今さら3月のことを記事化してすみません。
3月23日の午後は、山陰本線の普通列車で、江津へ向かっていた。
13時51分に、山陰本線の列車が江津に止まると下車した。
江津からは、その旅行の一番の目的である三江線に乗るのだが、入線までかなり時間があった。
発車時刻は、15時17分である。
その日は、1番ホームと2番・3番ホームとを結ぶ跨線橋には、三江線の写真が展示されていたので、観て楽しんだ。
14時49分頃、3番線に、キハ120形の単行の列車が入ってきた。
三江線の列車である。
その車両が、折り返し、三江線の三次行きの列車になった。
15時17分発の429D列車である。
入線後、乗客が降りると、乗車した。
わたしにとっては、初めての三江線乗車である。
進行方向右側のボックス席を確保できた。
車内は、男性客が多かったが、男性客はほぼ全員乗り鉄だった。
3番線の南側には、側線の跡と思われる更地があり、そこにタンクローリーが乗り入れて、キハ120に給油していた。
15時17分、三江線の三次行きの429D列車は、江津駅を出発した。
キハ120の単行運転で、もちろん、ワンマン運転である。その日の車両の車番は、キハ120-315だった。
列車は、江津駅を出発すると、大きく右へカーブした。
それから、少し経つと、江の川沿いを走った。
なお、そのとき、わたしは、江の川とは反対のほうに座っていた。
それから間もなく、江津本町駅に停車した。ホーム1本だけの小さな無人駅で、すぐに発車した。
江津本町の次の停車駅は、千金駅である。
千金駅は、江の川からやや離れた箇所にあった。それも、ホーム1本だけの無人駅だった。
千金駅を出発すると、再び江の川のそばを走った。
その辺りは、線路が草に埋もれた箇所が多かった。
そのため、列車のスピードはかなりゆっくりだった。
千金の次は、川平に停車した。
そのあとは、川戸、田津、石見川越、鹿賀、因原、石見川本の順に停車したが、乗降客のいない駅がほとんどだった。
石見川本駅は、三江線の中間駅では比較的大きな駅で、列車交換が可能である。地元客と思われる人が若干下車した。
石見川本駅を出発後は、木路原、竹、乙原、石見簗瀬、明塚、粕淵の順に停車したが、乗降客はほとんどいなかった。
その辺りは人家はまばらで、古い住宅のほとんどが、赤茶色の石州瓦の屋根だった。
粕淵の次は、浜原駅に停車した。
浜原駅を出発すると、口羽までは、開業から比較的年数の浅い区間を走る。
踏切はほとんどなく、線路には草はほとんど生えてなく、枕木もPC枕木になっていた。
幹線と比べても遜色ない線路状態である。
そのため、列車は、スピードを上げて走った。
また、トンネルも多かった。
その途中には、三江線の中間駅では、有名な駅の一つである、宇都井駅がある。
山に挟まれた高架駅になっていて、停車中の列車からは、周辺の集落を見下ろすことができた。
その付近も、石州瓦の民家が多かった。
宇都井駅を出発後は、まもなくトンネルに入った。
そのあとも、トンネルが多かった。
しばらく走ると、口羽駅に停車した。
口羽以南は、開業の古い区間である。
口羽駅では、対向列車との行き違いのため、しばらく停車した。
ホームに出て写真を撮っていた人もいた。
対向列車が入線すると、まもなく発車した。
そのあとは、江平、作木口の順に長谷以外の各駅に停車した。
車窓の外は、暗くなっていった。
途中、長谷駅のみ通過したのだが、駅を通過するところを見ることはできなかった。
18時47分、列車は、終点の三次駅に到着した。
3時間半の乗車を無事に終えることができた。
三次駅到着後は、改札の外に出て、駅前からタクシーに乗り、三次市内のホテルへ向かった。予約していたホテルである。
タクシー料金は初乗り運賃で済んだ。
ホテルに着くと、チェックインして、夕食をとったあと、シャワーを浴びて、就寝した。
こうして、三江線目的の旅行の前半を終えることができた。
都合により、今回は、ここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
3月23日の午後は、山陰本線の普通列車で、江津へ向かっていた。
13時51分に、山陰本線の列車が江津に止まると下車した。
江津からは、その旅行の一番の目的である三江線に乗るのだが、入線までかなり時間があった。
発車時刻は、15時17分である。
その日は、1番ホームと2番・3番ホームとを結ぶ跨線橋には、三江線の写真が展示されていたので、観て楽しんだ。
14時49分頃、3番線に、キハ120形の単行の列車が入ってきた。
三江線の列車である。
その車両が、折り返し、三江線の三次行きの列車になった。
15時17分発の429D列車である。
入線後、乗客が降りると、乗車した。
わたしにとっては、初めての三江線乗車である。
進行方向右側のボックス席を確保できた。
車内は、男性客が多かったが、男性客はほぼ全員乗り鉄だった。
3番線の南側には、側線の跡と思われる更地があり、そこにタンクローリーが乗り入れて、キハ120に給油していた。
15時17分、三江線の三次行きの429D列車は、江津駅を出発した。
キハ120の単行運転で、もちろん、ワンマン運転である。その日の車両の車番は、キハ120-315だった。
列車は、江津駅を出発すると、大きく右へカーブした。
それから、少し経つと、江の川沿いを走った。
なお、そのとき、わたしは、江の川とは反対のほうに座っていた。
それから間もなく、江津本町駅に停車した。ホーム1本だけの小さな無人駅で、すぐに発車した。
江津本町の次の停車駅は、千金駅である。
千金駅は、江の川からやや離れた箇所にあった。それも、ホーム1本だけの無人駅だった。
千金駅を出発すると、再び江の川のそばを走った。
その辺りは、線路が草に埋もれた箇所が多かった。
そのため、列車のスピードはかなりゆっくりだった。
千金の次は、川平に停車した。
そのあとは、川戸、田津、石見川越、鹿賀、因原、石見川本の順に停車したが、乗降客のいない駅がほとんどだった。
石見川本駅は、三江線の中間駅では比較的大きな駅で、列車交換が可能である。地元客と思われる人が若干下車した。
石見川本駅を出発後は、木路原、竹、乙原、石見簗瀬、明塚、粕淵の順に停車したが、乗降客はほとんどいなかった。
その辺りは人家はまばらで、古い住宅のほとんどが、赤茶色の石州瓦の屋根だった。
粕淵の次は、浜原駅に停車した。
浜原駅を出発すると、口羽までは、開業から比較的年数の浅い区間を走る。
踏切はほとんどなく、線路には草はほとんど生えてなく、枕木もPC枕木になっていた。
幹線と比べても遜色ない線路状態である。
そのため、列車は、スピードを上げて走った。
また、トンネルも多かった。
その途中には、三江線の中間駅では、有名な駅の一つである、宇都井駅がある。
山に挟まれた高架駅になっていて、停車中の列車からは、周辺の集落を見下ろすことができた。
その付近も、石州瓦の民家が多かった。
宇都井駅を出発後は、まもなくトンネルに入った。
そのあとも、トンネルが多かった。
しばらく走ると、口羽駅に停車した。
口羽以南は、開業の古い区間である。
口羽駅では、対向列車との行き違いのため、しばらく停車した。
ホームに出て写真を撮っていた人もいた。
対向列車が入線すると、まもなく発車した。
そのあとは、江平、作木口の順に長谷以外の各駅に停車した。
車窓の外は、暗くなっていった。
途中、長谷駅のみ通過したのだが、駅を通過するところを見ることはできなかった。
18時47分、列車は、終点の三次駅に到着した。
3時間半の乗車を無事に終えることができた。
三次駅到着後は、改札の外に出て、駅前からタクシーに乗り、三次市内のホテルへ向かった。予約していたホテルである。
タクシー料金は初乗り運賃で済んだ。
ホテルに着くと、チェックインして、夕食をとったあと、シャワーを浴びて、就寝した。
こうして、三江線目的の旅行の前半を終えることができた。
都合により、今回は、ここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。