けい先生のつぼにくる話

はりきゅう漢方の先生が教えてくれる健康に関する話
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仏様ペンダント

2007-11-28 06:38:57 | 東洋医学全般
昨日お話した、タイ寺院でいただいたペンダントです。
なんか来週あたりから、当診療院も門前市をなすようになりそうで。。。。。
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Thai temple in Fremont

2007-11-27 04:46:01 | 雑記
先日22日はFremontのタイ寺院にいってきました。
私はいつもSan Brunoのタイ寺院にいっているのですが、この日は少し遠出してみたのです。サンクスギビングの日なので、さぞ混んでいるかと思いきや、参拝者は非常に少なくて、アットホームな雰囲気で住職や皆様と楽しい時間を過ごしました。
ここの住職もサンブルーノの住職と同じく、頼めば手相と誕生日から割り出す、タイ式の四柱推命のようなことをしてくれます。私は観てもらう気は無かったのですが、周りにいた何人かの参拝者が、「この日本の先生のもみてあげれば?」といってくれました。しかしご住職は「この御仁はご自分がわかっていらっしゃるようなので、観なくともよいでしょう」とおっしゃいました。(そんなことはないんですけどね、、、、)
まあ、ていよくお断りされてしまったといってしまえばそれまでなのですが、私も最近「易経哲学」を研究していて思うところがあったばかりなので、「ご住職、なかなかやるな!」という感じがして、ご住職たちとの歓談に花が咲きました。

母屋のほうで、昼ごはんまでご馳走になってしまいました。
帰るときにご住職がカラフルなひもについている仏陀のペンダントをお経を唱えてから私の首に掛けてくれました。あとでみると仏陀の顔の面が私の胸に向かっています。普通のペンダントは表の面を当然外に向けて掛けてますよね。
これわざとなのか、単にご住職の間違いなのか、はたまたタイ式のどっちでもいいんじゃない?かまわないのマイペンライ精神からくるのか不明です。
今度、ちゃんと聞いておきましょう。
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兆(きざし)

2007-11-12 14:17:51 | 易経、東洋哲学
曼陀羅(まんだら)は多くの場合9つの仏陀の絵などからなっていて、その一つ一つが各々相関し合い、影響しあって森羅万象を構成していることを示しています。一つの絵柄はその上、下、両隣と影響し合い、そのひとつの絵柄から全部を観たり想像したりすることができ、その全部がまたそのひとつの絵柄の背景となっているということが示されています。

そのアジア的な相関関係の思想でものを観ると、陰陽であれば、ある物事とか事象の陰的な面から陽的な側面を感じたり、その逆を想像することができます。前回お話した、森羅万象を表す基本である、乾(けん 天の意味)、兌(だ 澤)、離(り 火)、震(しん 雷)、巽(そん 風)、坎(かん 水)、艮(ごん 山)、坤(こん 地)の八卦(はっかとよみます)でも同じです。

あるひとつの窓から、この八卦のうちのひとつが見えたとしますと、たまたま見えていないほかの7つの卦もその後ろや周りに連なって存在しているわけです。そしてこれら八卦が二乗されてできた易経の中の全部の卦である64卦も同じように連なっていて、ひとつの宇宙とか、ひとつのものごと、事象を構成しているとされているのです。
ちょっと矛盾するようですが、これらの卦のひとつを理解すれば、そのほかの63卦全部がわかるということが言えますし、逆にこの63卦を理解することによって、目の前のひとつの卦を本当に理解することができるともいえますね。ひとつの卦に全部が含まれていて、全部が一つ一つの連なりで構成されているということでもあります。

ここから、東洋哲学も東洋医学も、「観えるところから、観えないところを知る学問」として、発展してきたといえるでしょう。
この概念を時空を超えたところまで拡げてゆくと、易経を「占い」といて使うことができるということになります。
もちろん易経は古代に「占い」のために生まれた学問です。それが「孔子」の時代くらいから、占いだけに使うよりも、森羅万象を理解体現する哲学として発展してゆきました。そして易経の内容に孔子の弟子たちや多くの賢人たちによる解釈と使い方の加筆が行われ、東洋一の哲学書として完成されました。近代ではシンクロニシティ(共時律)のユングなども易経の考え方を大いに参考にして、持論を展開された学者です。

東洋医学ではこの易経の根本思想である陰陽、五行、八卦の考え方から、脈診、望診(患者の顔などを観て診断する方法)、腹診などが編み出されて、今日に至っています。

ちなみに卦は「か」とよみます。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」は「はっけ」と通常いわれていることと、相撲で「はっけよいのこった!!」が
八卦からきたとか、気合を入れて!の意味で、「発気(はっき)よい残った(土俵に)」といわれてきたのが訛って「はっけ」となったといわれています。だから、裏通りで易占(易経を使った占い)をする人を「八卦見(はっけみ)」と呼んだりしたのです。

三省堂の新明解漢和辞典第4版の、366頁では卦をカ(クヮ)と読ませています。さすが三省堂さんです!!
ああよかった!以前、私が易経哲学とか東洋哲学のお話をする時に、たまたまこの発音の件の前置きを忘れてお話を進めてしまうと、この卦の発音のところで「プッ、、、(け)でしょ、、、」という素人さんの声がこそっと聞こえてきて悔しい思いをしていたのです。普段から読書をされている方ほど「プッ、、、」とされるので困りました。

このほかにも「鼻腔」、「頭蓋骨」などのよみかたも、業界の読み方と小説の中でふられている読みかながちがうために、おなじようなことがおこるのです。「御用達」「重複」なんかもそうですね。いつかこれらの単語についてもお話したいと思います。
お話のポイントがかなりずれてしまったので、本日はここまでにしておきましょう。

日本伝統鍼灸漢方
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今月のラジオ毎日東洋医学相談コーナー

2007-11-10 16:17:21 | 東洋医学全般
今月のラジオ毎日東洋医学相談コーナーは11月12日月曜日の夜7時半からです。このコーナーは毎月第2月曜日です。お時間のある方は是非お聞きください。
周波数はAM1450メガヘルツです。

また、ラジオ毎日のホーム頁からも聞くことが可能です。当日の放送終了後、早ければ1-2時間後、遅くとも翌日午前中にはアップされます。
前回の放送は10月8日でした。お時間のある方はそこもクリックしてお聞きください。

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ドラマ Friends が嫌いです

2007-11-09 02:24:06 | 雑記
アメリカの人気番組に「フレンズ」というのがありますが、私はあれが大嫌いだということに気がつきました!アメリカに来てから、誰もがあれは面白い、好きだと言っていますが、主題歌のあの手拍子なんかは特に嫌いであります。理由はありません。
この事実は、先日急にスッポーンと気がついたのです。長い間、あの主題歌が聞こえてくると、そういえば、なんというか、「好きなような嫌いなような、、だまされて肝油ドロップを喰わされたような」不思議な気持ちがしていましたが、おかしなことに、嫌いだということが自分でもわからなかったのです。

そういえば、子供のころに一時はやっていたビューティフルサンデーという歌も同じような感じがして、一種の殺意を感じるほど大嫌いであったことを思い出しました。
それが先日、「私はこのフレンズというドラマが大嫌いなんだ!」と感じ取って、堂々と人にも言うことができて、ものすごい発見というか、痒いところに手が届いたというか、実にうれしく思いました。どうでもいいことなんですが、日常生活における大発見なのでご報告させていただきました。

ちなみに小学生だったころ、「みなしごハッチ」は誰もが好きなアニメでしたが、ハッチの顔をよく見ると全然可愛くなくて、人を馬鹿にしたような表情が嫌いなのと、主題歌のお姉さんの声が、いやでした。大人が意図的に可愛いキャラを作り上げて、私たちに「可愛いだろう!かわいそうだろう!さあどおだ!」といっている感じがしたのです。同級生の誰もがそうは思っていないようなので、とてもさびしい思いをしたものです。

ついでに言ってしまうと、「ガッチャマン」も許しがたいアニメです。
男性のキャラはどう見てもホスト顔で、タイツ越しに透けて見える太ももの筋肉がとてもリアルでいやでした。出てくる女性隊員はどう見ても水商売キャラが無理やり子供向け番組に出たような感じで、妙に肉感的で場違いです。そして、アヒルみたいな感じの男の子なんかはハッチと同じく、思い切り人を馬鹿にしたような間抜けな顔立ちで、ため息が出たものです。新宿あたりのホストとホステスとアヒル顔のおしぼり屋の本当は性格の悪いガキが勘違いしてアニメに出ているような、違和感ここに極まれりという番組でした。

私はすぐにチャンネルを変えて、同時だったか30分ずれていたのか忘れましたが、無難なところで「笑点」を観ていたものです。
あの時分、私は確か小学6年だったと思います。
私は当時東京の下町、人形町にある東華小学校(現日本橋小学校)に通っていたのですが、優しかった担任の藤原先生が「君ら日曜日の夕方なんかはガッチャマンなんかみてないで、宿題やっとけよ!」というとみんなは「わー!先生ガッチャマンしってるんだ~」と沸いていたのです。しかし、私だけは「そんなのみてねーよ!あれだけはみねーっつーの!あの時間は笑点でいいんだよ」と抵抗していた記憶があります。

私はとても「いやなガキ」だったんですね。。。
なんか言ってはいけないことを大声で発表できたような気がして、本当にうれしいんです。ああっ!、、、

最後にもう一度。「わたしはフレンズが大嫌いです!さあどおだ!ってか?」
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兆(きざし)

2007-11-08 14:05:03 | 易経、東洋哲学
太極といわれる陰陽を併せ呑んだものをボールという「場」と考えて、そこの性質を白と黒の色で表された陰と陽という概念がお互いに影響しあいながらそのシェアする部分(場)をせめぎあっている、あるいはお互いに補足しあっていると考えるのが東洋的な物事のあり方です。

西洋的には例えばAというスイッチとBというスイッチは別のものと考えます。東洋的には、二つのスイッチを固定して考えずに、かぎりなくBに近いAの結果とか、その反対とか、真ん中へんとか、ある理想の状態を追求した場合、「そのよろしきところを得ている状態」を探ることにこだわります。
そこで東洋の古典によくでてくる「中庸」という概念ができます。多くの方が中庸を凡庸とか優柔不断的なイメージで捉えていますが、本当の中庸の意味は、「その宜(よろ)しきところを得ている」という状態です。このいみは、激しく強くあるべきときにはそのように、逆に控えめにやわらかくいるべきときはそのように処すということを伝えています。

世の中の森羅万象は単純化して太極というボールに現れる白と黒の色のバランスで陰陽のバランスとして観ることができます。
今度はこの森羅万象は全て何らかのつながりというか影響のしあいがあると考えるために、易経を創った古の聖人たちは、陰陽に天人地の概念をかけて、乾(けん 天の意味)、兌(だ 澤)、離(り 火)、震(しん 雷)、巽(そん 風)、坎(かん 水)、艮(ごん 山)、坤(こん 地)の八卦(はっかとよみます)を示し、自然界の八つの特性を表しました。これを二乗して8掛ける8で64種類の卦で、世の中の全てのことを現すとしたのです。易経の64卦は一種の曼陀羅と同じです。お互いに影響しあっている3次元の世界の曼陀羅です。

Japanese Acupuncture

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兆(きざし)

2007-11-07 07:57:29 | 易経、東洋哲学
東洋医学で言う診断とは、兆を読むということであります。
東洋医学に限らず、全てのもの事が起きるときにはその兆が現れるとされています。
季節の変化、春の兆、吉兆、一陽来復の兆などという言葉が使われております。
兆というものは、物事全体を観ないとわかりません。例えば診断をするときなどは、患部だけを見ていたのでは、根本的な治療はできません。

それゆえに伝統を守る東洋医学の専門家達の多くは、東洋哲学、特に易経の勉強をすることによって、天と地の恩恵をこうむりながら生きている人に起る「兆(きざし)」を読む勉強をするのです。天と人と地を観る状態を三才ともいいます。

この世の中ができる全ての要素が混在している状態を太極(カオスといわれる状態)と考え、そこから陰陽、五行や八卦(専門家ははっけではなくハッカとよみます)などの概念が出てきて、自然現象や人体の虚実を観る訓練をいたします。伝統的な東洋医学を学ぶための必修科目といえるでしょう。

例えば陰陽という概念ですが、どうも世の中には陰というものと陽というものが別々に存在して、それが組み合わさっているように感じてしまいがちですが、そうではありません。コインの裏と表、片方が陰でもう片方が陽というふうにかっちりと分けられるものではありません。
むしろ三次元的に物事を捉える方が感得しやすいかもしれません。
一つの丸いボールをイメージしてみましょう。


日本伝統鍼灸漢方
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