言葉のチカラこぶ——『いい言葉塾』

言葉はコミュニケーションの基本。伝えたいことは「言葉のチカラ」できっと伝えられる。もっとうまく伝えられる。

8月15日。終戦記念日です。

2011-08-15 08:42:38 | 販売促進コンサルタントの日記
こんにちは。
前橋の販促経営コンサルタント、藤田です。
今日もよろしくお願いします。


この時期になると、テレビでは太平洋戦争を振り返り、検証するという番組が増えます。ドラマも必ず数局で放送されます。
だいたいが、まあ、その戦争の悲惨さを訴えるものとしてワンパターン化していますね。
あの時代の笑いのあるものは御法度だとでいうように、涙涙の物語です。

しかし、あの時代だって人々は、何も歯を食いしばって毎日暮らしていたわけではないだろうに、どうしてしみじみとした暮らしや、笑いを含めた生活シーンを描いたドラマが、最近ではないのでしょうか。

それはひとつには、ドラマを作る制作者たちが戦後生まれの人にすっかりなってしまったために、戦前戦中と言えばみんな厳しい生活を強いられたんだ、という通り一遍のイメージしか持たなくなてしまっているからではないでしょうか。
もっと大きな視点、そして生活に踏みこんだ細やかな視点を持った本当のドラマを描いてほしいなという気が、最近するのは、わたしだけでしょうか。


さて昨日は、夕方から文字通り夕立がありました。
買い物に行っている途中からみるみる雲行きが怪しくなり、稲妻が光り、が鳴りだし、がぽつぽつ、と思う間もなく本降りになりました。

結構強く降りましたが、あまり涼しくはなりませんでした。夜の寝苦しさは相変わらず。
でもわが家の乏しい庭の植物たちへは、いい自然の恵みにはなったようです。
というのは、ありがたいものです。


今日は妻の姉夫婦と一緒に義父の墓参りに行きます。
自身の両親の墓は遠い関西にありますので、そうたびたび行くことができないので、その代わりのように、こちらの墓参りには必ずついていくようにしています。

あるとき、いつも墓参りに行くと感じることが、ある日、テレビから歌声になって聞こえてきました。
そうです、「♫~わたしのお墓の前で、泣かないでください~♫」という例の歌です。
あ、自分が思っていたことがそのまま歌詞になってる、と初めて聞いたときに思いました。

わたしは、墓参りというのは、とても形式的なことだと思っています。
祈ることだけなら、お墓の前でなくてもいつも心に念じればいいことです。

嫌なのは、あのこれ見よがしに林立するお墓の群れが、墓石業者の高笑いのように思えることなんです。
家族の、亡くなった人たちへの思いを利用して、必要以上の利益を上げているように思えてなりません。
また墓石を見栄にさえする人たちへの、ある意味哀れさも感じます。
見栄と利益、両方の価値観が合致して、ああいった立派すぎる墓石の群れになったのでしょうね。

かといって、都会で最近できているマンションのようなお墓も、また嫌なんですけどね。

そういう意味では、関係のない自分のような輩がとやかく言うこともないのでしょう。
まあ勝手にやってください、とでも言っておきましょう。


そういった風潮を嫌気がさしている人たちも、一方ではいます。

最近、樹木葬という言葉を聞きました。
秋田県のあるNPO法人が始めた“桜葬”というのが最初らしいですね、詳しいことは知りませんが。
桜の木の周囲に墓地を作り、墓石をたてないで、骨壺だけをその周りに埋葬するという形の墓地です。

東京近郊にもそういった、いわゆる自然葬を扱うNPO法人もありますし、実際にその法人が運営する樹木葬のある場所を見たこともあります。

この埋葬方法は、墓石を建てないで、地中に骨壺を埋葬し、長い時間をかけて自然に還っていくようにしているわけですね。
その墓地一帯は芝生で覆われています。埋葬されている人の名前は一枚の碑に掘られています。
こういった埋葬方式もこれからますます人々の考え方が多層化するにつれ、増えてくるのではないでしょうか。

わたしも娘には墓もいらないし骨だって海に撒いてくれればいいと日頃から言っています。

この群馬にもそういった考え方もありだな、というあるお寺の住職がいまして、その人の話を聞いたこともありますし、自分が預かるお寺の墓地の一角にそうした地所も用意しています。
このように、人それぞれの考え方に対応した埋葬も、これからは考えなくてはいけないでしょうね。


今回の東北大地震では、墓石も違った場所に流され、その扱いに困っているという新聞記事も読みましたが、こういった災害時にも人様の迷惑にならない自然葬がいいなあと思いました。

今日はなんだか、しんみりした話になってしまいましたね。
これもお盆だからというわけでしょうか。

長くなりますが、ここでちょっとわたしが以前書いたショート・ストーリーを掲載します。
まだ時間がある方は、ちょっとお読みくださればありがたいです。



 「父の帰宅」


 ガタ、ガタ、ガラ、ガタ、ガラガラ…………ガラ。
 玄関の引き戸が、少し強めの力で引き開けられた。

 この話には、どうも現代的なプレハブ住宅は似つかわしくない。
 昔からある下町の築40、50年の家が似合う。
 そういう家をイメージしながら読んでいってもらいたい。

 「ただいま。お母さん」
 若い女性の声だ。
 奥の台所から母の声が答えた。
 「お帰り。今日は早いのねえ」
 帰ってきたのは彼女の一人娘だ。
 そのまま台所まで足を進めながら娘が答える。
 「うん。だって、…………、ねえ、お父さん帰ってきたぁ?」
 「ああ、そうね。だから早かったのね」
 「うん」
 「帰ってらっしゃるわ。奥にいるから挨拶なさい」
 「うん、もちろん」
 娘はハンドバッグを台所の隣りの居間の座布団の横に置き、奥の部屋に声をかけた。
 「お父さん、お帰りなさい」
 「ああ、今日子、お帰り。いつもこんなに早いのか」
 「ううん、今日はだって、お父さん久しぶりに帰ってくる日だもの。早引きしちゃった」
 「そりゃいかんな。何も俺がすぐ戻るわけじゃないだから、ちゃんと仕事してくればいいのに」
 「ううん。いいのよ、1年に何日もないんだから、こんな日は」
 「そうか、でもうれしいな。俺をちゃんと待っててくれたなんて」
 「お父さんだもの、当たり前じゃない」
 「いや、みんなに聞くとね、ほとんど迷惑がられるって話だからな」
 「良かったね、いい娘といい妻で」
 「ほんとだ」
 二人で同時に微笑んだ。

 こういう親と子の会話は、しかし以前はなかった。
 今になってやっと蟠りなく交わせるようになった。
 皮肉なことだが、それでも、今があることにある意味感謝しなければならない、と今日子は思った。

 「じゃ、お父さん、着替えてくるわ。ゆっくりくつろいでいてね」
 「ああ、ありがと、って言っても、ここは今でも俺の家だよな」
 「あ、そうだった」
 二人で今度は大声で笑った。
 今日子は笑い声を残したまま自分の部屋に消えた。
 母がその声を聞きつけて、父がくつろいでいる部屋にやってきた。
 「ずいぶん楽しそうね。親子して大きな声で笑ったりして」
 「うん? ああ。悪かったかな」
 「なんで? いいことよ。親子で笑えるなんて、幸せなことよ。もっと早ければもっと良かったけどーー」
 「嫌みっぽく言うなよ。悪かったよ」
 「いいですよ、昔のことだからみい~んな忘れましょ。せっかく帰って来れたんだから」
 「うん」
 「もうすぐご飯よ。あなたの好きなものばっかり用意したから。好きなだけ食べてってね。あちらじゃごちそうなんて食べられないんだから」
 「ああ、でもなんだか、あっちが長いと、だんだん食欲もなくなってくるみたいなんだ」
 「あら、大丈夫?」
 「ああ俺はまだ大丈夫だけどな。そのうち………」
 「仕方ないのかもしれないわね」
 そこに普段着に着替えた今日子が戻ってきた。
 「なに、何が仕方ないの」
 「あ、いや。あっちにいるといろいろ変わってくるって話さ」
 「そりゃ仕方ないわよ。郷に入れば郷に従えっていうしさ、ね」
 「今日子はいいわねえ、楽天的で。私はもうだめ――」と言って母は目頭を押さえた。
 「お母さん、せっかくお父さんが帰ってきたのに、何も泣かなくったっていいじゃない」
 「ごめんね。あなたがせっかく久しぶりに帰ってきたっていうのに。私ったら」
 「いいさ。泣きたいだけ泣けば。今だから泣けるってこともあるさ」
 「そうね、お母さん、あの時はとても気丈だったから。涙のひとつも見せない強い人ねって、近所の人も言ってたから」
 「そうか。あの時は俺は寝てたから、分からなかった」
 「いやだ、お父さん。寝てたって。ふふ………」
 みんなでまた笑い出した。
 母は泣き笑いだったが、だんだんと笑顔が戻ってきた。

 「ねえ、明日どこかへいく。休みだから、どこでも連れていくわよ。ねえ、どこがいい」
 食事の後、今日子が父に尋ねた。
 「いや、いいよ。せっかく帰ってきたんだから、家でのんびりしてたいよ。お前、どこかへいく約束あるんだったら、行っていいんだぞ、
俺に気兼ねなんかするなよ。徹君と、ほらデイト、あるんだろ」
 「ううん。だってこの休み、お父さん帰ってくるって分かってたから、徹さんとは約束してないの」
 「そうかすまんな。せっかくの休暇だというのに」
 「やだ、父さん。徹さんとはいつでも会えるんだからいいのよ」
 「そうだな。日取りももうすぐ決めるんだろ」
 「お父さん、その話やめない。お父さんの話しようよ。せっかく帰って来れたんだから」
 「それもそうか」

 こうして親子水入らずの5日間が、あっという間に過ぎた。
 父は、送り火に見送られて、また旅立った。
 もしかしたら戻ってこられるのも、今年が最後かもしれない。
 何だか、影がちょっと薄くなってきていたから。
 でもいい。
 お父さんの元気な姿、目に焼きつけたから、と今日子は思った。
 帰ってこられなくなっても、いつも待ってることには変わりがないから。


                               おわり



それでは今日はこれで。


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藤田販促計画事務所、お客様力(ぢから)プロデューサの藤田でした。

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