今さら8月のことを記事化してすみません。
8月28日の朝は、マイカーで熊山駅へ向かった。
駅付近のマイカー用の駐車場に車を止めると、駅へ行き、18きっぷにスタンプを押してもらってから、改札を通った。
熊山駅からは、6時41分発の1300Mに乗車した。その列車は、115系の4両編成で、わたしが乗車した車両は、最後尾のクハ115-1219だった。黄色に塗られた編成だった。
列車は、熊山駅を発車すると、和気、吉永、三石の順に停車した。
三石駅を出発すると、船坂トンネルに入り、兵庫県に入った。
そして、しばらくすると、上郡駅に停車した。
上郡からは、18きっぷの旅行者の多い車内に一般の利用客たちが加わり車内はさらに混んだ。
上郡を出ると、有年、相生の順に停車した。
相生では、新快速に連絡しているが、着席は望み薄いのでわたしは、そこでは乗り換えなかった。
相生を出ると、竜野、網干、はりま勝原、英賀保、終点の姫路の順に停車した。
姫路で降りると、トイレ休憩などをしたあと、8時26分発の3432M・新快速を待った。
その新快速電車は、12両編成で、わたしが乗車した車両は、最後尾のクハ222-2061だった。
姫路駅出発の時点で、席はほぼ埋まった。
姫路を発車した新快速は、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮、芦屋、尼崎の順に停車した。
そして、大阪駅に9時28分に停車すると、下車して、大阪環状線のホームへ向かった。
大阪からは、9時56分発の紀州路快速に乗車した。その列車は、和歌山行きだが、途中の日根野駅まで、関西空港行きの関空快速と併結運転をする。
下り列車の場合、前寄り4両が関西空港行きで、後ろ寄り4両が和歌山行きになる。
わたしが乗車した車両は、前から5両目(日根野からは先頭)の車両で、車番はクハ222-2510だった。
新快速用の223系とは異なり、車内は通路を広くするため、2列+1列の3列シートになっている。
列車番号は、日根野までは4129Mだが、日根野から先は4529Hになる。
紀州路快速は、大阪駅を発車すると、福島、西九条、弁天町、大正、新今宮、天王寺の順に停車した。
天王寺では、乗務員の交代があり、日根野まで、車掌は女性だった。
天王寺からは、阪和線に入った。
開かずの踏切が多かった長居周辺は、既に高架化されて久しく、しばらく高架橋の上を走った。
しばらくして、地上に降りた。
天王寺を出た紀州路快速は、堺市、三国ヶ丘、鳳、和泉府中、東岸和田、熊取の順に停車した。
阪和線を南下するにつれて、高層の建物は少なくなり、低層の住宅や田畑が多くなった。
また、途中、特急に追い抜かれるため、長い時間止まった駅もあった。
熊取の次は、日根野に停車した。
日根野では、関空快速と紀州路快速との車両の切り離しが行なわれた。
そして、前寄りの車両だった関西空港行きの関空快速が先に発車した。
それから、わたしが乗っていた車両が、4両編成の列車の先頭の車両となり、和歌山へ向かった。なお、日根野から和歌山までは、女性の運転士が乗務していた。
日根野を出た紀州路快速は、長滝、新家、和泉砂川、和泉鳥取、山中渓、紀伊、六十谷、紀伊中ノ島の順に停車し、それから、終点の和歌山に到着した。本来の到着時刻は11時30分だが、約5分遅れだった。

和歌山駅に着くと、下車して、改札の外に出た。
そして、駅の地下にある飲食店で、昼食をとった。
そのあと、和歌山電鐵の乗り場へ行き、一日乗車券を買って、ホームに入った。

ホームには、きいちゃん電車が止まっていたが、それは見送って、次の電車を待った。


しばらくすると、折り返し12時55分発の電車になる車両が入ってきた。
その日は、その時刻の電車に、たま電車が充当されていた。

わたしは、その日、たま電車に乗るのと撮るために、和歌山を訪れたのである。
しばらくすると、たま電車目的と思われるお客が増えてきて、中には、外国人もいた。


わたしは、先頭の車両に乗車した。
和歌山電鐵は、全列車、2両編成のワンマン運転で、終点まで各駅に停車する。
12時55分、たま電車は、終点の貴志駅を目指して出発した。
都合により、今回は、ここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
8月28日の朝は、マイカーで熊山駅へ向かった。
駅付近のマイカー用の駐車場に車を止めると、駅へ行き、18きっぷにスタンプを押してもらってから、改札を通った。
熊山駅からは、6時41分発の1300Mに乗車した。その列車は、115系の4両編成で、わたしが乗車した車両は、最後尾のクハ115-1219だった。黄色に塗られた編成だった。
列車は、熊山駅を発車すると、和気、吉永、三石の順に停車した。
三石駅を出発すると、船坂トンネルに入り、兵庫県に入った。
そして、しばらくすると、上郡駅に停車した。
上郡からは、18きっぷの旅行者の多い車内に一般の利用客たちが加わり車内はさらに混んだ。
上郡を出ると、有年、相生の順に停車した。
相生では、新快速に連絡しているが、着席は望み薄いのでわたしは、そこでは乗り換えなかった。
相生を出ると、竜野、網干、はりま勝原、英賀保、終点の姫路の順に停車した。
姫路で降りると、トイレ休憩などをしたあと、8時26分発の3432M・新快速を待った。
その新快速電車は、12両編成で、わたしが乗車した車両は、最後尾のクハ222-2061だった。
姫路駅出発の時点で、席はほぼ埋まった。
姫路を発車した新快速は、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮、芦屋、尼崎の順に停車した。
そして、大阪駅に9時28分に停車すると、下車して、大阪環状線のホームへ向かった。
大阪からは、9時56分発の紀州路快速に乗車した。その列車は、和歌山行きだが、途中の日根野駅まで、関西空港行きの関空快速と併結運転をする。
下り列車の場合、前寄り4両が関西空港行きで、後ろ寄り4両が和歌山行きになる。
わたしが乗車した車両は、前から5両目(日根野からは先頭)の車両で、車番はクハ222-2510だった。
新快速用の223系とは異なり、車内は通路を広くするため、2列+1列の3列シートになっている。
列車番号は、日根野までは4129Mだが、日根野から先は4529Hになる。
紀州路快速は、大阪駅を発車すると、福島、西九条、弁天町、大正、新今宮、天王寺の順に停車した。
天王寺では、乗務員の交代があり、日根野まで、車掌は女性だった。
天王寺からは、阪和線に入った。
開かずの踏切が多かった長居周辺は、既に高架化されて久しく、しばらく高架橋の上を走った。
しばらくして、地上に降りた。
天王寺を出た紀州路快速は、堺市、三国ヶ丘、鳳、和泉府中、東岸和田、熊取の順に停車した。
阪和線を南下するにつれて、高層の建物は少なくなり、低層の住宅や田畑が多くなった。
また、途中、特急に追い抜かれるため、長い時間止まった駅もあった。
熊取の次は、日根野に停車した。
日根野では、関空快速と紀州路快速との車両の切り離しが行なわれた。
そして、前寄りの車両だった関西空港行きの関空快速が先に発車した。
それから、わたしが乗っていた車両が、4両編成の列車の先頭の車両となり、和歌山へ向かった。なお、日根野から和歌山までは、女性の運転士が乗務していた。
日根野を出た紀州路快速は、長滝、新家、和泉砂川、和泉鳥取、山中渓、紀伊、六十谷、紀伊中ノ島の順に停車し、それから、終点の和歌山に到着した。本来の到着時刻は11時30分だが、約5分遅れだった。

和歌山駅に着くと、下車して、改札の外に出た。
そして、駅の地下にある飲食店で、昼食をとった。
そのあと、和歌山電鐵の乗り場へ行き、一日乗車券を買って、ホームに入った。

ホームには、きいちゃん電車が止まっていたが、それは見送って、次の電車を待った。


しばらくすると、折り返し12時55分発の電車になる車両が入ってきた。
その日は、その時刻の電車に、たま電車が充当されていた。

わたしは、その日、たま電車に乗るのと撮るために、和歌山を訪れたのである。
しばらくすると、たま電車目的と思われるお客が増えてきて、中には、外国人もいた。


わたしは、先頭の車両に乗車した。
和歌山電鐵は、全列車、2両編成のワンマン運転で、終点まで各駅に停車する。
12時55分、たま電車は、終点の貴志駅を目指して出発した。
都合により、今回は、ここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。