初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

ノートパソコンがやってきた

2018年04月18日 22時26分11秒 | Weblog


私のデジカメ入門は

ニコンクールピクスLー6の

コンパクトデジカメでした

気に入った景色でシャツターを押して、

液晶モニターのボタンを押すと

今撮ったばかりのカットをすぐ

見ることができます



銀塩フィルムカメラだったら

カメラ店で現像、プリントして

からでないと景色を見ることができません

それと、35㍉フィルムだと12枚、24枚

36枚と撮影枚数に制限がありますが

デジカメは、SDカードに景色を保存するので

撮影枚数に制限がありません…



ニコンクールピクスLー6で撮った写真の仕上げは

U杉カメラ店でプリントしてもらうことでスタート

しました。

デジタルカメラに何となく馴れたころ…

息子達から、インターネットを

すぐ使えるようにプロバイダーの手続きを済ませた

ソニーバイオノートパソコンを貰いました…






私とデジタルカメラ

2018年04月17日 21時37分14秒 | Weblog


携帯電話のカメラを使うことによって、私は

デジタルカメラの入口に立たされたことに

なりました。

私は、病気の関係で毎日、散歩しなければ

なりません…



私の趣味の写真は、相変わらず銀塩カメラでした

手に入れた携帯電話のカメラ(デジカメ) はサブ

です。毎日の散歩でのメインカメラは、銀塩カメラ

でした。富士フィルムの35㍉、カラーネガフィルムの

「リアラ」(ASA100)で10枚~20枚位

を毎日の散歩で使っていました。

散歩の帰りにU杉カメラ店に同時プリント

サービス判で頼んでいました。



ある年の正月、息子からお年玉として

デジタルコンパクトカメラ

ニコン、クールピックスL6をもらいました

「親父さん、これからはデジカメだよ…」と

云うのでしょうか

遅まきながら私のデジカメ時代の始まりでした






写メール

2018年04月16日 22時40分34秒 | Weblog


「シャープ」がカメラ付き携帯電話は

発売してから1年ほど、世間から注目を

集めませんでした…

「写メール」としてアピールしてから

徐々に広まって、携帯電話メーカーとしては

小さかった「シャープ」は大ヒットを飛ばしました



私は携帯電話のカメラで撮った写真は

近くのU杉カメラ店へメールで送信して

サービス判にプリントしてもらって遊んでいました

当時、U杉カメラ店では「写メール」のプリントサイズは

サービス判のみでした。

店主に無理を云って、四つ切り判に

引き伸ばしてもらいました

四つ切り判に引き伸ばしたプリントを

河内長野市主催の観光写真コンクールに

出品してみました…

幸い、入選できました…

… … …

当時、世間では

写真はまだ銀塩フィルムが主でしたから

焼き付けは銀塩印画紙へプリントしていました

現在のデジカメ全盛の時代になっても、

カメラ店で仕上げてもらう半切、全紙判は

銀塩印画紙で プリントされているのでしょう…




携帯電話のカメラで撮る写真は

映像ファイルですから

パソコンに取り込めるはずです…

… … …

世間に乗り遅れる癖のある私のパソコンは

Windowsが始まっているのに

まだ、MSーDOSのパソコンでした

したがって、私のパソコンでは

映像も音楽も扱えませんでした…







シャープの携帯電話

2018年04月15日 21時18分08秒 | Weblog


いままで遠方の友人に写真を渡そうとすると

カメラ店でプリントして郵便で送らなければ

なりませんでした…

それが、携帯電話のカメラで撮った写真は

メールで簡単に送れるようになりました…

写真を携帯電話で撮ると、デジタルの

データファイルとして記録します…

写真の新しいシステムが出現しました…



携帯電話の最初はショルダー式の大げさな

ものでしたが、日進月歩の改良で、遂に

ポケットに入る大きさになりました

携帯電話には色々な機能がありますが

カメラを搭載したのは家電メーカーの

「シャープ」だったようです…

カメラを搭載したシャープの携帯電話も

発売後1年ほど世間ではあまり注目されなかった

ようです…。



カメラ搭載のシャープの携帯電話の売れ行きに

他のメーカーも気が付いたようでした…

「液晶」の大メーカーのシャープは

家庭用ビデオカメラに液晶モニターを搭載した

ビューカムで大ヒットを飛ばして以後

デジタルカメラに液晶モニターが搭載される

ようになりました…

… … …

数々のアイデアで大ヒットを飛ばした

「シャープ」が赤字転落したのは、なんとも

残念なことです…








デジカメとの出会い

2018年04月14日 23時31分54秒 | Weblog


昔から私は世の中の新しいものに

乗り遅れる性分のようでした…

デジタルカメラが現れてから

かなり実用化されているようでしたが

私は相変わらず銀塩フィルムカメラ

オンリーでした…



新聞社のカメラマンは、銀塩フィルムカメラと

デジタルカメラの二本立てで、取材していると

聞いていました…

町のカメラ店のショーウィンドウには銀塩カメラに

まじってデジタルカメラがボチボチ並び始めました

銀塩フィルムに比べてデジタルカメラの画素数が

お粗末で、とても銀塩フィルムと太刀打ちができないと

フィルム会社もカメラメーカーも考えていたようです



私にとって、デジタルカメラとの出会いは

息子に持たされた携帯電話のカメラが初めてでした。

携帯電話の画面(ディスプレー)で被写体の構図を決めて

シャッターを押すというのが珍しく感じていました。

携帯電話で撮った写真をメールに添付して

カメラ店へ送信すると、サービス判(L判)に仕上げる

サービスが始まりました。

散歩の途中、撮影した写真を、その場で、

カメラ店へメールで送信して、

帰りにカメラ店へよるとL判プリントに

仕上がっていました







私の携帯電話

2018年04月13日 22時39分35秒 | Weblog


私は今回、近畿大学附属病院眼科で白内障の

手術をしてもらいました。

私はこの病院に検査入院してお世話になって

30年ほどになります。

数年前、出先で倒れて、救急車で

救急病棟へ運び込まれて数日、

入院したこともありました



後期高齢者に仲間入りした私に

息子たちは心配して十数年まえから

携帯電話を持たせてくれました

いま使用している携帯電話は3台目です



1台目の携帯電話はたしか、東芝製でした

携帯電話の構造は無線電話ですが

文字が送れるメールがあって

漢字変換は東芝ルポとありました

そして、メールに映像を添付できることを

知りました

携帯電話にカメラが付いていて

そのカメラで撮った写真が添付ファイルに

なることを知りました…






白内障の手術は無事終わりました

2018年04月12日 18時13分33秒 | Weblog


金曜日の夜、右眼の白内障の手術が

終わって、病室へ戻りました。

看護師さんは私の両眼にアルミ製?の

小さな穴の開いた眼帯をつけていきました…

就寝中に無意識に眼を触らないようの

ガードなのでしょう。

麻酔が切れても全く痛みはありません。

… … …

土曜日の朝、病棟の診察室へ行きました

私の両眼の眼帯が外されました…

両眼で初めて、診察室内を眺めることが

できました…

なんと、周りが3D映画のように立体的に

見えます。1年ほど左眼は網膜症(眼底出血)で

視力はほとんどセロでした…それが両眼で

まわりを見ることができるようになって

まず、はじめに立体的に見られるようになりました



私を診察している若くて美しい女医さんから

「今日退院できます…」と嬉しいお言葉でした

早速、息子(三男)が迎えに来てくれました

… … …

水曜日、再び近畿大学附属病院眼科で

N本先生の診察を受けました

「私の治療診察は終わりました…」

N本先生からO橋眼科への手紙をもらって

一応近畿大学附属病院眼科の診察治療は終わりました



手術治療後の毎日は、1日4回、4種類の感染予防の

目薬をさしています。当分続くのでしょう…

治療後、両眼が復活して世の中が立体的(ステレオ)

だったことに気が付きました。映像?は眼内レンズが

クリアなので、波長の短い青色光がよく見えるように

なりました。スーパーマーケットの陳列棚の蛍光灯が

より青白く見えます。映像?のコントラストも高くなりました

眼内レンズのピントは∞に合わせているはずですが

ロングのピントがいまひとつです。O先生によると

安定するのに二、三ヶ月かかります…といわれるのですが







私の眼科手術すべて終了

2018年04月10日 22時43分23秒 | Weblog


病棟から手術室へ向かう前に

看護師さんは私の右手の甲に

マジックで丸印をつけました

今度は右眼の白内障の手術です

新館4Fの手術室前に到着すると

手術室の看護師さんに

左手のリストバンドのバーコードの

確認、フルネーム、生年月日の確認

そして、右手の甲のマジックインキの

確認…そして、最後に先生から

「手術はどこですか…」と

「私の右眼です…」と再確認で

手術が始まりました…



私は左眼の手術をすでに受けていますから

右眼の手術の段取りがわかっています

手術に入ると、私の右眼は丁度

レンズを外した一眼レフカメラのファインダーを

覗いたように画面がボーッとしていました。

しばらくすると突然、眼内レンズが挿入されて

右眼に手術室の複雑な天井が見えてきました

そして、眼内レンズが僅かに左右に動きます…

先生がレンズの光軸を合わせておられるのでしょう…



しばらくして「手術は終わりました…」と聞こえます

左眼は眼帯をしていますが

手術の済んだばかりの右眼は手術室内がハッキリ見えます

左眼の眼帯を外して今度は、右眼に眼帯がかけられました

看護師さんの押してくれる車椅子で7Fの病室に戻りました

… … …

金曜日の夜の右眼の手術ですべて終わりましたが

これで、明日退院できるのかと少し心配になりました

就寝の前に左右に感染予防の抗生物質の目薬をさされて

両方の眼に眼帯をされました…







右眼の白内障手術始まる

2018年04月09日 20時21分18秒 | Weblog


私の左眼の手術が済んで翌日から

右眼の手術(白内障)までの間

左眼は1日4回、4種類の点眼薬を

毎回看護師さんは世話を焼いてくれます…



毎朝、眼科病棟の診察室へ入院患者は

集まって、手術後の経過の診察があります

左右どちらかに眼帯をした、老人患者が

大勢集まります。白内障を手術した

老患者は意外と多いのですね…



日本の平均寿命が長くなって

新しく老人病?が現れたのかも知れません…

私の右眼の白内障の手術は金曜日です

… … …

金曜日の朝、看護師さんがやって来て

「貴方の手術の順番は最後尾です…」と

告げました。

私の左眼の手術は、手術日のトップ(一番)

でしたが…右眼の手術は最後尾と聞いて

私の右眼の手術は簡単なのだな?と見当を

つけました…

… … …

当日、夕方になりましたが看護師は迎えに

来ません…N先生の外来診察と手術患者が

大勢なので、遅くなります。夕食をとっといて

ください…

夕食後、看護師さんは散瞳剤の点眼にやって来ました

15分後辺りから私の右眼の瞳孔は開きっぱなしに

なります。

… … …

私の眼の絞りは開放になりました…

絞り開放で露出過度になります…

そしてピントが浅くなって

あたりが眩しく見えるようになってきました…






白内障の手術の合間

2018年04月08日 22時22分52秒 | Weblog


左眼の手術が済んでから

数日して、私の枕元の

携帯ラジオの電池が切れて

しまいました…

入院していると、

1日、ベッドに寝ているので

ラジオを聞く以外、時間のつぶしようが

ありません

それに、毎食の前後に計る血糖値の

測定道具の電池、CR2032×2も

心配になってきました



早速、ナースセンター(看護師さんの詰所)に

出向いて、地下のコンビニ、ファミリーマートへ

電池を購入に行きたい…と申し込むと

看護師さんにダメです…といわれて

どうしてもと云うのなら、車椅子で迎えに行きます

という返事です…



しばらくして、若い看護師さんが車椅子で迎えに

来てくれました。

初めて車椅子に乗せられて、エレベーターで

電池を購入に出掛けました

病院の廊下や混雑しているコンビニを

車椅子で通ると、何時もの歩いているのと違って、

少しローアングルになります…

不思議な目線を感じながら看護師さんに

車椅子を押してもらいました…