初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

続・キヤノンPIXUS610プリンター

2011年07月31日 22時09分37秒 | Weblog


PIXUS610プリンターが単体で

動き出しました。

… … …

コンパクトデジタル(ニコンLー6)のSDカード

をプリンターのポケットに入れて

プリンターのフタの部分についている

液晶モニターでプリントするデータを確認して

プリントサイズ,プリント枚数をセットすると

しばらくしてプリント排出口の蓋が

「ガチャン」と開きます

そして、印刷されたプリントが出てきました



例え,印刷されたプリントとはいえ

明るい部屋で,プリンターから出てくる

写真を眺めると、感激しました



デジカメのプリントの手順も2カ月を経て

慣れてきました



私の誕生日は7月です

75歳の誕生祝いに、息子達から

ノートパソコンをもらいました

私のパソコン人生は,DOSのパソコンで

終わったと思っていましたのに

… … …

思いがけないことになりました





永遠の宇宙ー高野山ー写真展

2011年07月30日 21時09分25秒 | Weblog


私は,南海電鉄(大阪)高野線

南海電鉄、始発なんばから終点、高野山極楽橋

の高野線のちょうど中程の千代田に住んでいます



高野線は,高野山参詣の電車です

駅には、高野山を主題にしたポスターが

よく貼られます



冒頭のガスの中に浮かぶ高野山の写真がポスターでした

この映像は偶然の幸運だけではできない作品です

高野山に住んでいる作家でしかできない

謎の作品の一つとして私の頭に残っていました



その謎を解く写真展が同じ高野線の

北野田で開催されました

その会場は襖2枚分,畳2枚分のサイズの作品がずらり

並んで,見ているものに迫ってきました



永坂嘉光(ながさかよしみつ)

和歌山県高野山生まれ
大阪芸術大学卒業
大阪芸術大学写真学科教授
日本写真芸術学会芸術賞受賞
(社)日本写真協会作家賞受賞
和歌山県文化功労賞受賞

… … …

高野山に住みながら故郷高野山を

約40年にわたり撮影を続けている…



冒頭の駅のポスターの作品の謎が解けるばかりでなく

素晴らしい作品群を拝見できました。




キヤノンPIXUS610プリンター

2011年07月29日 22時08分52秒 | Weblog


気が付くと,写真の世界はすっかりデジカメになっています

新しいAPSシステム(銀塩フィルム)はあまり盛り上がることなく

デジタルにとってかわられました

APSシステムは結局、銀塩フィルムの最後だったのですね



銀塩カラー写真は、フィルムを現像するだけでは

映像はネガ画像ですから写っている人物の表情まで

わかりませんので結局,同時プリントすることになります



デジタルカメラになって撮った写真は液晶モニター上で

ポジ画像(陽画)で見えます

撮影したカットがすべてハッキリ見えます

気に入ったカットだけプリントすることができます




銀塩フィルムの現像と同時プリントが主な仕事だった

カメラ店の経営が大変なことになったのでしょう

長年,写真を頼んでいたUカメラ店が

閉店することになりました



私は今後どうしようかと

家電量販店に出掛けて,

Windowsのインクジェットプリンターを

調べることにしました

店頭のサンプル写真を見ると,

プリンター単体で綺麗に

プリントされて並んでいます



キヤノンのPIXUS610を購入しました

プリンターのポケットにカメラのSDカードを入れて

プリントすると、綺麗な映像がプリントされて出てきました





プロテクトメモリー

2011年07月28日 21時01分46秒 | Weblog


DOS時代の後期にWindows3、1が発売されました

Windowsは最初DOS上で動いていたようです

大阪市内の電化街は日本橋(にっぽん)です

Windowsの発売初日、

この電化街は徹夜の行列ができて

盛り上がったようでした



私のパソコンは,ボケ防止が目的でしたから

Windowsにまだ興味がありませんでした



Windowsの出現で,ハードディスクも

プリンターも関連機器はWindows仕様に

なっていきました



私の日電98が寿命なのか故障しました

世の中はすっかりWindows

マシンなっています



息子が中古店で,

取説無しの日電キャンビーをなんと

1500円で買ってくれました

この中古品はたとえ電源が入らなくても

動作しなくても、返品不可のものでした



なんとしても動かさなくてはなりません

OSのDOSをインストールして

スイッチを入れると

ディスプレー上でカーソルがチカチカ点滅しました

やれやれです



この機械には内蔵ハードディスクが付いていました

しかし、EMSメモリーはありません

このマシーンにはプロテクトメモリーがついていました

このプロテクトメモリーをEMSメモリーにして使える

アイオーデータのソフトが引き出しにありました



再び「一太郎4,3」が動き出しました

私のボケ防止のDOSパソコンが復活しました。




EMSメモリー

2011年07月27日 21時09分57秒 | Weblog



日電の98(きゅうはち)を手に入れました

OSはDOS3、3Dでした

ワープロソフトの「一太郎4、3」をインストールしました

FEPは「ATOK7」です

自動変換していましたから、かな文で入力していくと

次々に漢字に変えていきました

… … …

当時の,ATOKは時々、誤変換して

それが変に面白かった思い出があります

例「汚職事件」→「お食事券」




「一太郎4,3」はパソコン単体では動きませんでした

つまり、ハードディスクとEMSメモリーが必要でした

当時,ハードディスクは20MBで

EMSメモリーは7MBでした。

ハードディスクもEMSメモリーも高価でした



このハードディスクに「一太郎4、3」、「花子2」

「わらべ」、「アシストカルク」(計算)などを入れて

切り替えて使っていました

ウィンドウズのようにタスクでは使えませんでした



パソコンはワープロと違って

電源を落とすと展開しているファイルはダメになります

つまり、レジューム機能ではないのです



パソコンの起動中にフリーズしたり、動作がおかしくなると

パソコンの前についているリセットボタンを手で押すと

簡単に再起動できました





ワープロをゲット

2011年07月26日 18時42分01秒 | Weblog


好奇心から私もだんだんワープロが

欲しくなってきました

ブラザー工業の「ピコワード」の次に

東芝から「ルポ」が出たので購入しました

白黒の液晶ディスプレイは2行の文章が並ぶ

細長くて小さいものでした




入力する原稿と、キーボードの文字の位置

ちゃんと変換できたのか液晶ディスプレーの

確認とキョロキョロ忙しいものでした

… … …

銀行のカウンターの内側、パソコンを前に

眼は伝票を見つめたまま

次々めくってテンキーから

入力していく行員のお嬢さんが

神様のように見えました



ワープロは文章入力のみの

パソコンですから

非常に安定した機械でした

外部メモリーは3、5吋の

フロッピーディスクのみでした



ワープロを使っていて

機械から離れるときは

そのまま、電源スイッチを切れます



次にワープロの電源スイッチを入れると

さっきの作業途中の文章が表示されて

末尾でカーソルがチカチカしています

レジューム機能がついていました



NECのパソコン、98(きゅうはち)を入手しました

当時、日本のパソコンは漢字変換の事情で

98がパソコン市場を独占していました








ワープロ

2011年07月25日 19時02分10秒 | Weblog


大阪、梅田阪急駅の紀伊国屋書店に

会社の帰りによく寄りました

オリベッテイの電動タイプライターなどが

並んでいる文具売りぶ場に

ブラザーの新製品ピコワードが売り出されました

液晶モニターを備えた、日本語のワードプロセッサーです

手の届くような価格でした



この価格に刺激されてか、東芝(ルポ)、日電(文豪)、

シャープ(書院) などが後に続きます




コラムニスト、小説家、文筆家などの間に

ワープロが広がっていると、聞こえてきました



文筆家は、モンブラン、ペリカンなど

気に入った万年筆で原稿用紙に書き込む

というにがイメージでした



作品が出来上がると、出版社の編集担当が邸に

訪れて出来上がった原稿を受け取って社へ帰る



出来上がった原稿には、ところどころ書き直したり

訂正が書き込まれていて苦心の跡も記入されています



写真家、林忠彦の作品です

作家坂口安吾の仕事場での風景です

廃棄した原稿用紙(紙屑)に囲まれている有名な作品です

ほかに太宰治のバーでリラックスしている

作品も有名ですが



ワープロを作家が使い出すと、悪銭苦闘して訂正の朱が入った

ところもなく活字でプリントアウトした綺麗な作品、

またフロッピーディスク渡し、パソコンソフトで

原稿(作品)を仕上げて電話回線で出版社の編集に電送する作家

文筆家も原稿用紙から離れて,ペーパーレスになりました



作家の悪戦苦闘の跡のない綺麗な原稿(作品)は面白くないとか

ワープロの文章は無味乾燥の面白くない文章になると

変な理屈をこねる評論家が現れます…






ビデオテープ

2011年07月24日 22時17分32秒 | Weblog


ちいさいころ近所に駄菓子屋がありました

子供が喜ぶメンコやアメなどが店先に

並んでいたのです

… … …

その中に新聞紙で小さな三角の袋が

ありました

たこ糸で何枚かの三角袋を

束ねて吊り下げられていました



三角の袋の中には時代劇の

映画フィルムが三駒ほど入っていました

フィルムには侍の姿が小さく見えます

子供心にこのフィルムを映写機にかけて

スクリーンに映すのが

映画だと納得していました



テレビが出現しました

お昼のテレビニュースは報道局のカメラマンが

銀塩16ミリフィルムで事件を取材してきます

そのフィルムを編集してニュースが出来上がっています

… … …

テレビ局のテレシネ室の技術担当者は

ニュースフィルムをブロジェクターに

かける前、フィルム缶のタイトルを確認して

中身のフィルムをざっと調べます

細いフィルムに取材された映像が小さく

並んで写っています



テレビ番組は最初は生放送のみで

録画できませんでしたが、VTRが出現して

番組を記録(録画)できるようになりました



記録(録画)前のテープも録画済みのテープも

見た限りでは、同じです

映画フィルムのように映像は見えません

録画済みのテープを機械にかけて

再生すると、はじめてモニターに映像が現れます




映画フィルムのように

テープを陽にかざしても何も見えません




理屈ではわかっていても

このビデオテープに

録画(記録)されている映像が

肉眼に見えないことに

なかなか納得できませんでした。




ポラロイド

2011年07月23日 23時49分57秒 | Weblog


銀塩カメラ時代にコマーシャル物撮り(ぶつどり)の

スタジオに立ち会うことがありました



机に並べられた小物を撮る現場でした

その机を取り囲むようにストロボを仕込んだ

アンブレラが並んでいます

カメラは4×5(しのご)判カメラに

ポラロイドパックが装填されています



ストロボがパッと光って1枚撮りました

ポラロイドパックからフィルムを引き抜いて

横に控えている広告主のクライアントに

見せて説明をしていました



クライアントに図柄の了解を取り付けて

ポラロイドパックから銀塩フィルムの



仕上がり作品(写真)の目安に、まずポラロイドで

撮ります

ポラロイドには光線のバランスなどが

写りますからカメラマンや

アートディレクターと検討ができるのでしょう

パックと取り換えて本番になりました





最近、写真界もデジタルになりつつあります

デジタルは撮った瞬間に写真は出来上がっています



デジタルでのコマーシャル物撮りの現場に

大きな液晶ディスプレーが置かれていて

出来上がったカットを皆で見ながらディスカッション

をするのでしょうか




病院でも、CTスキャンや超音波検査で

ポラロイドで記録をとっていました

デジタルになってデータを院内の

ディスプレーでリアルタイムで

診られますから、ポラロイドは

使われなくなりました






地上デジタル放送

2011年07月22日 22時32分36秒 | Weblog


毎日のテレビ画面に「アナログあと何日」と

スーパーインポーズされています

テレビジョンの開始以来アナログだったのが

いよいよ地上デジタル放送になります




いまのところ放送はアナログ、デジタルの

二本立てです

大阪のテレビ放送送信所は生駒山頂に各局の

アナログのVHFアンテナと

デジタルのUHFアンテナが並立(二本立て)しています




アナログ放送が終了すると

安定して使い勝手の良い1チャンネル~12チャンネルの

VHF帯域をどこが狙っているのでしょう



銀塩カメラの写真界にデジタルカメラが

入ってきました

新聞社の写真部(カメラマン)は、

取材に銀塩カメラとデジカメの

二本立てで取材をしていたそうです




取材カメラマンは機材が二重にかさばって

重くてたまらないと聞いていました

いまはどうなのでしょう



写真雑誌の口絵作家の機材は

銀塩とデジタルの割合が半々です



アマチュア月例作家の機材も

銀塩派がまだ多いようです