江戸時代から続く旧家には蔵などに当時の大量の文書が残されていることがある。
江戸時代の庶民の暮らし向きなどを知るには格好の原資料となる。
この本はそうした資料の一つである今は岐阜県の長良川の輪中の村の安八郡西条村の庄屋「西松家」権兵衛の日記をもとに当時の農民生活を描き出している。
ちなみに歴史人口学の分野では速水融によって宗門改め帳を分析した「江戸の農民生活史」という優れた業績がある。舞台も同じ村で読みやすいのでそちらから読んでもいいと思います。
この本でわかるのは村の庄屋の忙しさと大変さ。領主と村の間に立って領主、役所からの伝達事項を伝え、年貢米を取り立て納める。水害とか災害があれば減免を申し立てる。そのほかにいろいろな上納金とか荷役があればそれも手配する。治安維持についても第一義に責任を持ち、盗難や博奕、捨て子、失踪についても対応する。結婚や就職で村を離れる時の人別送り状も出す。まるで今の区役所が市民課、税務課、福祉課、総務課などなどでやっていることを一人でやっているみたいです。日記からも激務が読み取れます。
それでもそれはそれとしてちゃんと農閑期には旅行にもよく出かけ、激務の合間を縫って生け花、俳諧と趣味にも打ち込んでいます。
経済的にも比較的裕福で妹が武家に嫁いでいるのですが、実家からいつも多大な援助をしていたみたいです。医療についてもその効果はどれほどかはともかくとして病弱な子供にもいろいろ手を尽くしています。
さもありなんと思うのはこういう激務な庄屋に対して役人たる武士のぬるさ。いろいろな場面で上は役人、下はそのお供にまで賄賂(当時はそういう認識はなく、役人の当然の権利と思っていたのだろうが)でご機嫌をとっている。役人が姿を見せた時には予定外の昼食でもてなしご機嫌になったとか食事の品数が足りなくて不機嫌だったので急遽手配して機嫌を直したとかいう記述まであるし、平和な時代でこれといった仕事もなく権威だけにすがって支配している姿が見て取れる。
当時の食生活についても、ハレの行事については献立も記載してあるので食べていたものがわかる。野菜だけかと思いきやフナ、ウナギ、エビ、ボラ、カツオなど魚介類の多くとっていて鳥も食べている。集計表の品数を見ていると結構豊かですし、折に触れて酒も飲んでいるみたいです。
さらにこの家だけかもしれませんが、権兵衛の妻の自由さはなかなかのもので、これが江戸時代の家に縛られた嫁かと思います。実家へ里帰りはしょっちゅうで日帰りの予定が泊まったり、芝居見物にもよく行く。実家の姉妹と旅にも出ている。ただ、庄屋のような家では家事全般にわたり使用人がおり、妻のやるべきことは限られていたみたいです。著者があとがきにも書いていますが、著者の祖母は永年庄屋を務めた旧家で、亡くなるまで一度も台所仕事をしなかったとか。多くの使用人が働く中で「奥の人」だったそうです。まさに奥方様ですね。まあ、権兵衛の妹たちも何かと実家へ帰ってきたり援助を受けたりしているので、やっぱり女性は封建的家制度の中で虐げられていただけではなかったみたいです。
ところで当時はほとんど家同士で結婚を決めるのですが、正式な結婚の前には客分という形でいわゆるお試し期間を設けています。それでダメだという場合も結構あったみたいです。
また乳児死亡率は高く、乳児だけでなく母親もお産によって亡くなる例が多かったみたいです。まさに出産は命がけ。当時の平均寿命は男性38.6、女性39.1と推計されているがこれはひとえに乳幼児死亡率が高いため。子供にとっては疱瘡や麻疹も命とりの病気になります。乳幼児期を乗り切れば60歳以上の高齢者も結構いるし、80歳を超えるような長寿も珍しくない。宗門改め帳には1歳未満の乳児の死亡や死産は記録されないので、出生率、乳児死亡率の推計を難しくしています。
この本はそのほかに奉公人や生活費、物価など日記から読み取れる当時の生活の実態を詳しく書いていますが、門外漢にはちょっと煩雑。記述を素人向けにもう少しまとめて新書版ぐらいにしてくれたらと思いますが、これはこれで意義があるのでしょう。
江戸時代の庶民の暮らし向きなどを知るには格好の原資料となる。
この本はそうした資料の一つである今は岐阜県の長良川の輪中の村の安八郡西条村の庄屋「西松家」権兵衛の日記をもとに当時の農民生活を描き出している。
ちなみに歴史人口学の分野では速水融によって宗門改め帳を分析した「江戸の農民生活史」という優れた業績がある。舞台も同じ村で読みやすいのでそちらから読んでもいいと思います。
この本でわかるのは村の庄屋の忙しさと大変さ。領主と村の間に立って領主、役所からの伝達事項を伝え、年貢米を取り立て納める。水害とか災害があれば減免を申し立てる。そのほかにいろいろな上納金とか荷役があればそれも手配する。治安維持についても第一義に責任を持ち、盗難や博奕、捨て子、失踪についても対応する。結婚や就職で村を離れる時の人別送り状も出す。まるで今の区役所が市民課、税務課、福祉課、総務課などなどでやっていることを一人でやっているみたいです。日記からも激務が読み取れます。
それでもそれはそれとしてちゃんと農閑期には旅行にもよく出かけ、激務の合間を縫って生け花、俳諧と趣味にも打ち込んでいます。
経済的にも比較的裕福で妹が武家に嫁いでいるのですが、実家からいつも多大な援助をしていたみたいです。医療についてもその効果はどれほどかはともかくとして病弱な子供にもいろいろ手を尽くしています。
さもありなんと思うのはこういう激務な庄屋に対して役人たる武士のぬるさ。いろいろな場面で上は役人、下はそのお供にまで賄賂(当時はそういう認識はなく、役人の当然の権利と思っていたのだろうが)でご機嫌をとっている。役人が姿を見せた時には予定外の昼食でもてなしご機嫌になったとか食事の品数が足りなくて不機嫌だったので急遽手配して機嫌を直したとかいう記述まであるし、平和な時代でこれといった仕事もなく権威だけにすがって支配している姿が見て取れる。
当時の食生活についても、ハレの行事については献立も記載してあるので食べていたものがわかる。野菜だけかと思いきやフナ、ウナギ、エビ、ボラ、カツオなど魚介類の多くとっていて鳥も食べている。集計表の品数を見ていると結構豊かですし、折に触れて酒も飲んでいるみたいです。
さらにこの家だけかもしれませんが、権兵衛の妻の自由さはなかなかのもので、これが江戸時代の家に縛られた嫁かと思います。実家へ里帰りはしょっちゅうで日帰りの予定が泊まったり、芝居見物にもよく行く。実家の姉妹と旅にも出ている。ただ、庄屋のような家では家事全般にわたり使用人がおり、妻のやるべきことは限られていたみたいです。著者があとがきにも書いていますが、著者の祖母は永年庄屋を務めた旧家で、亡くなるまで一度も台所仕事をしなかったとか。多くの使用人が働く中で「奥の人」だったそうです。まさに奥方様ですね。まあ、権兵衛の妹たちも何かと実家へ帰ってきたり援助を受けたりしているので、やっぱり女性は封建的家制度の中で虐げられていただけではなかったみたいです。
ところで当時はほとんど家同士で結婚を決めるのですが、正式な結婚の前には客分という形でいわゆるお試し期間を設けています。それでダメだという場合も結構あったみたいです。
また乳児死亡率は高く、乳児だけでなく母親もお産によって亡くなる例が多かったみたいです。まさに出産は命がけ。当時の平均寿命は男性38.6、女性39.1と推計されているがこれはひとえに乳幼児死亡率が高いため。子供にとっては疱瘡や麻疹も命とりの病気になります。乳幼児期を乗り切れば60歳以上の高齢者も結構いるし、80歳を超えるような長寿も珍しくない。宗門改め帳には1歳未満の乳児の死亡や死産は記録されないので、出生率、乳児死亡率の推計を難しくしています。
この本はそのほかに奉公人や生活費、物価など日記から読み取れる当時の生活の実態を詳しく書いていますが、門外漢にはちょっと煩雑。記述を素人向けにもう少しまとめて新書版ぐらいにしてくれたらと思いますが、これはこれで意義があるのでしょう。
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