けい先生のつぼにくる話

はりきゅう漢方の先生が教えてくれる健康に関する話
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哲学しましょう!! 五術について

2007-03-29 06:43:59 | 易経、東洋哲学
命(めい)、相(そう)、卜(ぼく)、仙(せん)、医(い)これを五術(5つの大事な学問)といいます。
急に東洋哲学と医学について話したくなりましたので、どうぞおつきあいください。

大昔、医術を修めようという人は、この五術のうちのはじめの4術に通じて、はじめて医学を習うことができました。

「命学」: 命理学(四柱推命のこと)とか占星術のことで、人間をその生まれた年月日から大宇宙の法則に当てはめ、生老病死や、繁栄衰退のバイオリ
ズムを読み解く学問です。これらは多分に宿命的な運命を知ることができるといわれてきました。
本当の生年月日を変えることはできません。芸能人はよくこれ(サバ読み)がばれて、人気が落ちたり、急に婚約者がいるとか発表をして話題をそらせるのに必死になりますね。
四柱推命などは人によっては怖いくらいに当るもので、何歳でこれくらい成功して、何時病気になって、子供は何人持てて、、、などと
まるで、人生にしかれたレールを正確に教えてくれるようです。
もちろん四柱推命を出した人の話の仕方にもよるのでしょうが、一定の「宿命」というものを感じざるを得ません。
人生に対しての覚悟をするには大変よい東洋的学問です。この「宿命」にかんしては。。。


「相学」: いわゆる人相、手相、骨相などのことで、これが何千年かの時を経て東洋医学の診断法としても確立されてきたようです。
鼻の頭が赤いから肺に熱がありそうだとか、こんな耳の形は几帳面すぎてイライラしやすい人だなどです。
あの人は成功してから顔立ちが精悍で自信に満ちているから、追い風に乗ってがんがんいけるとか。あの芸能人は葉っぱ吸って挙げられてから干されているせいかショボくなったな。今は動かないほうがいいようだな。 などと、その人の運気だけでなく病態を探ることができます。


「卜学」: これは易経(えききょう)のことです。いわゆる筮竹を使った「占い」ということで、よく知られていますが、これにはもっと深い、東洋哲学の思想がぎっしりと詰まっています。ちなみに「易者」というのはこの「易経を使う占い師の」ことです。しかし「占い師」といった場合は、もっと広い意味で、「すべての占いを生業とする方々の総称」です。
易の心がわかるようになると、人生において困難なときに、その思想、思考に窮することがありません。「運命」には「宿命」と「立命(自分で切り開ける運命)」が有ることがわかるようになる学問です。

「仙学」: 健康法、養生法のことです。太極拳、氣功、ヨガの類あるいは武術なども含まれます。ジェット リー演ずる19世紀末に実在した中国は広東の武術家黄飛鴻(ウォン フェイホン)も本職は東洋医学の大先生でしたね。また詩吟や瞑想法もこれに含まれるといえるでしょう。
要は自分自身でも健康で、ひとにもその健康法を伝えられるということも要求されたのでしょう。



この四つの学問を修めたものが、やっと医学の門を叩くことができたといわれています。
まずは東洋的な哲学から入って、自然観というものを体感して、宇宙と大地の間で生かされている人間を小宇宙として尊敬することから始まります。
また、小難しいことを言ってしまった。。。。

急にこんなことを話すのはどうしてでしょう?
別に患者さんがお帰りになってから、こっそりと筮竹でうまく治るかどうかを占ったりしているわけではありませんので、どうぞ誤解なさらないでください。
そうです、「易経」について語りたかったのです。「立命」ということについてお話をしたかったのです。

「命学」、、、変えることのできない生年月日から占う「四柱推命」「気学九星」や「占星術」などで
「あなたは29歳で気の強い嫁をもらうこととなります。35歳までに3人の子供に恵まれます。50歳は生意気な子供たちの反抗で苦労します。転勤の星が出ています。55歳は大病の星があるので控えめに、65で定年と同時に気の強い嫁に離婚されてしまいます。持ち家を手放します。」
こんな風に言われたらどうしますか?それこそ立つ瀬がありません。運命を宿命として座して待ちますか?そんなのは面白くないですね。
もちろんこの「命学」のなかでも対応策と言うものが講じられるわけで、何も「天中殺」だからあきらめろとばかりは言われないでしょう。

しかし、これを積極的に変えてゆくために、後の「相」、「卜」、「仙」の術(学問)」があるのです。
運命を宿命のままに終わらせるか?立命を心がけて自分が人生の主人公になるか?東洋哲学を楽しむとこういった道が開けるのではないでしょうか?
続きは近日中に書かせていただきます!
乞うご期待です。

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BSE 狂牛病って本当に存在するのかな?

2007-03-12 02:26:24 | 雑記
別に医学的な根拠があるわけではないのですが、BSEってただの政治的な狂言じゃないかと思うことがあります。
米国でずっと東洋医学の診療をしていますが、BSEの患者に出会ったことは一人もありません。私のところに来る患者さんが極端に少ないということなのかな??

米国人で「自分の知人やいとこがBSEにやられてヒクヒクしている」などという話をする人にもあったことがありません。
先日弁護士で環境問題を専攻している方に「BSEをどうおもう?」ときくと「ああ、あれはイギリスの病気だ」で終ってしまいました。

これだけ環境衛生問題に厳しいサンフランシスコ、ベイエリアで、表立ったBSE関連のデモや集会が開かれたニュースが耳に入らないのは私だけでしょうか?

おもしろいことに、日本人からだけ「知人の米人のおとなりさんの従兄がBSEにやられたんだって」といった話を聞くことがあります。これって「口裂けおんな(あー古い古い、古いよー)とかツチノコを見た知人がいるの!」というレベルの話ですね。
確かに日本からの衛星放送のニュースではBSEに感染した可愛そうな子牛の映像をみたことがあります。しかし、これは単にカゼから派生した髄膜炎かもしれないし、ポリオの一種に感染した動物の映像でもみためはかわらないでしょう。
この問題が大きく取り上げられるのは、日本のメディアだけのように感じます。

今日もサンフランシスコのマーケットでは何のためらいもなく牛肉が売られていて、誰もがそれをバクバクたべています。
この私も時々サンホセ近郊の吉野家に行って牛丼の大盛りをたべます。つゆだくにしてもらって。。。なかなか狂牛病にならないなあ。。。

ps
(もしご本人や友達、ご家族の方が本当にBSEで苦しんでいらっしゃって、これを読んで気を悪くされたなら、どうぞお許しください。私は政治とBSEの絡みを考えて書いたのです。)

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強盗襲撃事件 生きててよかった!

2007-03-09 09:58:46 | 雑記
ブログの更新が遅れていて恐縮です。言い訳になりますが、先日私の身に起きた事件の報告をさせていただきたいと思います。米国生活の何かの役に立てばと思いまして、、、

先々週の月曜日、私は夜10時過ぎに帰宅しました。ふっと車の後部座席に私のお気に入りの鍼灸の本を忘れているのに気づき、取りに行きました。車は私の家の前からすぐ4-5台目のところに路上駐車していました。
そして私のSUV車の右後ろのドアを開けてその本をとり、振り返ると3人のラテン系の20代の若者が走ってきて、私を取り囲んでしまいました。
私は思わず笑顔で「お隣さんでしたっけ?」といおうとしていました。
するとへその左下に鈍い痛みが走りました。彼らは私の股間を蹴ろうとしてそれが当たらずに上に流れたのだと直感しました。
それでもまだ現状を飲み込めない私はまだ心の中で「うそだねー」「からかっちゃだめだよー」などど思っていたのです。

つづいて顔面に何か飛んできたので思わず持っていた本でブロック。後でその顔に来た攻撃を偶然防いだ本にはレンガで殴ったような傷と、血がついていて、ぞっとしました。
次に別の賊の一人からのみぞおちへの攻撃をたまたま肘でブロックしたところで、体中にぞっと戦慄が走り、間抜けなことにここで初めて「これは本当に強盗だ、やられるかもしれない」と感じました。

アメリカでは何かあったら即逃げること。まちがっても応戦などしないことと教わってきた私は「逃げなければ」とは思ったのですが、このとき背後は私の車、左右と前は3人の賊に囲まれどうしようもないと悟り、反撃することになったのです。

このとき痛感したのですが、日本人の口では「Help! ヘルプ!」と大声でわめけないということでした。三人から息もつかせないで殴る蹴るの攻撃を受けているときに「へ」から始まる言葉は絶対に大声にならないのです。
そこでとっさに出たのは10代のころにかじっていた武道のときのいわゆる「気合」です。そして三社祭のお神輿の掛け声です。
「うぉりゃー!」「そいやっ!」「ごるぅあっ!」などのあれです。
大声を出すということはまことによろしいことで、手足に力が入るし、ストリート中に響く気合は隣人たちの窓を開けさせることとなり、
近くを通った車は私に起こっていることを回りに知らしむべく、何度もクラクションを鳴らして大騒ぎをしてくれました。

そこでやっと賊たちの包囲網が解け、彼らも浮き足立ちました。左側に隙(スキ)ができたので私もそちらに向かって走り始めると、目の前に車が一台滑り込んできて私の退路をふさぎました。まだ仲間がいたのか「もうだめかもしれない」と思ったときに3人の賊は逃走を図るべく私を尻目にこの車に乗り込み始めたのです。ちょうどその時、私の退路のまん前に賊の車の右側の後ろのドアがまだ半分あいていて、ドアの外には賊の一人の足、スネからしたが出ているのが見えました。

そこで恐怖と怒りと窮鼠猫を噛む勢いが、パニックも手伝って、私の太目の体重を乗せた前蹴りをそのドアに向かって繰り出したのでした。
映画キルビルで永い眠りから覚めたザ・ブライド(ユマ・サーマン)が意識のなかった自分を食い物にしていた極悪男性看護士の頭を病室のドアで挟んで挟んで挟みまくるシーンがありましたが、あんな感じです。

この直後賊は車を発車して逃走しました。
その2分後には警察が来て現場検証となりました。その時私は声を失っていることに気がついたのです。
あまりの大声を出しつづけたので声がかすれて出なくなっていました。
警官たちは私の声以外は右ヒザと右手の指と首の辺りの擦り傷いがいは全く無事だったので、驚いていました。
むしろ、後ろのドアに足を挟んだ賊のほうは、警官いわく複雑骨折でしょうとのことでした。

また、最近トヨタのとらっく系の車のコンバーターを盗む賊が横行しているそうです。新車は盗んでもレジスターできないのですが、コンバーターだけを抜いて売ればそこそこ儲かるゆえ、SFからサンマテオあたりまでの広範囲で似たような事件が起きているそうです。

今思えば私が家の門を出たときに、お向かいさんの車のところにその不審な車がいて、ラテン系の若者がその車のところにいたのを覚えています。彼らは多分私が車のキーチェーンをぶらぶらさせながら歩いている隙(スキ)だらけの私を見て、この「おっさんを狙うほうが手っ取り早い」と判断したのでしょう。

復讐は多分ないでしょうと警察官たちは言っていましたが、万が一のために私の車にはハンマーを常備することにしました。
これは韓国映画のオールドボーイで主人公がトンカチひとつで暴れているところを思い出したからです。
でももう争いはいやですね、、、、

自分だけにはこんなことは起こるはずがないと、たかをくくっていた自分がおろかです。
ああ死ななくてよかった。なんかもっと人に優しくなれそうな気がします。

あとでアメリカ人のご主人を持つ患者さんに聞いたのですが、こういうときは「ヘルプ!!」というと声が通らない場合が多いのと、周りの人は「危ない」とおもって出てきてくれなかったりするそうです。
こんな時はむしろ「ファイヤー!」と叫んだほうが、火事か!なんだろう?と周りの人が出てきてくれることが多く、結果的に耳目を集めることとなり、賊は活動しにくくなるそうです。


またがんがんブログを書きますので、乞うご期待です!

コメント (1)
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