初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

汽車の窓から

2020年04月30日 20時16分24秒 | Weblog


佐世保、南風崎駅から汽車に乗って

驚いたことがありました。

列車が駅を出て走り出すと

まず、川が流れていて、そして

鉄橋をゴーッと渡ります。

すると次に町の中を走っています

そして、トンネルに入ります。

トンネルと出るとまた、町があって

とめまぐるしいのです…



満州で、汽車の車窓からの景色は

1時間、2時間走っても広大な野原か

高梁畑が延々と続いていて、全く同じ景色が

続いていました…

本当に汽車は走っているのかと思うほどでした。

そのノンビリした満州の列車に比べて

日本の汽車はなんとせせこましいのかと

あらためて実感しました…

… … …

日本の列車は

模型列車の レイアウトの上を

走っているように感じました。





関門トンネル→広島を通過

2020年04月28日 19時37分27秒 | Weblog


私たち日本人引き揚げ者を乗せた

臨時列車は南風崎駅を出発しました。

九州の南風崎を出発したのですから

本州に渡るのに、関門トンネルを通ります

海底トンネルですからどんなトンネルかと

期待していました。

… … …

やがて関門トンネルを通りますが

別に海底だからというのでもなく

普通のトンネルでした。

水族館のように魚の間を通るわけでも

ないのですから当たり前です。



私たちが乗車した臨時列車は客車で

ちゃんと椅子に座れたのですから

文句はないのですが…

客車の窓がガラス窓ではなく

窓枠に木が張られていて

外が見えないのでした。

日本が戦争に負けて、

世の中が大変だったのでしょう

… … …

この臨時列車は午後、出発して

本州に向かったのですから

日が暮れてきて暗くなっていました。

やがて列車は広島を通過します。

広島には新型爆弾(原子爆弾)が

投下されて壊滅したと聞いていたので

窓の隙間からあたりを見回したのですが

外は真っ暗で町の様子はわかりません


でした…





臨時列車は「南風崎駅」を出発

2020年04月25日 18時33分27秒 | Weblog


私たち家族5人は、

国鉄・南風崎駅(はえのさき)に

やって来ました。

… … …

行き先は親父の故郷

浜松です。

親父の上の兄が浜松で

歯科医を開業していました。

… … …

親父の父親は浜松で歯科医をしていて

親父の兄が引き継いだのです。

母親の父親も銀座新富町で歯科医を

開業していました。

親父と母親のなれそめはドラマチック

だったと聞いていましたが…

それぞれの父親が同じ医者というので

あれば、両親の親父同士なんとなく

知り合いだったのかも知れません…

… … …

私たち家族5人は南風崎駅で

引き揚げ者臨時列車に乗り込みました。

満州新京から無害貨物列車、「信濃丸」と

床に家族車座になって乗り継いできました。

この臨時列車で初めて座席に座ることができました。

列車は蒸気機関車です。

今でこそ、SLと憧れていますが

当時、長距離列車は蒸気機関車でした。

… … …

日本人引き揚げ者を大勢乗せた臨時列車は

南風崎駅を出発しました…。





南風崎駅

2020年04月24日 20時58分38秒 | Weblog


私たちは新京から貨物列車で葫蘆島の

収容所へ長旅をして、そして港から

「信濃丸」に乗船して日本へ

帰ってきたのですが、その「信濃丸」の

引き揚げ船の中で伝染病が発生して

長い日数、船の中で過ごしました

… … …

長旅の日数は一ヶ月を超えていました

その間、一度も入浴していなかったと

思います。

私の記憶にありませんが、風呂へ入れなかった

としても、何度か、行水くらいはしていたはずです。

… … …

大勢の引き揚げ者の中には

害虫の蚤や虱をわかせていたのかも知れません

その害虫を駆除する目的で

桟橋で殺虫剤DDT(ディディティ)を

浴びせられたのかもしれません。

… … …

DDTを浴びると、まるで喜劇映画の

メリケン粉を浴びるギャグのように

頭髪から足下まで真っ白になりました。

現在、こんなことを政府が行えば

大問題、間違いなしでしょう。

… … …

私たち引き揚げ者たちは、

身体に浴びせられた白色の

DDTを払い落として列をなして

畑、野原の細い路を歩いていました。

やがて、国鉄の小さな駅に到着しました。



その小さな駅の駅名を見ると

南風崎とあります。

私にはなんと読むのかわかりません

駅名の下にひらがなで

「はえのさき」とありました。

… … …

添付写真は今のものです。














DDT (ディディティ)

2020年04月22日 21時24分47秒 | Weblog


私たちの乗った、引き揚げ船「信濃丸は

緑の場所を目指して進んでいます。

その緑にどんどん接近していくと突然、

緑が開いて水路が見えました…

さすが元軍港だけあって、陸地に近付いても

港がなかなか見えません。

… … …

いよいよ桟橋が近付いてきて

私らは「信濃丸」の長い階段を

下りて、小さな船に乗り換えます

… … …

私は下船に際して、私を可愛がってくれた

船員さんに別れの挨拶を交わしました。

私たちの乗った小さな船は桟橋に着きました

… … …

桟橋に下りた私たちの財産は

それぞれのリックサック一つです。

私たち引き揚げ者たちは並んで

桟橋を歩いて行くと、

大きな噴霧器を持った係員が

桟橋の外れで待ち構えていました。

並んで歩いて行く私たち引き揚げ者の

頭の上からその係員は白い粉を

浴びせます…

… … …

白い粉を浴びせられた私ら

引き揚げ者は全身、真っ白になりました。

あとでわかったのですが、頭から浴びせられた

白い粉は、DDT(ディディティ) と呼ばれる

殺虫剤でした…



博多港から佐世保港へ

2020年04月20日 20時37分21秒 | Weblog


日本人引き揚げ船「信濃丸」に

乗っていた私は、強烈な台風に遭遇した

のは、初めての経験でした…

しかも、船上で…

… … …

台風一過、晴天で波の

静かな時が、何日も続きました。

あの法定伝染病「腸チフス」の

患者さんは隔離するため

下船させたのでしょうか …
… … 

引き揚げ船「信濃丸」では

「腸チフス」の患者さんは

増えませんでした…

「信濃丸」は一月近く博多港に

停泊していましたが…

錨を上げて博多港をあとにしました。

上陸するのは博多港ではなく

佐世保港(させぼ) からと知らされました。

佐世保港はかって日本海軍の軍港でした。

沖合から佐世保港はさっぱり見えません

突然、緑の島の間から船舶がポッカリ現れます

この軍港を空から眺めると丸見えなのでしょうが

船上からは、何処が港なのかわかりません

私はこの佐世保港からやっと日本へ上陸できると

わくわくしていました。




台風メッカ

2020年04月17日 19時16分43秒 | Weblog


私たちの乗った日本人引き揚げ船

「信濃丸」は、目の前の日本、

博多港を見ながら上陸出来ません。

… … …

博多港の沖合から日本を眺めながら

「信濃丸」の数日は過ぎました

そこへ、また厭なニュースが

聞こえてきました…

なんと、大型台風の襲来です。

… … …

私らの乗った「信濃丸」は台風に

備えて、船の方向、投錨など

対策は行われたはずです。

私を可愛がってくれた船員さんも

「大丈夫だ!」と云ってくれました。

幼かった私には海の上での台風など

全く知りません。

… … …

寝ていた私は、あまりに船が

揺れるので眼が覚めました

私は、たちまち船酔いになって

いました…

6千㌧級の貨客船「信濃丸」も

嵐(台風)なかで木の葉のように

揺れています…

船室の丸窓から外を覗いてみると

小山のような大きな波で、博多港は

荒れ狂っています。

こんな大きな波は初めてでした

… … …

日本に押し寄せる台風は

沖縄から九州を通ることが

あとで知ることになりましまた。

つまり、日本人引き揚げ船

「信濃丸」は台風メッカの

真っ只中に停泊していたのでした。






ダイヤモンド・プリンセスもどき

2020年04月15日 21時20分18秒 | Weblog


私たちが乗った「信濃丸」が博多港に

近付いたころに、検疫があったか

どうか覚えていません…

しかし、一応なんか検査があったから

法定伝染病「腸チフス」患者が

見つかったのでしょう…

… … …

最近の事件で例えれば

入港を拒否された

ダイアモンド・プリンセス号ですね。

… … …

満州新京から葫蘆島そして

引き揚げ船「信濃丸」に乗船して

やっと、日本の博多港に帰ってきて

いよいよ、上陸というときに

待ったがかかってしまいました。

… … …

信濃丸は再び沖合へ出て

投錨しました…

いつ上陸できるか、わからなく

なりました。

味噌汁とご飯だけの三度の食事が

当分、続くことになりました。

ヤレヤレです。







法定伝染病

2020年04月12日 22時39分41秒 | Weblog


満州からの日本人引き揚げ船

「信濃丸」は、ついに博多港へ

帰ってきました…

… … …

私の親父は3年間の約束で満州へ

私ら家族を連れて渡ったのですが、

思わぬ敗戦で帰国が長引きました。

それでも、4年で帰れるのですから

よかったのでしょう…

… … …


博多港が見えてきましたが

沖合でイカリを下ろして停船しました。

明日はいよいよ上陸か?と、

引き揚げ者みんなに、喜び広がりました

… … …

突然、「信濃丸」乗船の引き揚げ者に

知らされました…

引き揚げ者の一人に

法定伝染病の「腸チフス」患者が

出たニュースが広がりました

… … …

※博多港の添付写真は現在のものです





「信濃丸」は博多港を目指して

2020年04月10日 21時03分44秒 | Weblog


朝、甲板に上がってみると

遠くに、小さな島が見えます

島全体が緑に包まれています

どうやら、日本の島のように

思えました

… … …


満州新京から無蓋車の貨物列車に

乗せられてそして、葫蘆島の収容所から

引き揚げ船に乗せられてやっと、

日本へ帰ってこれました

… … …

幸い、私たち家族は、両親も、兄弟も

病気も怪我もなく無事帰ってこれました

実に、ありがたいことでした。

… … …

満州新京から、この「信濃丸」に

乗船して帰ってきましたが…

どれだけ日数がかかったのか

さっぱり記憶がありません。

… … …

この引き揚げ船「信濃丸」は

どうやら九州の博多港を目指して

いると知らされました。

いまの日本はどうなっているのか

とわくわくしながら博多港を

待ち望んでいました。