初めて降りた駅「JR難波」は、JRの難波だと思っていたのですが
「JR難波( じぇいあーるなんば )」が正式駅名の駅でした。
「JR」を冠したのは、JRグループ各社を通して初めてのことで
駅名にアルファベットが入ったのも日本では初めてのようです。
この場所は、叔父と一緒に行ったことがある富永病院(脳外科)があります。
それは叔父と懇意のあった、先代の院長先生の所に行ったときだけです。
その時は空地の中に富永病院がポツンと建っていた、そんな記憶だけです。
空地の場所が、昔の面影すらなくなっているので調べてみると
JR難波駅は、駅開業の1889年から1994年まで湊町駅(みなとまちえき)と称して、道頓堀川八丁のひとつである道頓堀湊町(駅開業時は大阪市南区湊町)に開業したことによる。ただし、当時の湊町の範囲は道頓堀川に面した狭小なもので、西成郡難波村(のち大阪市に編入され、難波東円手町)にもまたがっていた(現在の湊町の範囲は1980年に拡大されたものである)。1989年の駅移転によって、元来の湊町から完全に離れて難波側にのみ位置するようになり、地下駅化して難波駅や近鉄難波駅と連絡する計画もあったため、1994年9月4日の関西国際空港開港と同日にJR難波駅に改称された。
JR難波駅のホームでは、海外から来られた観光客が利用する姿もあって
大阪で生まれて育った私には、数十年経った大阪は分からない事ばかりです。