5月に初めて「旧国鉄廃線跡のハイキング」に参加して楽しかったので、6月の「JR保津峡から阪急嵐山駅」にも参加させて頂き、7月には「びわ湖バレイ」の山上を歩いてきました。
8月はお休みで、9月は平泳ぎ中級の教室に入ったばかりで「京都花園エリア」に
参加できず、10月・11月は雨で中止になり12月が4回目の参加です。
北大路通りからの「大徳寺南門」
阪急烏丸駅→市営地下鉄烏丸線四条駅→北大路駅→大徳寺
南門を入ると、参道の両側に大きな手入れの行き届いた松の木と
長く続く壁がとても綺麗なのが目にとまりました。
建物の屋根が少し見えています。
黄梅院の「本堂と庫裡」は重要文化財です。
黄梅院(おうばいいん)
永禄5年(1562)、当時28歳の織田信長が初めて上洛した際に、父・信秀の追善菩提のために小庵「黄梅庵」を建立したことに始まる。本能寺の変によって信長が急逝すると、羽柴(後の豊臣)秀吉がこれを徐々に増築し、天正17年(1589)に「黄梅院」になりました。
庫裡、鐘楼、客殿などは小早川隆景が寄進したもので、鐘楼に使用されている釣鐘は加藤清正が献上したものです。
大徳寺黄梅院 秋の特別公開と紅葉の開催期間(2017年10月7日~12月17日)
でしたが、今日はハイキングなので少し覗いて・・・撮ってきました。
秀吉の軍旗「千成瓢箪」を象った空池を持つ「直中庭」を千利休が作庭するなど、桃山時代の戦国大名、文化人と非常に縁の深い寺院です。
龍源院(りょうげんいん)
表門(重文)。切妻造、四脚門、檜皮葺。室町時代文亀二年(1502年)建立。
枯山水の 石庭が有名なお寺です。
大徳寺塔頭龍源院は、大徳寺山内で最古のお寺です。
大徳寺南派の法源地本院。室町時代文亀二年(1502年)大徳寺七十二世東溪宗牧を開祖として、能登の畠山義元、豊後の大友義長、周防国の大内義興らにより創建されました。
寺号龍源院は本山山号龍寳山から「龍」と、臨在禅で唯一存続している
松源一脈の「源」の字から成っているそうです。
ハイキングなので、これで次の場所に向かいますが大徳寺に来たら
勅使門(重要文化財)、三門(重要文化財)も見たくなりますね。(^_^;)))
8月はお休みで、9月は平泳ぎ中級の教室に入ったばかりで「京都花園エリア」に
参加できず、10月・11月は雨で中止になり12月が4回目の参加です。
北大路通りからの「大徳寺南門」
阪急烏丸駅→市営地下鉄烏丸線四条駅→北大路駅→大徳寺
南門を入ると、参道の両側に大きな手入れの行き届いた松の木と
長く続く壁がとても綺麗なのが目にとまりました。
建物の屋根が少し見えています。
黄梅院の「本堂と庫裡」は重要文化財です。
黄梅院(おうばいいん)
永禄5年(1562)、当時28歳の織田信長が初めて上洛した際に、父・信秀の追善菩提のために小庵「黄梅庵」を建立したことに始まる。本能寺の変によって信長が急逝すると、羽柴(後の豊臣)秀吉がこれを徐々に増築し、天正17年(1589)に「黄梅院」になりました。
庫裡、鐘楼、客殿などは小早川隆景が寄進したもので、鐘楼に使用されている釣鐘は加藤清正が献上したものです。
大徳寺黄梅院 秋の特別公開と紅葉の開催期間(2017年10月7日~12月17日)
でしたが、今日はハイキングなので少し覗いて・・・撮ってきました。
秀吉の軍旗「千成瓢箪」を象った空池を持つ「直中庭」を千利休が作庭するなど、桃山時代の戦国大名、文化人と非常に縁の深い寺院です。
龍源院(りょうげんいん)
表門(重文)。切妻造、四脚門、檜皮葺。室町時代文亀二年(1502年)建立。
枯山水の 石庭が有名なお寺です。
大徳寺塔頭龍源院は、大徳寺山内で最古のお寺です。
大徳寺南派の法源地本院。室町時代文亀二年(1502年)大徳寺七十二世東溪宗牧を開祖として、能登の畠山義元、豊後の大友義長、周防国の大内義興らにより創建されました。
寺号龍源院は本山山号龍寳山から「龍」と、臨在禅で唯一存続している
松源一脈の「源」の字から成っているそうです。
ハイキングなので、これで次の場所に向かいますが大徳寺に来たら
勅使門(重要文化財)、三門(重要文化財)も見たくなりますね。(^_^;)))