初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

テレビ番組「ミッドナイト・ジャズ」

2014年05月31日 21時23分06秒 | Weblog


テレビ番組「ミッドナイト・ジャズ」は

スタジオに客席を作って、公開形式でした



一般のジャズコンサートのように

スタジオの客席のあちらこちらに

大きなPAスピーカーが置かれました



テレビ番組「ミッドナイト・ジャズ」の

PA音声担当は外注になりました



舞台上のマイクセッティングは

テレビ局の音声エンジニアが担当して

舞台上のマイクをヘッド分けして

外注PAミキサーに音声を渡して

スタジオ内の客席用(PA)スピーカーを

鳴らしていました



番組制作途中の一服のときに

客席用スピーカーの音量はどのくらいか

PAミキサーに聞いてみたことがありました



なんと客席用のPAアンプは

数キロワットの出力だと答えが返ってきました

当時の家庭用オーディオアンは数ワットから

せいぜい百ワットぐらいでしたから

すごいパワーでPAスピーカーを

駆動しているのですね








大塚善章

2014年05月30日 22時41分13秒 | Weblog


一番大きなテレビスタジオの真ん中に

演奏用の舞台を組んで

その舞台を囲むように

観客用の椅子を並べました


その外側にテレビカメラ三台と

上から撮るクレーン一台で

合計四台です



古谷充(ふるやたかし)に

気のあったピアニスト

大塚善章(おおつかぜんしょう)に

フルートの山形由美さんの

組み合わせのグループでした



モダンジャズの

ラウンド・ミッド・ナイト

ストレート・ノー・チェッサー

マイルス・トーン

などクラシックの山形さんか

器用にアドリブをこなしていました



山形さんのアドリブコーラスは

編曲者が譜面に起こしたのかもしれません



山形由美さんの演奏するフルートの

値段を誰かが聞きました

一千万円に近い数字が答えでした。










山形由美さん

2014年05月29日 22時15分03秒 | Weblog


ハービー・マンがフルートをジャズに

持ち込んで成功しました

日本でもフルートでアドリブをとる

コンボも現れました


関西のテレビで

深夜に放映される

ミッドナイトJAZZ

という番組名でした



1988年10月1日から

89年3月までの半年間

放送時間は深夜25時25分から

30分間で、いまから約26年前になりますか



テレビスタジオに簡単な舞台を作って

お客さんを入れて

小編成のコンポが

演奏するスタイルの録画でした



司会とリーダーはアルトサックスの

古谷充(ふるやたかし)と

クラシックのフルート奏者

山形由美(やまがたゆみ)さんの

トークで始まりました



美人でクラシックのフルート奏者が

ジャズを演奏するというのです










ハービー・マン

2014年05月28日 22時08分50秒 | Weblog


デューク・エリントン楽団に

ユニークなプレイヤーがいました

トランペットでキーと聞こえる

高い音を出すハイノート・ヒッターの

キャット・アンダーソンがいました



同じくトランペッターで

バイオリンにボーカルにと活躍する

レイ・ナンスがいます



ジャズオーケストラで曲の途中で

楽器を持ち替える プレイヤーが

カウントベイシー楽団にもいました

サックスからフルートに持ち替える

プレイヤーがいましたが名前を

ど忘れしました



ジャズ・フルートで人気者は

ハービー・マンがいました



ハービー・マンは最初はバス・クラリネットと

テナー・サックス、それにフルートと持ち替えていたらしい

のですが、ジャズ・フルート第一人者を目指して

フルート一本に絞ったらしいのでした






見砂直照と東京キューバンボーイズ

2014年05月27日 23時33分38秒 | Weblog


当時、ラジオやテレビで

軽音楽オーケストラによる

番組がたくさんありました

有馬徹とノーチェ・クバーナ

多忠修とゲイスターズ、

岡本章生とゲイスターズ

小原重徳&ブルーコーツオーケストラ



高橋達也&東京ユニオン

ダン池田とニューブリード 

チャーリー石黒と東京パンチョス

中沢寿士とMBSジャズオーケストラ



マンボの王様、ペレス・プラード楽団の

「セレソローサ」や「マンボ№5」が

日本で流行りました。若者はマンボズボンを

はいた「マンボルック」もありました



早速、見砂直照(みさごただあき)と

東京キューバン・ボーイズは

マンボをラジオ番組で演奏するのですが

ペレス・プラード楽団のような

エコーがかかりません



ラジオ局のオーディオエンジニアは

スピーカーとマイクロフォンを

社員用のトレイに持ち込んで

臨時のエコーチェンバーにして

演奏にエコーをかけたといっていました

ラジオ局も最初はエコーチェンバーが

無かったのでしょうか


現在は、デジタルマシーンのレバー

ひとつで自由にいろんなエコーが

かけられるようになっています










北野タダオとアロージャズオーケストラ

2014年05月26日 22時24分46秒 | Weblog


京都にナイトクラブ「ベラミ」が

三軒あったと知人で同窓生Hさんより

コメントをもらいました



大阪ミナミの繁華街宗右衛門町に

ダンスホール「メトロ」がありました

オーケストラの活躍するナイトクラブや

ダンスホールが全国に沢山あったのですね



大阪北にナイトクラブ「アロー」がありました

そこの専属オーケストラが

北野タダオとアロージャズオーケストラでした

アロージャズオーケストラに

テレビ番組に出演依頼交渉か

番組内容の打ち合わせか忘れましたが

クラブ「アロー」へ夜、

スタッフで出かけたことがありました



ナイトクラブに初めて出かけたのですが

仕事のことでの訪れたので

酒類は一切なしでした



ただ、クラブ内を歩いている

和服姿のホステス嬢は世の中に

こんな美人がいたのだろうかと

驚嘆しました





小野満とスイング・ビーバーズ

2014年05月25日 21時43分41秒 | Weblog


ビッグ・フォーのイケメンで

ベーシストの

小野満(おのみつる)は

バンド・リーダーとして

小野満とスイング・ビーバーズという

オーケストラを結成します



当時の日本にはジャズ(軽音楽)オーケストラが

たくさんありました



ラテンの見砂直照(みさごただあき) と

東京キューバン・ボーイズ



日本のウディ・ハーマンを目指した

原信夫とシャープス&フラッツ



ちょっと異色の

スマイリー小原とスカイライナーズは

バンドに背を向けて客席に向かって

指揮をするバンド・リーダーのスマイリー小原を

憶えています


ダン池田とニューブリードは

フジテレビの音楽番組

「夜のヒットスタジオ」を

担当していてブラウン管に

登場していました








ビッグ・フォー

2014年05月24日 21時45分19秒 | Weblog


50数年前、テレビ局の玄関で

ナベプロのマネージャーと一緒の

中村八大(はちだい)に会ったことがありました



まだ「上を向いて歩こう」とか

「こんにちは赤ちゃん」

「遠くへ行きたい」などを作曲する前でしたか



当時の日本は、ジャズ・ブームで

「ビッグ・フォー」が人気コンボでした



松本英彦(ひでひこ=テナー・サックス)

中村八大(ピアノ)

小野満(おのみつる=ウッド・ベース)

ジョージ・川口(ドラムス)

の四人でカルテットでした



テレビ局の玄関で偶然、ナベプロマネージャーと

一緒の中村八大に出会いましたが

そのとき、どこかで見た人だなと思いながら、

会釈をしてわかれました



後で気がついて、

ピアノの話を少し伺えば

よかったなと残念な思い出でした














「枯葉」

2014年05月23日 22時24分32秒 | Weblog


マイルス・ディヴィスの

アルバム「サムシン・エルス」の

名演「オータム・リーブス」(枯葉)

を聞いて、シャンソンもジャズになるのだと

あらためて感じました



日本のリスナーは

シャンソンが好きです

そこへシャンソンが

ジャズになりました

ジャズファンも

「枯葉」が気に入ったのでしょう



日本のポピュラーシンガーが

ニューヨーク、ロサンゼルス、

ロンドン、欧州でレコーディングする

話をよく聞きました



そして日本のレコード・プロデューサーの企画も

アメリカやヨーロッパでレコーディング

するようになりました



日本で人気のアーチストを現地で集めて

日本人好みの曲目をレコーディングする

アルバムを作るようになりました



日本人好みの曲といえば

やはり「枯葉」でしょう

いろんなスタイルの「枯葉」が入った

アルバムがレコード店に

並びました







ポートレイト・イン・ジャズ

2014年05月22日 22時56分50秒 | Weblog


ピアノ・トリオの話の続きを

どうぞ



ビル・エバンス・トリオです

アルバム「ワルツ・フォー・デビイ」で

最初の曲目「マイ・フーリッシュ・ハート」が

特に好きでした



このアルバムを制作してのち

すぐベイシスとのスコット・ラファロを

交通事故で喪います



この事故でビル・エバンスは

大ショックを受けて

演奏活動が一時滞ったそうでした



ビル・エバンス・トリオのもう一つのアルバムで

「ポートレイト・イン・ジャズ」の

第一曲は「降っても、晴れても」です

そして第二曲に「枯葉」(ステレオ)と

第三曲「枯葉」(モノラル)が入っています

このアルバムでスコット・ラファロのベースが聞かれます

ドラムスはポール・モチアンで

息の合ったトリオの名演が聞かれます