初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

空からこんにちは

2010年01月31日 20時38分10秒 | Weblog


大阪市の新朝日ビルから取材で飛び立った

ヘリコプターの話を書いていました。

それが、ヘリポートの土台の新朝日ビルの話に

なってしまいました。

             … … …

ヘリコプターの話に戻ります。

最近のテレビのニュース番組では,

ヘリコプター取材が欠かせません。

事件発生の入電で,

一番に飛び出せるのはヘリコプターです。

交通渋滞もなく、また、山の頂上でも谷間でも

事件現場の上空にすぐ到着できます。

この第一報でニュースをつないでいる間に,

そのごの取材をどうするか決めます。

              … … …

ラジオでヘリコプターを主役にした番組がありました。



日本中,自動車が溢れてきました。

ロサンゼルスの上空をヘリコプターから交通情報をやっているという

映画からヒントを得て,

1967年(昭和43年)にラジオで、

「空からこんにちは」が始まります。



ヘリコプターのパイロットが

接話マイクをつけています。

空から下の道路の名前,

交通状態を一目でわかるのは

パイロット以外にはおりません。

スタジオの局アナ(放送局のアナウンサーの略)の

「××道路はどうですか…」

パイロットは下の道路の車の混み具合を

「かなり混んできています…」

と応答します。

局アナが

「次は▼▼方面をお願いします…」

パイロットは交信用語ですかさず

「ラジャー(了解)…」

と返します。

このラジャーが世間で流行り言葉になりました。

また、パイロットは輪番です。

パイロットの○○さんは話が上手だ。

輪番の局アナの▲▲さんのときは面白いとか,

パイロットとアナウンサーに人気が出ました。

放送時間も午後,午前の二回になり、

約10年ほど続きました。

              … … …

そのうち、大阪府下の道路の渋滞が常習化して

番組の存在意義が薄れました

警察の交通センターもコンピューター化されて,

交差点のセンサーの精度も飛躍的に

向上しました。

             … … …

「空こん…」はヘリコプター無事故のうちに終わりました。

いまから、四十数年まえの話です…。





新朝日ビル ⑤

2010年01月30日 19時07分51秒 | Weblog


去年,2009年12月23日に、

大阪中之島の光のルネサンスを見物に、

夕方、四ツ橋筋を息子の車で北上していました。

渡辺橋付近にきて左に朝日新聞社のビルが見えてきました。

しかし、向かい側にあった新朝日ビルの姿がありません。

一瞬,戸惑いましたが、中之島の再開発プロジェクトで

200㍍のツインタワーの計画を聞いたことを思いだしました。

そのため、新朝日ビルのあった一角がすっぽり空間(更地)になっていました。



1度だけヘリコプター取材で、

新朝日ビルの屋上から飛び立ったこと。

フェスティバルホールでの数々の催し,

このホールで中継で通ったこともありました。

地下のリサイタルホール(ABCホール)で公開番組の仕事,

地下の本屋の思い出が、頭をよぎりました。



数々の思い出が,新朝日ビルを見ることで、浮かぶのですが,

ホテル,ホール,銀行、入居していた会社を包み込んだ新朝日ビル。

              … … …

ビルの解体であの膨大な建築材料(廃材)はどこへ運ばれたのでしょう…。

              … … …

ビルの姿はなく,空間を見つめているとなんとも寂しい限りです。



京都駅前の丸物百貨店(あとの近鉄百貨店)の建物が

忽然と消えたことです。

忽然といっても,ビルは日数をかけて解体したのですが、

私が建物を探したときにはなかったというだけです。

             … … …

私は,下鴨下河原町(京都市)で生まれました。

家の前が,市バスの停留所でした。

母親に連れられてバスで,

京都駅1つ手前(駅名は忘れました)で下車します。

丸物百貨店の上層階の食堂(デパートの大きな食堂)へ

月に何回か行きました。

何を食べたのかも忘れました。

丸物百貨店の食堂が戦前の

楽しかった思い出の1つでした。

それが無残にも更地になってしまいました。

古くなった建物を見るたびに思い出していたのが、

             … … …

心の中だけの思い出になってしまいました。










新朝日ビル ④

2010年01月29日 20時04分20秒 | Weblog


新朝日ビルに入ると、正面にフェスティバルホールへの

広い階段があります。

右側にエスカレーターが付いていました。

期待の催しを楽しみに階段を上がるのは、ワクワクしました。

この広い階段の両側には,銀行の支店がありました。

              … … …

新朝日ビルを出て,右側(南側)には地下への階段があります。

そこを降りたところがABCホールでした。



ABCホールで公開番組がある場合は、

ビルの南側にVTR中継車を止めます。

そこから階段を伝って、カメラケーブルを

階段の隅に這わせます。

使用カメラが4台のときは,

太い(78芯)カメラケーブルが4本です。

毎週定期的に公開番組があるようになって、

埋め込みケーブルになりました。

ビルの南側にカメラケーブルのコネクターや中継車用の電源もある

大きな配電盤ができました。

反対側はホール舞台の倉庫にカメラコネクターが付いた

配電盤がありました。

             … … …

カラーテレビが始まって,カメラケーブルが

太い大蛇のような黒いケーブルでした。

重くて扱いに始末が悪いものでした。

              … … …

その内、細いトライアクシャル・ケーブルに変わりました。

カメラ側とカメラコントロール装置に

送受信機が設置されて,

細いケーブルの中を色んな周波数に変調された

コマンドが双方向で 行き交います。

カメラの電源もこの細いケーブルの中を通るのですから,

技術の進歩はすごいものです。



ここのABCホールの公開番組で人気が出れば,

全国的に、人気と視聴率が稼げる,

放送局のパイロット的なホールでした。

この朝日ビルの近隣のサラリーマンの意識が

全国的に平均だったのかもしれません。

サラリーマンの昼食後に集まってもらえるように,

番組の開始は12時15分がメドでした。

番組終了は13時まです。

番組の都合で13時を過ぎると,

サラリーマン観客は引けていきました。

              … … …

ビルの地下には,喫茶店、食事の店のほかに

新聞社,放送局がある場所柄で

かなり専門的な書籍も並んでいる青泉社という書店がありました。

              … … …

大阪市営地下鉄、四ツ橋線が開通して肥後橋駅ができて,

地下通路で,朝日新聞社へも行けるようになりました。












新朝日ビル ③

2010年01月28日 20時55分32秒 | Weblog


フェスティバル・ホールでの 仕事は、フランスからの

ジャン=ルイ・バローの『ハムレット』のVTR中継を思いだします。

             … … …

『ハムレット』の舞台はセットがありませんでした

舞台の真ん中に少し高くて広い1枚の平台が置かれていました。

その平台の四隅に上から,カーテンの束が4本下りているだけです。

城の柱にも見えるというものでした。

              … … …

四隅に房が下がっている大相撲の土俵のようにも感じられました。

              … … …
薄暗い舞台でした。

              … … …

私の学生時代に評判になったフランス映画『天井桟敷の人々』で

主演のジャン=ルイ・バローが新朝日ビルのフェスティバルホールで

シェークスピアの『ハムレット』を公演するとあって

VTRに撮ることになりました。



シェークスピアの『ハムレット』は私の高校時代に,

モノクロのイギリス映画『ハムレット』主演は,

ローレンス・オリヴィエで、オフェリアはジーン・シモンズでした。

重厚な画面と雰囲気の映画でした。

              … … …

当時,イギリスからの名作『赤い靴』『天国への階段』や

エリザベス・テイラーの『クレオパトラ』など

話題作を上映していた京都の新京極の洋画館(SY京映?)で見ました。

私にとって、『ハムレット』との接点は映画だけでした。



舞台の録画中継の下見で,一応、台本を見ながら

客席の後から公演を鑑賞します。

一応、台本と書いたのは福田恒在(ふくだ・つねあり)の

岩波文庫から

大きな活字と芝居の進行に従ってのト書きを書いて

製本したものだからです。

舞台では,フランス語で上演されています。

そのフランス語を聴きながら、

日本語の台本で理解するのですから,

すごい下見でした。

             … … …

薄暗い客席の前の方で,演劇少女らしい娘さんが,

岩波文庫の『ハムレット』を膝で広げながら,

舞台を見ています。

薄暗い座席で日本語の文庫本と、

舞台のフランス語の芝居を交互に見るのですから

われわれ以上です。ビックリです。

             … … …

本番では,外語大のフランス語の女先生に

VTR中継車のD卓に座って貰って,

舞台の進行状況と日本語の台本のページを見ながら,

いま台本の何ページの中程などとインターカムで

唱えて貰っての取材でした。

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新朝日ビル ②

2010年01月27日 19時29分09秒 | Weblog


新朝日ビル・フェスティバルホールの思い出の続きです。

テナーサックスの、ソニー・ロリンズの

小編成のコンボがやってきました。

このチケットも都合の付かない知人から

貰って聴きに行きました。

            … … …

あの広いフェスティバルホールで

小編成のジャズのクインテットが

公演するのですから驚きです。

今なら,ジャズの小編成の公演は,

『ブルーノート』のような小さなライブ・ハウスが相場ですが,

当時は,よほど主催者側に自信があったのでしょうか。

           … … …

フェスティパル・ホールにジャズの演奏会ですから、

クラシックやムード音楽のように静かに演奏を

聴くという雰囲気ではありませんでした。




前のマントヴァーニ・オーケストラの公演と違って、

客筋がまったく違いました。

軽音楽のミュージシャンらしい

派手な服装の連中が大勢押し掛けていました。

          … … …

フェスティバルの幕が開くと,

大きな身体のソニー・ロリンズは

テナー・サックスをろうろうと吹き鳴らしながら

舞台に登場です。



最初から度肝を抜かれました。

舞台はクインテットの連中がリズムを刻んでいます。

隣にいたミュージシャンは

「すごいテクニックだなあ…」

と唸っていました。

ミュージシャン連中は,アメリカのプレーヤーの実力を

聴きにきていたようでした。

ロリンズが曲のテーマを終わって,

アドリブに入るときは拍手が入ります。

サイドメンがテーマを崩したアドリブの参加に大拍手です。

           … … …

ソニー・ロリンズはアルバム『サキソホン・コロッサス』や

クリフォード・ブラウン= マックス・ローチ、クインテットで

大活躍で人気上々のプレーヤーです。

          … … …

ソニー・ロリンズは,その後、演奏が行き詰まったと

、演奏活動を休止します。

ニューヨークの橋で再起を図って練習を始めます。

その橋にちなんだアルバム『ブリッジ(橋)』

と云うアルバムがありました。







新朝日ビル ①

2010年01月26日 18時21分18秒 | Weblog


ヘリで飛び立った,大阪市内のヘリポートの土台の、

新朝日ビルの思い出を書きます。

              … … …

五十数年前,私の学生時代は京都です。

京都市内は路面電車(市電)が走っていました。

平安神宮(京都府立図書館・岡崎)の近くに,

スケートリンクができました。

名前は確か「キョート・アリーナ」です。

貸し靴のフィギュアスケートを履いて転びながら、

練習をしました。

当時,珍しいのでかなり繁盛しました。

             … … …

もう一軒、四条河原町のいまの高島屋の付近に

「アイス・パレス」がオープンしました。

京都にスケートリンクが2つ生まれました。

どちらも広い場所を使います。

よく広い場所があったものです。




四条河原町の近く寺町通りは,

京都の電化街です。

小遣いを貯めて、ラジオの部品を

よく買いに行きました。

              … … …

阪神間では,ラジオの部品を扱っていて有名なところは,

大阪の日本橋界隈でした。

当時の大阪市内はまだ市街電車(市電)が

あちこち走っていました。

大阪市北区中之島の朝日新聞社の向かいに

「アサヒ・アリーナ」というスケートリンクがありました。

アイス・スケートが流行っていた時期があったのですね…。

どのようにして日本橋に行ったのか覚えていませんが,

部品販売店、中古品やジャンクを扱う店もありました。

京都の寺町通りよりかなり大がかりな電化街でした。

しばらくして、スケートリンクは1つ消え,

2つ消えていきました。



「アサヒ・アリーナ」の場所に,大きなビルが建ちました。

クラシックの殿堂、フェスティバル・ホールの新朝日ビルです。

ここで音楽鑑賞が夢でした。その機会が意外と早く訪れました。

スケジュールの都合でとある人から

音楽会のチケットを貰いました。

「マントヴァー二・オーケストラ」でした。

              … … …

幕が開いて、オーケストラがヒット曲「魅惑の宵」の

演奏が始まりました。

当時,聞いていたLPと同じ音が聞こえました。

あのエコーの掛かったようなバイオリンの響きが,

舞台から聞こえてきました。

あとで判ったのですが,カスケードストリングスという

独特の編曲だったのです。

一曲の演奏が終わりに近づくと,マントヴァーニは,

指揮をしながらオーケストラから客席の

方に向き直ります。

曲のエンディングを指揮をして、客席に深々とお辞儀をしました。

続いて,これもヒット曲「シャルメーヌ」を

オーケストラの方に向いて指揮を始めました。






ヘリコプターに乗りました

2010年01月25日 20時41分57秒 | Weblog


駅伝でヘリコプターのことを書いています。

私が初めてヘリコプターに乗ったときのことを書きます。

大阪市北区中之島、渡辺橋のたもとに朝日新聞社があります

新聞社の向かいの新朝日ビルには

国際フェスティバールホールがありました。

この大きなビルの屋上にヘリポートがありました。



フェスティバルホールは50年の歴史のある

クラシックの音楽ホールでした。

ビルの一部にホテル、銀行が、十何階かにラジオ局が、

総合広告会社の「博報堂」もありました。

地下には,ラジオ局の収容客席が

600人ほどの小ホールがありました。

ラジオ局の公開番組の制作で、

ABCホールといっていました。

ここで、ラジオ,テレビの公開番組で

集まったお客さんに受けると,

全国的に人気が出て,受けるという

放送局のパイロット的ホールでした。

この大きなフェスティバルホールが閉館する前には,

リサイタルホールと名前を変えて,

在阪のテレビ局が公開番組をここで制作していました。



通常、ヘリコプターは八尾飛行場から離陸します。

しかし、今日は,大阪中之島の新朝日ビルの屋上からの離陸です。

ハンディ・カメラ一式をもって

エレベーターでビルの屋上に出ると,

ヘリコプターが駐機していました。

           … … …

パイロットがやってきます。

一通りあいさつを済ませて、

彼はエンジンを始動させます。

「××時○○分離陸します」

機内のわれわれに告げると、

機体はファッと浮かび上がります。

しかし、ビルの屋上からの離陸ですから,

飛び上がったときはすでにかなりの高度です。

機体を少し傾けてビルから飛び出して空中に出ると、

ビルのヘリポートから離れます。

ビルの空気抵抗が急になくなるのか、

機体が一瞬スーッと下がります。

あまり高いところに自信のない私は

「ワーッ」

となります。

「××付近の空からの景色を撮像しますヶ」

とあらかじめパイロットに伝えてあります。

初めて見る空からの地上の景色は

どこがどこやらさっぱり判りません。

堺市上空にまもなくさしかかります

「目印の風車が見えてきました」

とパイロットはインターカムでいってきます。

しばらくあたりをキョロキョロ眺めて,

風車を見つけたときには

風車は機体の後の方に流れていってしまいました。


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駅伝・番組 ④

2010年01月24日 18時30分28秒 | Weblog


駅伝番組は、ランナーが長居競技場をスタートして,

外周道路、一般道路出て,レースは始まります。

先頭ランナー群のもうひとつ前を走る機動隊の紹介があります。

白バイの男性警官のウェスト・ショットに、

名前がスーバー・インポーズされます。

スーパー・インボーズが抜けるとカメラはそのままパンして,

こんどは女性ライダーの名前がスーパーされます。

              … … …

私個人の意見として白バイがレースの先頭を走っているのが

形式的でなんとなくイヤでした。



アテネ・オリンピックのマラソンで,

先頭のランナーを応援の沿道へ

引きずり込む男が現れました。

そして、レースに戻ったランナーはマラソンを

続けるという事件がありました。

その妨害にあったランナーが3位入賞で、

後味はいくらか救われました。

             … … …

それ以来,私は,レースでそういう乱暴者が

現れることがあるのかと、

先頭を走る機動隊の白バイは

それを防ぐのに役に立っているのだろう。と、

考えを改めました。



レース展開も先頭集団、2番手、3番手と

やがて,第一中継点にランナーはやってきます。

中継点で待ちかまえる次のランナーがスタートラインに

並んでいる映像に切り変わります。

と同時に,先頭集団らランナーは,

画面に一部分にワイプで挿入されています。

中継点で、ランナーがたすきを受け取ります。

先頭ランナーは中継車が追いかけます。

区間記録が出たら,その選手のインタビューが短く入ります。

先頭ランナーは,ワイプ画面で続いています。

その画面の加工はスタジオ・サブで行います。

第一中継点のアナウンサーも活躍します。




いよいよ,問題の森ノ宮駅前を先頭ランナー群は,

左折します。

中央大通りに入ります。

ここから、NHKのある馬場町付近まで,高速道路が屋根のように

下の中央大通りをふさいでいます。

中継車の電場を受けるヘリコプターが高速道路の隠蔽で

電波が受けにくくなります。

中継車からの画面の乱れを想定して,

ここで一旦コマーシャルに下ります。

スタジオのアナウンサーと解説者のツー・ショットとか、

コースの高低の説明などで

つなぎます。

高速道路がヘリコプターの映像に

影響しないのを確かめます。

しかし、ここでドラマチックな追い抜きなどが

あることも考えて,

中継の映像が不安定でも,一応,VTRには撮っています。

           … … …

ドラマチックなシーンは,適当に番組に挿入されます。





駅伝・番組 ③

2010年01月23日 17時16分32秒 | Weblog


長居競技場をスタートしたランナーは

一般道路に出てきました。

ここから、移動中継車の担当になります。

移動中継には大型の中継車を使用しています。

大型車の方が,走行に安定しています。

中継車には、倍率の高いズームレンズのハンディ・カメラが

リハーサルで微調整した防振雲台に搭載されています。

これがメーンです。



カメラは防振雲台に乗せてあります。

防振雲台のカメラは手で操作することはできません。

カメラマンの身体が,移動中継車の振動をもろに受けています。

その身体でカメラを触れると、

微調整した防振装置が台無しになってしまいます。

カメラのパン,チルトや

画面のサイズ調整のズーム・イン,ズーム・アウトは

すべて電動のリモコン操作になります。

           … … …

十分トレーニング、リハーサルを積み上げたカメラマンでも

リモコン操作は隔靴掻痒です。



移動中継車の後で、選手の表情がよく見えるところに,

アナウンサーと解説者の席がセットされています。

アナウンサーの解説者の紹介で、近くに取り付けた

小型カメラ(無人カメラ)でツー・ショットを撮ります。

           … … …

解説者の紹介テロップは,テレビ局の駅伝スタジオでかぶせます。

中継車では,防振雲台のメーンカメラ,

中継車屋根につけたワイドレンズの広くコースを写すカメラと、

アナウンサーと解説者のツー・ショットの三つを

中継車のスイッチャーで切り替えていきます。

その映像電波を上空のヘリコプターに送ります。



第一中継点にランナーはやってきます。

第一中継点には,3台のカメラと1台のハンディカメラで待機しています。

バトンタッチのランナーがラインの近くで、

遠くからの第一ランナーを待っています。

          … … …

第一中継点の映像電波は,地上リンクで駅伝スタジオのサブに届いています。











駅伝・番組 ②

2010年01月22日 17時41分41秒 | Weblog


駅伝のスタート時間が近づいてきます。

スタート・ゴール地点の長居競技場、第1中継点~第6中継点に;

連絡の電話が設置してあります。

番組(レース)前に電話を入れていきます。

それぞれ、中継点の誰かが電話に出てくれました。

全部,電話はつながっています。

            … … …

八尾飛行場からヘリコプターが離陸しました。


ヘリコプターのVHFのトランシーバーから

長居競技場に向かっている。

と連絡が入ります。



スタジオのモニターのカラーバー(テストパターン)が、

中継点付近のカメラの映像に切り替わっていきます。

やがて、ヘリコプターが競技場の上に来ました。

競技場から出てくるランナーを受ける、

中継車は競技場の出口で、スタンバイしています。

その中継車からの電波を上空のヘリコプターは受けます。

同時に,ヘリコプターのカメラは,競技場の全景を俯瞰でとらえます。



マスターから番組がスタートしたと告げてきます。

           … … …

タイトルが流れます。

ヘリコプターからの俯瞰の競技場全景に、

ロールテロップがスーパーインポースされます。

           … … …

スタジオの,アナウンサーと解説者の

ツーショットで番組は始まります。

ゲストの紹介テロップをスーバーインポーズした

解説者のワンショットが入ります。

          … … …

スタートラインに選手が並びます。

画面の右上にワイプでスターターが写ります。

トラックの外側を軽トラックに積んだ無線カメラが

ランナーをとらえます。

選手が競技場内を一周するのを、

クレーンの高い位置からのショットがキレイです。

ランナーが競技場外の外周道路に出てくると,

移動中継車のカメラが先頭選手をとらえます。

移動中継車のアナウンサーと解説者が

スタジオのアナウンサーから引き継ぎます。