイアルを

大ざっぱにまわしては外国のラジオ局を

捕まえることができません



短波帯でダイアルをまわしていくと

ところどころでポツッと

聞こえるところがあります

そのボツッと聞こえる場所にラジオ局が

沢山あるのでした。



ボツッと聞こえる場所をソーッとゆっくりと

静かにダイアルをまわすと,短波のラジオ局を

つかまえることができました



アメリカからVOA(ヴォイス・オブ・アメリカ)、

「アメリカの声」としてハワイ?グアム?あたりから

放送していたのでしょう

それに中国、北京から日本向け放送

ソ連、モスクワから日本向けの放送などがありました

VOAの受信報告をアメリカ大使館に送ってみたところ

ベリカードを送ってくれました



モスクワからの日本語放送のアナウンサーは

岡田嘉子(おかだよしこ)さんでした

父親から岡田嘉子さんのことは聞いていました

松竹下加茂撮影所作品「一本刀土俵入り」の酌婦お蔦役で

一緒に仕事をしたらしく、なかなか綺麗な女優さんだったと

聞いていました。



岡田嘉子は杉本良吉と樺太から橇に乗ってソ連へ越境し

亡命しました。敗戦後、岡田嘉子は短波放送「モスクワの声」の

アナウンサーを引き受けたようでした。彼女は一度帰国しています









オール・ウェーブラジオ

2016年01月24日 20時31分52秒 | Weblog


折角、組み立てたラジオのスイッチを

入れても,うんともすんとも、云わない時は

まず、配線ミスですから、配線を1本1本

たどっていきます



配線図の読み違いや、部品の極性を

間違えていることもありました

各ポイントの電圧をサーキット・テスターで

計っていきます

何とか間違いを見つけて電源を再投入すると

ザーッと空電が受かります。



しかし,組み立てたラジオの間違いを直した

時は、すでに深夜なので、

折角のラジオ局はその日の

放送を終了していることがありました

… … …

当時は、今のように深夜放送はありませんでした



ラジオは国内の中波放送以外に

海外から短波(たんぱ)放送が入ってきます

5球スーパーラジオを組み上げた次は

短波放送も受信できるオール・ウェーブ・ラジオを

組み立てました



戦時中は,国内で短波放送を受信すると

スパイ容疑で逮捕されたのが

敗戦によって,短波帯が開放されました

… … …

京都四条寺町のラジオ部品街の中川ムセンから

短波用の同調コイルとバンドスイッチを組み合わせた

トリオ製(旧春日無線=現・ケンウッド)の

部品を使って作りました









5球スーパーの組み立て

2016年01月23日 19時07分00秒 | Weblog


ラジオを組み立てる風景をチョット

まず、アルミシャーシーに部品を取り付ける

穴を開けることから始めます



手回しのハンド・ドリルで穴を開けていきます

この作業が面倒な力仕事でした

穴を広げるリーマー、真空管のソケットの穴を

開けるのにはシャーシー・パンチなど

開けた穴でけがをしないようにヤスリをかけます



穴開けが済んだら部品を螺旋でシャーシーに

止めていきます

部品の取り付けが終わるといよいよ

部品と部品を裸銅線を半田付けでつないていきます

半田付けも最初は厄介でしたが、だんだん上手くなっていきました



部品間をつなぐ銅線もいまのようにビニール線ではなく

飲み物のストローのような色とりどりの

エンパイアチューブにエナメル線を

通して(絶縁して)配線しました

何日か、かかって配線が済みます

配線に間違いがないか,配線図を見ながら

再チェックしていきます





出来上がったラジオに初めて通電するのは

スリル満点です

スイッチを入れると並んだ真空管のヒーターが

ポーッと赤く点きます

しばらくすると,スピーカーから

ザーッと雑音が聞こえてくると

第一関門は通過です










5球スーパーラジオへ

2016年01月22日 18時53分22秒 | Weblog


ラジオ雑誌にこれからのラジオは

スーパーヘテロダイン方式に

なるだろうの記事に従って私も

スーパーを作ることにしました



簡単に回路を説明すると

受信した電波をまず、中間周波数(463キロサイクル)

に変換して増幅検波した音声信号で

スピーカーを鳴らす方式です



京都四条寺町下ルのラジオ部品街では

すでに、5球スーパー・ラジオ用の

さまざまなラジオ部品が並んでいました

… … …

私は中川ムセンへよく通いました

店は部品を並べるカウンターがあります

そして、そこから奥に長い棚があって

部品がずらり並んでいました



カウンターに、おばさんが座って仕切っています

私はおばさんに,

「QQQの中間周波トランスをください…」

おばさんは

「兄ちゃんは学生さんやろうQQQのトランスは贅沢や

×××のトランスにしとき…」

と少し安い部品を勧めてくれます

… … …

実に部品に詳しい名物おばさんでした



6WC5,6D6、DH3、6ZP1、12Fの

5本の真空管、2連バリコン、コイル、

アルミシャーシー、オンキヨー6インチ半スピーカー

岡田ケースなど

毎月、小遣いを貯めて、名物おばさんから揃えていきました