コロコロと言っていることを変えて、その場その場で耳当たりの良い言葉を発する政治屋が多いように見受けられる。
国政選挙を前にして、そのような輩が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)することは予測できてはいたが、それにしてもひどい。
脱原発の方針を、他の政治勢力と合流した事によってトーンダウンし、どのようにでも解釈できるような言い回しに変えてしまって、挙句にはその政党のマニフェストを文字化する事をしないで、「自分は政党の方針はいつでも自分の言葉でしゃべる事が出来る」と言い出す始末。
ブレブレの人たちの集団に自分たちの未来を託すわけには行かない。
その人のリーダーシップに期待していただけに幻滅してあきれてしまった。
私の中の選択肢から、その政党は完全に消去した。
また、民主党は、長崎2区からの衆議院議員選挙への立候補者の擁立に向けて、以前の長崎県知事選挙に担ぎ上げた元農水省職員だった橋本剛氏に出馬の要請をしたそうだが固辞されたのだと。
橋本氏にしてみれば、2回も続けて騙されはしませんよという所だろうが、正しい選択をされたと思う。
福田えり子氏の離党によって、なんとしてでも誰かを出さなければということなのだろうが、結局は民主党長崎県連の内輪での人選という選択肢しかなかったようだ。
民主党から誰が出ようが、見事に期待を裏切ってくれた政党ということで、既に民主党という選択肢は私の中では消去済み。
また、雲仙市長の奥村慎太郎氏が長崎2区から出馬するということのようだ。
雲仙市の幹部職員が1000万円以上の金額の公金の不正な扱いをしていたという事件が発覚したにもかかわらず、国政への転出を図ろうとしている。
その管理責任者としての責任意識は無いのだろうか。
部下がしでかした事件ということでの言い逃れは通用しないのではないのだろうか。
私から見れば、ブレブレの人たちの典型のような人に思える。
合併前の協定内容は尊重すると言い続けておきながら、雲仙市の新庁舎を愛野町に建設することはせずに、旧7町で取り決めた合併の理念に反して、吾妻庁舎と千々石庁舎の増築で済ませるということを言い出した張本人でもある。
元々自民党の県議会議員だった人なのに、長崎県の自民党が、加藤かんじ氏を衆議院議員選挙の立候補予定者として擁立しているにもかかわらず、衆議院議員選挙に自ら出ようとしているということは、古巣に弓を引くことの様にも思える。
今の流れを見て、潮時だと具申したブレーンがいたのだろうか。
保守系が分裂すれば、他の候補予定者に有利になる可能性も否定は出来ないだろう。
共産党は、元千々石町議会議員だった矢崎勝巳氏を長崎2区から擁立している。
個人的に面識があり、直接話をした事がある唯一の立候補予定者でもある。
庶民感覚としては共産党の主張には同調できるところが多くあるが、社会主義を標榜していた国家の崩壊や、現在の複数の隣国の現状を見ると、その国家運営のあり方には賛同出来ない。
小沢一郎氏が率いる「国民の生活が第一」という、投票用紙に記入するには面倒くさいような党名の政党の方針は、一貫していてブレてはいないように私は思う。
マスコミや国家権力の既得権益集団により、小沢一郎氏が、強引に罪人に仕立て上げられようとしたことによって、悪人のイメージを植え付けられている人が多いとは思うが、小沢一郎氏の主張とその取った行動に関しては賛同できる。
裁判での無罪の確定が、マスコミや国家権力の既得権益集団により、小沢一郎氏が、強引に罪人に仕立て上げられようとしていたことの証明でもあると言える。
「国民の生活が第一」という視点での国家運営が、今の日本の政治には欠如しているように思う。
消費税の増税、原発、TPPなど、日本の現状と将来にとって、その選択を誤ると、おかしな社会になっていく可能性を秘めているのではなかろうか。
「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」という、これもまた投票用紙に記入するには面倒くさいような党名の政党の方針は、判りやすくて、私たち庶民の感覚に響くものがある。
党首の河村たかし氏が常々主張している、「税金で食わせてもらっている公務員がたくさんの収入を得て、のうのうと暮らしていて、税金を納める側の一般人が生活に困っているような社会の構図はおかしい」という考え方には全面的に賛同できる。
残念ながら、私たちの長崎2区からは、それらの政党からの立候補予定者は今のところいないが、比例区への投票は出来る。
ブレブレの人たち以外を、きちんと見極めて、貴重な2票を投じようと思っている。
豊田一喜
国政選挙を前にして、そのような輩が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)することは予測できてはいたが、それにしてもひどい。
脱原発の方針を、他の政治勢力と合流した事によってトーンダウンし、どのようにでも解釈できるような言い回しに変えてしまって、挙句にはその政党のマニフェストを文字化する事をしないで、「自分は政党の方針はいつでも自分の言葉でしゃべる事が出来る」と言い出す始末。
ブレブレの人たちの集団に自分たちの未来を託すわけには行かない。
その人のリーダーシップに期待していただけに幻滅してあきれてしまった。
私の中の選択肢から、その政党は完全に消去した。
また、民主党は、長崎2区からの衆議院議員選挙への立候補者の擁立に向けて、以前の長崎県知事選挙に担ぎ上げた元農水省職員だった橋本剛氏に出馬の要請をしたそうだが固辞されたのだと。
橋本氏にしてみれば、2回も続けて騙されはしませんよという所だろうが、正しい選択をされたと思う。
福田えり子氏の離党によって、なんとしてでも誰かを出さなければということなのだろうが、結局は民主党長崎県連の内輪での人選という選択肢しかなかったようだ。
民主党から誰が出ようが、見事に期待を裏切ってくれた政党ということで、既に民主党という選択肢は私の中では消去済み。
また、雲仙市長の奥村慎太郎氏が長崎2区から出馬するということのようだ。
雲仙市の幹部職員が1000万円以上の金額の公金の不正な扱いをしていたという事件が発覚したにもかかわらず、国政への転出を図ろうとしている。
その管理責任者としての責任意識は無いのだろうか。
部下がしでかした事件ということでの言い逃れは通用しないのではないのだろうか。
私から見れば、ブレブレの人たちの典型のような人に思える。
合併前の協定内容は尊重すると言い続けておきながら、雲仙市の新庁舎を愛野町に建設することはせずに、旧7町で取り決めた合併の理念に反して、吾妻庁舎と千々石庁舎の増築で済ませるということを言い出した張本人でもある。
元々自民党の県議会議員だった人なのに、長崎県の自民党が、加藤かんじ氏を衆議院議員選挙の立候補予定者として擁立しているにもかかわらず、衆議院議員選挙に自ら出ようとしているということは、古巣に弓を引くことの様にも思える。
今の流れを見て、潮時だと具申したブレーンがいたのだろうか。
保守系が分裂すれば、他の候補予定者に有利になる可能性も否定は出来ないだろう。
共産党は、元千々石町議会議員だった矢崎勝巳氏を長崎2区から擁立している。
個人的に面識があり、直接話をした事がある唯一の立候補予定者でもある。
庶民感覚としては共産党の主張には同調できるところが多くあるが、社会主義を標榜していた国家の崩壊や、現在の複数の隣国の現状を見ると、その国家運営のあり方には賛同出来ない。
小沢一郎氏が率いる「国民の生活が第一」という、投票用紙に記入するには面倒くさいような党名の政党の方針は、一貫していてブレてはいないように私は思う。
マスコミや国家権力の既得権益集団により、小沢一郎氏が、強引に罪人に仕立て上げられようとしたことによって、悪人のイメージを植え付けられている人が多いとは思うが、小沢一郎氏の主張とその取った行動に関しては賛同できる。
裁判での無罪の確定が、マスコミや国家権力の既得権益集団により、小沢一郎氏が、強引に罪人に仕立て上げられようとしていたことの証明でもあると言える。
「国民の生活が第一」という視点での国家運営が、今の日本の政治には欠如しているように思う。
消費税の増税、原発、TPPなど、日本の現状と将来にとって、その選択を誤ると、おかしな社会になっていく可能性を秘めているのではなかろうか。
「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」という、これもまた投票用紙に記入するには面倒くさいような党名の政党の方針は、判りやすくて、私たち庶民の感覚に響くものがある。
党首の河村たかし氏が常々主張している、「税金で食わせてもらっている公務員がたくさんの収入を得て、のうのうと暮らしていて、税金を納める側の一般人が生活に困っているような社会の構図はおかしい」という考え方には全面的に賛同できる。
残念ながら、私たちの長崎2区からは、それらの政党からの立候補予定者は今のところいないが、比例区への投票は出来る。
ブレブレの人たち以外を、きちんと見極めて、貴重な2票を投じようと思っている。
豊田一喜