親父のカメラ、プラウベルマキナ 2018年10月31日 21時50分21秒 | Weblog 親父と初めて、哲学の道から 南禅寺までのカメラハイキングの 仕上げは、帰宅してから 私は、フィルムの現像をタンクで おこないました。 私の親父は映画人になる前の 若かったころは… 東京、日本橋の白木屋百貨店の 写真スタジオで営業写真家として 人物写真を手がけていたようでした … … … 私が小さかった頃、二階の親父の 戸棚には、シートフィルムを使う カメラ、プラウベルマキナ(戦前の)が ありましたし 35㍉フィルム用、ノーベルトの 現像タンクがありました…
南禅寺で昼食 2018年10月30日 21時31分44秒 | Weblog 銀閣寺道の哲学の道から 永観堂、南禅寺へと 親父と初めてのカメラハイク でした… 南禅寺の三門の上で 私に扉を閉めろという難題だけで 後は、私に無理強いをしませんでした 南禅寺を回って親父とのカメラハイキングは 無事終わりました。 親父は時代劇映画のロケーションでなんども 南禅寺に来ていますからこの寺の隅々まで 知っているはずでした… 南禅寺のあちこちを撮り回って 親父はもう止めよう!と言い出しました 南禅寺の名物、湯豆腐の「奥丹」へ寄りました 親父は日本酒と湯豆腐を旨そうに食べていました … … … 最近の「奥丹」はデラックスな店構えで大変ですが 親父とのカメラハイキングのときの「奥丹」は ひつそりと静かで、入りやすい店構えでした
親父と南禅寺の三門を昇って 2018年10月29日 22時35分08秒 | Weblog 南禅寺の山門の階上?へ昇って景色を 親父はローライコードで 狙っていて、親父は私に 注文を付けました そこの扉を閉めてくれ! と親父は云います そら、親父の難問が始まりました… 私は仕方なく、近くに居た 参拝客に断って扉を閉めていきました 幸いまわりにお寺の人がいなくて トラブルはありませんが… 親父は何を言い出すが困った人でした その後、南禅寺境内を流れる琵琶湖疏水の 水路閣を撮りに行きました この水路閣は明治維新後に建立されたらしく モダンな煉瓦造りの橋梁?なのですが 時代の経過で、寺院とモダンな煉瓦造りの 水路橋が違和感なくしっくりマッチしているのが 不思議です
親父と南禅寺の山門へ 2018年10月28日 21時41分25秒 | Weblog 少し話が脱線しました… 親父と初めて哲学の道から 永観堂→南禅寺への カメラハイクの話に戻します 親父は仕事の現場でかなり 無理な注文をスタッフに云う と噂で聞いていました 親父と和やかに写真を撮りながら 散歩していたのですが… 何時、親父が私に無理難題を 云うのではないか…と 心配しながら最後の南禅寺に 着きました。 早速、南禅寺の山門に昇りました 当時、山門の拝観料はありません 山門の上からあたりを眺めると すばらしい景色でした 石川五右衛門の「絶景かな…」の 台詞に納得がいきました…
親父への想い出 2018年10月26日 21時07分16秒 | Weblog 学生時代の私は、 二階の押し入れを一つ貰って 暗室にしていました… 遮光が不完全だったので 引伸しプリント焼き付けと現像のみでした。 フィルム現像は、ダークバッグで 現像タンクのリールにフィルムを 巻き付けて、液温計で現像液の 温度を調節しながら行っていました フィルムの現像処理が済んで、 乾燥後、フィルムを見ていると 親父は、「俺に見せろ…」と 私の仕上げたネガフィルムを取り上げます 当時のカメラは自動露光ではなく マニュアル露光でしたから ネガフィルムの濃度はガタガタでした… そのまだらになったネガフィルムを見ても 「フーン…」と云うだけで フィルムの露出のバラツキには何も 云いません… それから数十年経って気が付いたのですが… … … … 息子がカメラを持ってどこをうろついたのか ネガフィルムを見れば一目瞭然です 親父は、コイツはこんな処を彷徨いていたのか?と 思いながら、露光の不揃いな私の ネガフィルムを見ていたのかも知れません…
ただ一度、親父とのカメラハイキング 2018年10月25日 21時26分32秒 | Weblog 静かで、人通りも少なかった 私の学生時代の京都、 哲学の道から永観堂→南禅寺への 何となくの私の散歩は、今から思うと 超デラックスな散歩でした… 大学生だった私は毎日がヒマ?ですから 春、秋の季節に天気が良いとき カメラ片手に何度も出掛けていました ある日、いつもの散歩に出掛けようとしたとき 休みだった親父が「俺も一緒に行く…」と 言い出しました… 私の親父は映画カメラマンで 私の写真への興味は、 親父に火を付けられました… 親父は足が達者でしたから、 散歩に何ら心配はありません カメラは、35㍉フィルムの ライカDⅢにニュー・エルマー (コーテッド)50㍉・F3、5と ブロニーフィルム(6×6判)の 二眼レフ、ローライコードⅢ型 レンズは、シュナイダーのクスナー 75㍉・F3、5でした… … … … 豪華なラインナップでしょう… フィルムはモノクロフィルムで ネガ現像から引伸しプリントは 私が行っていました
永観堂から南禅寺へ 2018年10月24日 21時13分42秒 | Weblog 大勢の観光客を集めた永観堂を あとにして、ひっそりとした 道を南へ歩いて行くと やがて、南禅寺の境内に着きます 南禅寺はまず大きな山門の前に 出ます。山門は太い柱で支えられて います。この山門も時代劇映画の ロケーションによく使われます 時代劇テレビ映画「暴れん坊将軍」で 何回か使われていました 南禅寺も春の桜、秋の紅葉のシーズンに なると、観光客が大勢押し寄せますが 普段は、ひっそりした広い境内で 時代劇の立ち回りのシーンによく使われ ていました。 私も何度かの散歩でこの、南禅寺の広い境内で 映画のロケーションに出会ったことがありました 銀閣寺道を出発点に哲学の道→永観堂→南禅寺の コースが私のいつもの散歩コースになって いました…
永観堂の紅葉 2018年10月23日 21時56分17秒 | Weblog 永観堂(えいかんどう)は秋の 紅葉の風景は素晴らしいものです しかし、この素晴らしい境内の紅葉に 参拝客はちらほらでした … … … あるとき、NHKテレビの朝のワイドショウ番組で 秋の紅葉の名所を月~金で放送して いました… そして金曜日?に、この永観堂の紅葉風景を 放送しました… ワイドショウ番組、レギュラーの美人女子アナ数人を 着物姿で境内を歩かせました… 和服姿で境内を歩く美人女子アナ数人と 境内の紅葉が映えて、素晴らしい番組でした この番組が切っ掛けになったのか?…あらためて 永観堂の紅葉が 全国的に見直されて 以後、秋の紅葉シーズンになると、 静かだった永観堂には、観光バスをはじめ タクシーがドッと押し寄せるようになって しまいました…
永観堂の見返り阿弥陀如来立像 2018年10月22日 21時36分24秒 | Weblog 銀閣寺近くの哲学の道を振り出しに 私の散歩は、若王子(にゃくおうじ)、 天王町(てんのうちょう)を過ぎて 永観堂(えいかんどう)にやって来ました… 永観堂は秋の紅葉では超有名ですが 私の学生時代は、それほど人出は ありませんでした 永観堂には、紅葉のほかに 見返り阿弥陀如来立像が有名でした 普通、仏様はいずれも正面を向いて おられます。ところが永観堂の 仏様は、遅れてついてくる弟子を 見守るように振り返っておられるのです 仏様を美実品として見た場合、普通、仏様は 総てお顔は正面を向いておられます。 しかし、ここ永観堂の見返り阿弥陀さまは 横を向いておられます。 作者のセンスが 素晴らしいと感じました…
哲学の道を散歩する 2018年10月20日 22時08分42秒 | Weblog 私が大学生だったころの 京都は実にのんびりした ところでした… 私が大学生のころと云えば いまから約60数年前ということに なります… 当時、私の実家は京都市内東北の 銀閣寺道にありました。 ときどき、散歩では、私は まず、近くの哲学の道から歩き始めます 哲学の道は橋本関雪画伯が植えた 桜並木の道で真ん中を琵琶湖疏水が流れている 小径です。 哲学者、西田幾太郎がこの小径を歩いて 思索にふけったと云われて、哲学の道と 云われるようになったそうです… 毎年、春の桜の季節になると、 大勢観光客が訪れていましたが、それ以外は 哲学の道の名前に相応しく、静かな小径でした 大学生の私は、カメラを携えてこの小径を よく歩きました 哲学の道を南に行くと、若王子(にゃくおうじ)に 出ます…そして、真如堂(しんにょどう)の五重塔を西に 眺めながら永観堂(えいかんどう)へ到着します…