日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

変わり行く風景

2012年11月04日 | インポート
以前は自宅の西側の方に見えていた、隣町である諫早市森山町の山際の集落等が見えなくなった。

雲仙市愛野町と諫早市森山町を通過する自動車専用道路の建設工事の進捗により、家の周りの風景が変わりつつある。

用地買収の容易さから選定された道路線形だろうが、優良な水田だった区域にそれは建設されている。

子どもの頃から慣れ親しんできた、のどかな水田と山際の集落などを臨むことが出来る近隣の風景だったが、今は威圧感のある建設構造物が視野を遮断しつつある。

まるで、大きな堤防が築造されたようにさえ感じる。

先人の方々が、主食である米の増産のために、潟浜を干拓する事によって耕作地を増やして形成されてきた平坦な水田地帯を、分断するような配置で建設工事が進められている。

一度、土木構造物によって遮断された風景は、それを撤去しない限り元に戻すことは出来ないから、子どもの頃から見慣れた自宅周りの風景は、もう見ることはできない。

周辺の風景の変化の要因は、その道路建設によるものばかりではなく、生活道路の改修や住宅の建て替え、新設、河川の改修、水田の圃場整備などたくさんある。

雨が降るとぬかるんでいた道路は舗装されてきれいになり、町内会30戸余りの住宅のうちの20戸以上は新しく建て直され、石垣の護岸だった千鳥川の岸辺はコンクリートで固められて、40年以上前の場景は、かすかな記憶の中にしか存在しない。

子どもの頃は水田や畑だった場所に、住宅が建てられ、そのことによって、以前は見渡す事が出来ていた風景が遮断されて、窮屈に感じるような方角もあるようになった。

地域の発展の象徴と思えばそのようにも解釈できるが、子どもの頃には当たり前に見ていた自然環境も消滅しつつある。

泥底の小さな用水路の岸辺にはセリが繁茂し、その用水路に水が流される季節には水底に青色の鮮やかな水中花が咲き、ドジョウや小鮒やハヤの子などが泳いでいた。

コンクリートのU字溝に変わってしまった用水路には、セリの繁茂は無いし、青色の水中花もほとんど見ないようになった。

子どもの頃に住んでいた家の裏を流れている千鳥川も、諫早湾干拓の潮受け堤防の築造によって、潮汐による潮の遡上もなくなった。

梅雨時などの大雨による洪水被害の危険性は軽減されたが、それと引き換えに無くしてしまった環境もある。

潮汐によって維持されてきていた有明海の干潟の多くを消滅させ、その有明海の子宮とも呼ばれていた海域における、魚類の産卵・生育場所を無くしてしまった。

そして、人工的に造られた閉鎖性水域により、その中の水質が悪化して、アオコやユスリカの異常発生などが起きている。

自然の恵みとして当たり前に誰にでも採取できていたアゲマキやシシ貝も、潮受け堤防の締め切りによる調整池内の干潟の消滅とともに姿を消した。

日本の国内でも有明海周辺の干潟にしか生息していないムツゴロウも同様に、調整池内においてはその淡水化によって死滅してしまった。

秋から冬にかけての、旧干拓堤防からのハゼ釣りの人たちの姿も、潮汐によるハゼの遡上がなくなったことにより、見かけることはなくなった。

有明海の潮汐の遡上圏であった、千鳥川の左岸脇にあった家で育ったので、川の下流からの潮の遡上と川の上流からの大雨により増水する流下によって、物心ついてからも2回は洪水被害にあっているが、今は潮受け堤防により潮汐の遡上が遮断されているので、そのような洪水被害に遭う可能性はほとんど無くなった。

そして、旧干拓堤防にある排水樋門には、大量の排水能力を有する強制排水ポンプの設置が進められている。

排水不良を改善して、旧干拓地内においての畑作物の生産につなげるという大義名分を掲げてはいる。

しかし、実は洗面器の底のような地形である干拓堤防に囲まれた区域において、その排水不良を無くすには、大雨により流下水が増えた状況下においては、潮受け堤防の機能上、従来の排水樋門を締め切っての強制排水による方法しか低平地における排水不良を克服する方法は無いということは当たり前の常識として分かっていたことでもある。

中学生レベルの理科の実験でも容易に理解できるような事柄を無視して、潮受け堤防の完成以降にも、排水不良による冠水が度々起きたことにより、苦肉の策として「畑作物の生産につなげる」という大義名分を掲げているだけのことである。

繰り返すが、低平地における増水時の排水対策としては、強力な排水ポンプによる強制排水しか方法は無い。

行政がやっと、当たり前の事を当たり前に対処しようとしているだけのことである。

潮受け堤防内に溜まった水は、外海との潮汐の関係で、常時排水できるわけではなく、外海の引き潮により外海の潮位が調整池内の水位よりも低くなった時間帯にしか排水できない。

そのような条件が整うまでは、調整池の中の水位は上流からの流下水により増え続ける事になる。

調整池の水位が上昇すれば、旧堤防で囲まれている耕作地内に、排水樋門を通じて調整池内の水が逆流する。

だから、そのような逆流を防ぐには、従来の排水樋門を締め切って、その排水樋門の通水断面以上の排水能力を有する強制排水ポンプを設置し、強制的に排水するしか方法は無い。

調整池に面している排水樋門の全てを自動的に締め切る事ができるようにして、それらの全てに強制排水用の強力な能力を有する排水ポンプを設置し、水位の自動監視システムにより制御可能なようにすれば、低平地における排水対策は万全になる。

低平地における排水対策は、何も農業だけの問題ではない。

地域全体の問題であるから、強制排水ポンプの稼動による電気代等の負担は、地域の行政がすればよい。

強制排水ポンプの稼動のために使う電力は、調整池の水門の開閉による水流のエネルギーを利用すれば充分に賄えるはずだ。

要するに潮流発電(潮汐発電)のシステムを導入すれば、自然のエネルギーによる発電が可能になる。

今、諫早湾干拓の調整池の水門の常時開門調査を国がやろうとしているが、地元の一部農業団体は強行に反対している。

私は常時開門ということには反対ではあるが、軸足を少しだけ動かして、条件付の開門調査の話し合いのテーブルにはつくべきだと思う。

裁判の判決によって、国家が進めようとしていることであるし、国は再三地元に対して説明の機会を作っている。

地域に暮らしている人は農業者だけではない。

諫早湾干拓の調整池の水門の開門調査に伴って発生するであろう公共事業費は、およそ700億円という説もある。

県内の建設関連業の活性化のためにも、条件付開門調査には応じた方が地元にとっては得策だと私は思う。

地元の建設関連業が元気になれば、それに連動して資材等の販売から夜の歓楽街まで元気になることができる。

言うなれば、国家が行なっている諫早湾の干拓事業は国家の責任において継続中であり、それに必要な経費は国家が負担してくれるということであれば、何も強行に反対することもないのではないだろうか。

国家は財政的な執行権を握っている最も上級の権限を有している組織でもあるということを認識した方が良い。

気象予測の技術も進歩しているのだから、大雨が予測される前には調整池の水門を閉めて、外海からの潮汐を遮断すれば、洪水被害に遭うことも無い。

水門を開門すれば、潮汐により、人工的に作られた閉鎖性水域の悪化した水質も改善される。

物の見方を少しだけ変える事によって、物事は良い方向に進むこともある。

変わり行く風景とともに、思考の経路も少しずつ変えて行った方が良いのかもしれない。


豊田一喜