益田ミリの作品は、ちょっと疲れている時ぐらいに読むと本当に心癒されます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/93/7a5a4fde1bfd6eb3fafbb6234cbea40c.jpg)
この「お母さんという女」もそうですが、150ページほどでしかも3分の1は漫画。暇なときに寝っ転がってぱらぱらと読むことができます。
成人してそれなりの人生経験を積んだ(ちなみに著者は執筆時点で30代後半独身、結婚して子供を産むことはほぼないと思っている)目で見るとお母さんの行動は、突っ込みどころ満載。大阪のおばさんのおかしなところ、ずれているところを面白おかしく書いているのだが、バカにしているわけではない。それはそれで一理あると共感し、感心しつつ、でもなんか変という感じです。本人がマザコンと言われるんではと書いているように母親を圧倒的に愛していて、夫婦旅より親子旅としょっちゅう旅行に一緒に行っています。
「オトーさんという男」も対になって出ていますが、どうもお父さんは娘にとって理解不能のところが多いみたいで、結構「どうしてそうなの~」と嫌だったところが前面に出ています。それでもまあ、こういう人だったんだと納得しているのですが、時折入れる母親の突っ込みにおおいに共感しています。娘二人の家族でただ一人の男であるお父さんは孤独なのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/4a/dbd8e1c4d15f94917bc4eb025ffeccf1.jpg)
しかしどちらの本も読後感はとても暖かくほんわりします。
それは著者が圧倒的に両親(残念ながらとくに母親の)の愛にくるまれて育った記憶があるから。最後のところに書いてあるのだが
「叱られることもあったくさんあったけど、基本的には子供に甘すぎるオカンだった。だけど、甘やかされたその思い出はいつも私の心の中にあって、私の心の芯の部分を温かくしてくれる。
私、大丈夫かも。
それはなぜか根拠のない自信を私に授けてくれるのである。」
という文章には子供に注がれた母親の大きな愛を実感させる。
もう一つあとがきの最後の文章を
「母との思い出を「よく覚えていますね」と言われることがある。
そんなとき、わたしは忘れている記憶のほうを思うのだった。
わたしが覚えていることなど、ほんの一部。その後ろには、惜しみなく注がれたであろう母の愛情が静かに眠っている。一つ一つを確認することはできないけれど、私の心の深く深くに残っているのだろう。」
先日テレビを見つつ子どもと話していたら、小さいころにいろいろ連れて行ったことをほとんど覚えていなかった。「沖縄でステーキ食べたよ」「覚えていない」「彦根城行ったよな」「覚えていない」「清水寺も行ったよな」「修学旅行だ」
正直がっかりしたのですが、旅行の記憶は残っていなくても、その時に注いだほんの少しの愛情でも心の深く深くに残っていたら、私は大丈夫という根拠のない自信を持っていてくれたらと思う。今となってはもう遅いんですけどね。
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この「お母さんという女」もそうですが、150ページほどでしかも3分の1は漫画。暇なときに寝っ転がってぱらぱらと読むことができます。
成人してそれなりの人生経験を積んだ(ちなみに著者は執筆時点で30代後半独身、結婚して子供を産むことはほぼないと思っている)目で見るとお母さんの行動は、突っ込みどころ満載。大阪のおばさんのおかしなところ、ずれているところを面白おかしく書いているのだが、バカにしているわけではない。それはそれで一理あると共感し、感心しつつ、でもなんか変という感じです。本人がマザコンと言われるんではと書いているように母親を圧倒的に愛していて、夫婦旅より親子旅としょっちゅう旅行に一緒に行っています。
「オトーさんという男」も対になって出ていますが、どうもお父さんは娘にとって理解不能のところが多いみたいで、結構「どうしてそうなの~」と嫌だったところが前面に出ています。それでもまあ、こういう人だったんだと納得しているのですが、時折入れる母親の突っ込みにおおいに共感しています。娘二人の家族でただ一人の男であるお父さんは孤独なのです。
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しかしどちらの本も読後感はとても暖かくほんわりします。
それは著者が圧倒的に両親(残念ながらとくに母親の)の愛にくるまれて育った記憶があるから。最後のところに書いてあるのだが
「叱られることもあったくさんあったけど、基本的には子供に甘すぎるオカンだった。だけど、甘やかされたその思い出はいつも私の心の中にあって、私の心の芯の部分を温かくしてくれる。
私、大丈夫かも。
それはなぜか根拠のない自信を私に授けてくれるのである。」
という文章には子供に注がれた母親の大きな愛を実感させる。
もう一つあとがきの最後の文章を
「母との思い出を「よく覚えていますね」と言われることがある。
そんなとき、わたしは忘れている記憶のほうを思うのだった。
わたしが覚えていることなど、ほんの一部。その後ろには、惜しみなく注がれたであろう母の愛情が静かに眠っている。一つ一つを確認することはできないけれど、私の心の深く深くに残っているのだろう。」
先日テレビを見つつ子どもと話していたら、小さいころにいろいろ連れて行ったことをほとんど覚えていなかった。「沖縄でステーキ食べたよ」「覚えていない」「彦根城行ったよな」「覚えていない」「清水寺も行ったよな」「修学旅行だ」
正直がっかりしたのですが、旅行の記憶は残っていなくても、その時に注いだほんの少しの愛情でも心の深く深くに残っていたら、私は大丈夫という根拠のない自信を持っていてくれたらと思う。今となってはもう遅いんですけどね。
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