浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

1泊2日の飛鳥旅行(その5)

2015年12月29日 22時58分24秒 | Weblog
今さら9月のことを記事化してすみません。

9月18日の朝は、明日香村の宿で迎えた。両親も一緒にである。



朝食を済ませると、8時20分頃、チェックアウトして、宿をあとにした。
そして、石舞台古墳へ向かって歩いた。



石舞台古墳は、飛鳥歴史公園内石舞台周辺地区の中央に位置する国内最大級の方墳である。
その古墳は、元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、後に、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出している。







石舞台古墳を観たあとは、石舞台バス停へ行き、飛鳥駅行きのバスに乗った。



バスが飛鳥駅前に着くと、下車して、飛鳥びとの館で休憩したり、土産などの買い物をして過ごした。
それから、駅へ行き、10時3分発の急行電車・吉野行きに乗車した。
電車は、約2分後、次の停車駅である、壺阪山駅に停車した。
わたしたちは、壺阪山駅で下車した。



そして、コインロッカーに大きな荷物を預けた後、駅前から、壷阪寺前行きのバスに乗車した。そのバスも、奈良交通が運行している。
バスが終点の壷阪寺前に着くと、下車して、境内に入った。





壷阪寺は、西国33箇所の第6番札所である。
創建は、大宝3年(703年)年に、元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりといわれる。
昭和の戦後、壷阪寺は、社会福祉活動に貢献し、昭和36年(1961年)には、多くの善意が結実して、境内に日本最初の養護盲老人ホーム「慈母園」を設立された。現在も、国内各地で社会福祉活動に寄与している。





















境内は広く、各伽藍を参るために、かなり歩いた。

禮堂を参拝後、納経帳に御朱印を受けた。

そのあと、天竺渡来大観音石像と天竺渡来大涅槃石像などを観に行った。







その付近は眺めが良かった。







天竺渡来大観音石像と天竺渡来大涅槃石像などを参拝したあとは、境内をあとにして、壷阪寺前バス停へ戻った。
そのバス停から、壷阪山駅行きのバスに乗った。
乗客は、わたしたち以外は、外国人の女性が1人だけだった。
バスが終点の壺阪山駅に着くと、下車して、駅前付近にある大衆食堂で、昼食をとった。
それから、駅に行き、コインロッカーの荷物を手にとると、大阪阿部野橋までの切符を買って、改札を通った。
そして、大阪阿部野橋行きの急行電車に乗った。
急行電車が終点の大阪阿部野橋駅に着くと、下車して、天王寺駅へ向かった。
天王寺からは、大阪環状線の内回りの普通電車に乗った。
大阪環状線の電車が大阪駅に着くと、下車して、下りの新快速に乗り換えた。
そのとき、東海道本線、山陽本線のダイヤは乱れていた。
その新快速電車は、大阪出発時は、姫路行きと案内してされていたが、途中で、行き先を播州赤穂に変更するという案内があった。
播州赤穂行きになった新快速が、相生駅に止まると、山陽本線の普通電車に乗り換えた。
そして、山陽本線の普通電車が、瀬戸駅に止まると、下車して、路線バスに乗って、帰路についた。

こうして、西国33箇所の札所巡りを目的とした、飛鳥旅行を終えることができた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする