初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

総天然色映画『地獄門』 ①

2010年02月28日 18時37分29秒 | Weblog


日本で初めて総天然色映画が松竹大船て制作されました。

フジフィルムで『カルメン故郷に帰る』と『夏子の冒険』です。

また、コニカラーで日活は『緑はるかに』を制作しました。





大映は黒澤明監督の『羅生門』を制作して

イタリアのヴェネツィア国際映画祭に出品します。

それがグランプリの 金獅子賞(作品賞)をとってしまいます。

大映は,それ以後、時代劇路線で『雨月物語』『山椒太夫』など

各国の映画祭に出品します。

それぞれの受賞で世界に認めらる映画制作会社になります。
 
              … … …
松竹大船、日活の初の総天然色映画は「現代劇」でした。

大映は総天然色映画を時代劇で企画します。



企画されたストーリーは,菊池寛原作の『袈裟と盛遠』です。

前作『羅生門』にあやかってか題名は『地獄門』となります。






主演女優は京マチ子です。

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旅をしている武士、夫(森雅之)、妻(京マチ子)の2人の前に

悪名高い盗賊(三船敏郎)が現れます。

ここから『羅生門』は始まります。

京マチ子は、おとなしい貞淑な妻だが、

内心では激しい気性を抱えている。

という役でした。

体当たりの熱演で,グランプリ女優,国際女優といわれました。

激しい気性の女性を演じていた京マチ子は

この『地獄門』ではがらりと変わって貞淑な女性を演じます。







主演男優は長谷川一夫(役名・遠藤盛遠(えんどうもりとう))、

京マチ子(役名・袈裟御前(けさごぜん=亘の妻))、

山形勲(役名・渡辺亘(わたなべわたる=袈裟の夫))で、

この3人の三角関係の話です。


時代劇の俳優さんの衣装や,武家屋敷が総天然色映画に

どう映るのか全くの未知数でした…。










お化け電球

2010年02月27日 20時10分16秒 | Weblog



総天然色映画で肝心のコダックの

イーストマン・カラーについて…。

内式のカラーネガフィルムです。

露光指数はASA32でタングステン・タイプです。

今の銀塩フィルムのフジカラー・ネガがASA400ですから

随分,感度が低かったことになります

感度の低いフィルムを使っても映画は画面が動いていますから,

1/50のシャッターで撮らなくてはなりません。

使用するレンズ開放F値(レンズ名・バルター)とシャッター1/50が

露出の限界(明るさの)になります。

スタジオのセットの照明が暗いときは,明るくしなくてはなりません。




R電舎が、20㌔ワットのお化けのような

タングステン電球を作りました。

この電球を入れる照明器具もばかでかいものでした。

その器具を天井からのウィンチで吊り上げて

セッティングしていました。

20㌔ワットといえば,家庭のブレーカーの容量です。

それがずらりと並ぶのですから,すごいことです。

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セットのあちこちに瀬戸物の器に塩を入れて置いてあります。

それを照明係さんはなめながら、

汗まみれになって天井に上がっていきます。

セットの天井は「灼熱の地獄」でした。

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この20㌔ワットの照明器具に切り替えスイッチが付いています。

本番前,このスイッチで半分の10㌔ワットに下げます。

切り替えと同時に、電球を守るためのファンが

「ヒューン…」

と音を立てて廻ります。

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大映では,その照明の熱を冷ますのに冷房スタジオ(A2スタジオ)を

作りました。

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本番前に色温度メーター(スペクトラ・スリー・カラーメーター)で

照明の電球の色温度を、色彩計測係が3200°Kあるか調べて

色温度の低い電球をチェックします。

これがなかなか厄介なことでした…。

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昼光のロケーションは色温度変換フィルター(赤味を帯びた、例えばA12)を

レンズの前に付けなくてはなりません。

フィルターで光線を吸収しますから,

実質露光指数は半分のASA16ぐらいでした。












マックス・ファクター

2010年02月26日 17時36分38秒 | Weblog



大映の総天然色映画のフィルムが

コダックの「イーストマン・カラー」に決まりました。

主だった制作スタッフはアメリカへ出張して

ハリウッドの天然色撮影現場を見ています。




総天然色映画での問題は、

どのようにメイキャップ(化粧)をするかです。

それまで日本映画は白黒でしたから,俳優さんの顔が

画面で白く映っていれば問題がありません。

俳優さんは,メイク室(化粧室)で、ドーランという

錬おしろいで化粧をしていました。
(ドーランとはドイツの製造会社の名前からきているらしいです),

赤に感じやすい白黒フィルムの特性に合わせて化粧をした俳優さんは,

すこし赤味を帯びた顔色に仕上がっていました。

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天然色映画では,画面に色彩がつきますから,

出演者の顔色が健康的に見えないと困ります。

赤味を帯びたドーランでは具合が悪いのです。

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イーストマン・カラーとともに日本に

マックスファクターの化粧品が入ってきます。

マックスファクターは数々のメークアップ製品を

ハリウッド映画界の黎明期から提供し,

映画スターにも愛用されて世界の一流ブランドなのだそうでした。

水で使用する「パンケーキ」が天然色映画用の

ファンデーションとして使われていました。

「コレクティブ・メーキャップ 」呼ばれました。

これを機会にマックスファクターの化粧品が日本の市場へ出ます。





その後、日本で「ミス・ユニバース・コンテスト」が開かれます。

伊藤絹子さんがミス3位入賞して「八頭身美人」と言われ,

世界大会では児島明子さんが優勝しました。

ミス・ユニ開催にマックスファクターはスポンサーになっています。













大映、天然色映画の準備

2010年02月25日 18時07分28秒 | Weblog


写真説明:近くに千代田検車区(南海電車)という

電車整備工場があります。

散歩に出ると,前を南海電車、制服姿の数人が歩いています。

手に提げたヘルメットの黄色が綺麗なので撮りました。




大映で総天然色映画を考えている矢先,

米国コダックが,イーストマン・カラーという

ネガ・ポジ方式のカラーフィルムを

1952年(58年前)に完成しました。

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それまで、アメリカの総天然色映画は,

テクニカラーが主流です。

映像を赤,緑,青の三色にプリズムで分解して

それぞれ3本の白黒フィルムで同時に撮影します。

3本のフィルムを駆動するカメラは大きくなります。

後の現像,プリント処理も大がかりのものでした。

コダックのイーストマン・カラーの方式は,

カラー・ネガ1本で総天然色映画の撮影が出来ます。



大映には,白黒用のNCミッチェル・カメラしかありません。

このNCミッチェルカメラで総天然色映画が撮れるのです。

イーストマン・カラーで大映の

第1回総天然色映画を撮ることに決まりました。





衣笠貞之助・監督をはじめ、主だったスタッフでハリウッドへ

総天然色映画の現場を見学します。

もちろん,コダックとの打ち合わせもあったのでしょう。

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総天然色映画では,照明器具も変わるだろうと,

照明器具製作所のR電舎の若社長、

R敬一郎氏も勉強に渡米します。

当時は,今と違って,渡米は大変だったてしょう。

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アメリカでは,スーツは全部既製服になっていた。
日本の背広は洋服店で採寸誂えでした。

アメリカでは革靴は全部既製品になっていた。
日本の皮の短靴は靴店で採寸誂えでした。

高速道路を走っていると、速い車とすれ違うと

「シューッ…」

と音が聞こえる。

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約一カ月の渡米からの土産話でした。







映画「羅生門」

2010年02月24日 18時41分46秒 | Weblog


黒澤明監督は大映で「静かなる決闘・三船敏郎、三条美紀(現代劇)」

を撮ります。

松竹大船では「醜聞・三船敏郎・山口淑子(現代劇)」を撮ります。
 
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大映京都撮影所(太泰)内に崩れかけた

大きな「羅生門」のオープン・セットを組んで,

「羅生門(時代劇)」の撮影が始まりました。



黒澤監督は空模様が気に入らないと、

オープン・セットやロケーションの撮影をキャンセルします。

日数が延び延びなっていきます。

いつ完成するかわからないスケジュールで、

製作会社には評判の悪い監督さんの一人でした。

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ストリーは簡単に言うと、

検非違使(けびいし)の前に巫女に呼び出された死人を含んで,

3人の被告が裁判を受けます。

その3人のそれぞれの立場で証言が食い違うというストリーです。

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黒澤明監督のスタッフは,ストリーが

さっぱり判らない写真(カツドウ屋は映画のことを写真と呼びます)

だと嘆いていました。

3人の証言に基づいて,映像を組み立てていきますから,

少しずつ違うストーリーを何回も撮ります。

余計,理解しにくかったのでしょう。



この映画が封切りされた当時は,

あまり話題になりませんでした。

それを、誰かの推薦で,イタリアのヴェネツィア国際映画祭に

出品します。

それがグランプリの 金獅子賞(作品賞)をとってしまいます。

改めて、この作品を見直すと

、ユニークな優れた作品だとなってしまいました。

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これに味をしめて大映は時代劇路線『雨月物語』『山椒太夫』など

各国の映画祭に出品します。

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松竹大船『カルメン故郷に帰る』『夏子の冒険』,

日活の『緑はるかに』の総天然色映画が上映されました。


大映でも時代劇の総天然色映画が企画されます。










映画 緑はるかに

2010年02月23日 18時39分41秒 | Weblog


私はスナップショットが好きです。

街を歩いている人を前から撮るとあとでいろいろ肖像権とか

プライバシーとか問題が起きたときは処理が大変です。

このブログに載せる添付写真は、

表情のわかる写真は載せません。

人物の背中に表情が出ているのを

撮るようにしています。

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バス停のシートに若い2人が座っていました。

例によって後から2,3枚撮りました。

私には娘はいませんが、

このシーンを娘の父親が見たら

しかり飛ばすのでしょう。

男の子の左側にコカコーラの瓶と菓子パン?…が

置いてあります。

2人とも髪の毛を染めていないので

「マア…いいか!」

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松竹大船作品で国産フジカラーで

2本総天然色映画を発表しました。

『カルメン故郷に帰る』と『夏子の冒険』です。

興行的に一応成功しました。




昔から天然色フィルムを発売している

サクラフィルム(現・コニカミノルタ)は

日活『緑はるかに』で総天然色映画を作ります。

フジカラーのリバーサル方式とは違って、

テクニカラー方式のように3色分解方式の

コニカラー・カメラを使用したようです。

監督は井上梅次、キャメラは柿田勇です。

女優,浅丘るり子のデビュー作です。

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監督さんの

「ヨーイ…スタート」

でキャメラが廻りますと

キャメラが

「ダッ…ダッ…ダッ…ダッ…」

と大変なノイズ音でセリフの録音どころではなく

スタジオはこのキャメラのノイズがあまりに大きくて,

同時録音が出来ません。

オール・アフレコの音の処理で

大変だったとの噂を聞きました。

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次に,コダックが,イーストマン・カラーの名称で,

ネガ・ポジ方式のフィルムを発表します。









空港特急・ラピート

2010年02月22日 21時12分52秒 | Weblog


京都市で開かれている「写真研究会・OB会 第11回写真展」に

行くのに南海電鉄・千代田駅(高野線)から

久しぶりに難波(なんば)へ出てきました。

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なんば駅手前から、「空港特急・ラピート」と並んで

構内に入っていきました。

めったに出会わない電車ですから,

なんば駅で記念写真を撮りに近づきました。




ラピート (rapi:t) とは、南海電気鉄道が難波駅 - 関西空港駅間を

南海線・空港線経由で運行する特急列車のことです。

西日本旅客鉄道(JR西日本)が運行する「はるか」に対する、

関西国際空港へのアクセス特急として登場しました。




奇抜なスタイルから"鉄人28号"というニックネームが

運転開始、前から言われていました。

デザインは、建築家の若林広幸(京都市上京区)が担当しました。




大阪市営地下鉄難波駅(御堂筋線)のプラットフォームから

南海電鉄のラピートのプラットフォームまで、

エスカレーターでつながっているという売り込みで,

途中の小さな階段の脇に

小さなエスカレーターが付けられました。



大阪市内のあちこちから関西空港行きの

リムジンバスが走り出しました。

関西空港が完成して,難波付近の人の流れも

大きく変わると予想して難波の再開発が進みましたが…,

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私は,なんばから地下鉄・御堂筋線に乗り,

淀屋橋駅から京阪特急で祇園四条に向かいました。






第一一回OB会写真展

2010年02月22日 08時37分12秒 | Weblog



友人から,四条河原町角の「阪急百貨店」が閉店すると聞きました。

              … … …

大阪には阪急電車の宝塚,神戸、京都の3線の始発駅が

JR大阪駅近くにあります。

その要として阪急百貨店(梅田)が古くからあります。

阪急電車の3線のうちの京都線の

終点は四条大宮(地下駅)でしたが、

そのまま地下で延長して出来たのが河原町駅でした。

京都線の終点河原町駅に阪急百貨店が出来ました。

京都線の両端に阪急百貨店がありました。



四条河原町は交差点です。

交差点の西側に「高島屋」百貨店があります。

四条河原町には2つの百貨店があります。

「高島屋・百貨店」を残して「阪急・百貨店」は

下半期に閉店するのです。

「阪急百貨店」の7階、8階は食事の名店街があります。

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8階のシースルーエレベーターを降りたところに、

天ぷらの「ハゲ天」があります。

その店で昼食に「ランチ天丼」を注文しました。

レジの若い店員に,

「阪急が閉店したらこの店はどうするの…」

と聞きますと,阪急が撤退しても

名店街は残るようなことを言っていました。



四条河原町の交差点の東西の道は四条通りです。



東へ向かうと鴨川で四条大橋が架かっています。




橋を渡ったところに「南座」があります。




そして突き当たりが八坂神社です。




「南座」と八坂神社の間の南側の通りに

漬け物店の「西利」(にしり)があります。

その「西利」ビル3階が,

毎年恒例の写真研究会OB会写真展の会場です。




今日、会員の私は、展覧会場の受付当番です。














埼玉県,横浜市,和歌山,播州赤穂からの

遠方の会員も参加します。

毎年,笑顔でいつもの会員が集まれるのは

ありがたいことです。

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夜は,定例総会が終わって,

「乾杯…」

の合図で,懇親会が始まります。

懇親会が

「三三七拍子」で

お開きになったときは終電車間近になっていました。






夏子の冒険

2010年02月20日 20時32分42秒 | Weblog



「アサヒカメラ」創刊70周年記念出版として

『昭和10~40年 広告に見る 国産カメラの歴史』が発売されました。

「アサヒカメラ」に載せられたカメラの広告を年代別に編集して集めた本が

1994年(16年前)に出ました。

私は写真を撮るのは好きですが、

新発売のカメラにも関心がありますから

楽しい本でした。





その本の表紙は「アサヒカメラ10月号」とあります。

その表紙の女性は,松竹大船の角梨枝子(すみ・りえこ)の大写しでした。




当時のカメラ雑誌の口絵には,

映画女優のポートレートがよく載りました。

秋山庄太郎、はじめ 松島 進(まつしま・すすむ)の

カメラはレフレックス・コレレ(6×6)と独特の

ライティングの女性写真がよく載っていました。

当時,私はレフレックス・コレレに憧れました。

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第1回の天然色映画『カルメン故郷に帰る』(1951年・59年前)では、

作品の色彩の具合が悪いときは、モノクロ作品に差し替えると

慎重な構えで、作った作品がうまくゆきました。

それに興行成績も良かったので,第二回の総天然色映画が企画されます。

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松竹大船撮影所の第二回総天然色映画

『夏子の冒険』(1953年・53年前)の主演女優が

角梨枝子(すみ・りえこ)でした。

原作は三島由紀夫。

主演の角梨枝子(すみ・りえこ)の相手役は,

若原雅夫(わかはら・まさお)です。

脇役は東山千栄子(ひがしやま・ちえこ)

高橋貞二(たかはし・ていじ)、

淡路惠子(あわじ・けいこ)…。


前作『カルメン故郷に帰る』は木下惠介作品で、

キャメラマンは楠田浩之(くすだ・ひろゆき)でした。

『夏子の冒険』では 監督,中村 登(なかむら・のぼる)

キャメラは 生方 敏夫(うぶかた・としお)です。

楠田,生方はともに松竹大船を代表するキャメラマンです。






カルメン故郷に帰る

2010年02月19日 19時03分55秒 | Weblog


写真説明:夕方,用事で家を出ようとすると、外は夕焼けで,

遠くのマンションのベランダが赤く光っていました。

電子ズーム4倍で撮りました。

私のブログの写真は、コンパクトデジタルのニコンLー6です。

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スペック、レンズ6.3~19.2㍉(35㍉換算38㍉~116㍉)

電子ズーム4倍(35㍉換算464㍉)

開放絞りF3、2~5、3で 露出調節は

絞り開放のF3、2とちょっと絞った6,3の二段で

ISO50~800とシャッター4~1/1500秒で

やっているようです。

オートフォーカスはコントラスト検出で、

合焦まで少し時間がかかります。

ブログの写真でこのカメラに不満はないのですが、

合焦の遅いのが困ります。





戦後,アメリカから総天然色映画が入ってきましたが,

テクニカラー方式で,撮影に3本のフィルムが必要です。

フィルム代だけでモノクロ映画の3倍かかるのです。

カメラもプリズムで分光して同時に3本のフィルムを使う

大きなものが必要でした。

とても日本の映画界の予算では制作が無理でした。

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何とか,1本のフィルムで天然色映画が出来ないか,

1本のフィルムで制作できるのなら

今までのキャメラが使えます。

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松竹と富士写真フイルムで『カルメン故郷に帰る』が企画されます。

撮影に使われたフィルムは富士のリバーサル・外式発光です。

監督は,木下惠介、キャメラマンはコンビの楠田浩之、

主演は,高峰秀子、小林トシ子ほか

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もし、カラー映画として満足がいかなかった場合は、

カラーを破棄して,

モノクロ映画として封切りするという

安全策でスタートします。

カラー撮影での出来栄えがまあ満足出来るというので、

モノクロ撮影の予備作は破棄されました。

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撮影フィルムはリバーサルですから,

撮影されたフィルムはポジ画像になります。

撮影に使われたリバーサルフィルムは

色温度がデイライトで、感度が低かったのでしょう。

このフィルムで色温度が低いタングステン照明のセットでは,

相当の明るさの照明が必要になります。

コスト削減のためほぼ全編をロケーションで

撮影するという異色作となりました。

「総天然色映画」の撮影現場には富士側のスタッフも立会い、

断続的に試写用プリントを確認しながら撮影が進められた。

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撮影現場では,カラーのメイキャップも新しい挑戦だったようです。