今朝は、18きっぷを持って、マイカーで熊山駅へ向かった。
両親も一緒である。
熊山駅のマイカー用の駐車場に車を止めると、駅舎へ行き、下りの列車を待った。
その列車が、次の万富駅に止まると、下車して、7時54分発の711Mを待った。
折り返し711Mになる列車が入線すると、前から2両目の車両に乗車した。
列車は、115系の4両編成で、わたしたちが乗った車両の車番はモハ114-2029だった。
その列車は、万富駅を出発すると、瀬戸、上道、東岡山、高島、西川原・就実前、岡山の順に停車した。
岡山では、大半の乗客が入れ替わった。
そのあと、列車は、列車番号を1717Mに変えて、さらに西へ向かって走った。
途中の新倉敷駅を出発すると、車掌が車内に来たので、18きっぷに3人分のスタンプを押してもらった。
列車が、福山駅に止まると、下車して、改札の外に出た。
そして、駅の北へ出て、福山城の石垣に沿って歩いた。
広島県立歴史博物館やふくやま美術館の前に着いた。
まず、ふくやま美術館に入館した。
美術館の1階では、「光と遊ぶ超体験型ミュージアム・魔法の美術館」という特別展が行われていた(9月9日までの予定)。
展示物は多数あったが、光で作られた五線の上に星の形のものを置くとメロディを奏でる装置や、人影の形に赤色の光が出る装置など、面白かった。
そのあと、2階の所蔵品展を観た。
本日は、肖像画などが多く展示されていた。
また、2階には、図書室があり、美術に関する本が多数置かれていて、自由にみることができる。
そうしているうちに、空腹を感じてきたので、美術館1階の喫茶店で、昼食をとった。
そのあと、わたしと母は、県立歴史博物館へ行ったが、父は、美術館の図書室で過ごした。
県立博物館の1階では、伊能忠敬などの時代の日本地図や絵図などが展示されていた。
2階は、常設展の展示室で、福山の草戸千軒の歴史などに関するものが多数展示されていた。
県立歴史博物館にすると、再び美術館へ行き、父と合流後、福山駅へ行った。
そして、13時48分発の1750M・和気行きに乗った。
列車は、115系の3両編成で、わたしたちは、最後尾のクハ115-1066に乗車した。
本来なら、その列車に乗っていれば、熊山に、乗り換えなしで戻れるはずだった。
しかし、今日は、そうはいかなかった。
途中の西阿知で列車がしばらく発車できなくなった。
車掌の放送によると、倉敷と中庄との間の踏切で自動車が動けなくなったとのこと。
倉敷駅が満線で入れないため、西阿知駅に停車した。
そして、その列車の運転を次の倉敷で打ち切るという放送あった。
列車は、しばらくすると動き出したが、次の倉敷駅で乗り換えざるを得なくなった。
倉敷駅の3番ホームには、岡山行きの表示が出ていた列車が止まっていたが、ドア付近まで立っている人たちでいっぱいだった。
乗ろうか、次の列車を待とうか迷ったが、その列車に乗った。
車内は、もちろんギューギューだった。
列車は、岡山まで各駅に停車した。
岡山に着くと、相生行きの列車を待った。
しばらく待つと、遅れて入ってきた。
その列車は、岡山始発ではなく、入線した時には、多数の人が乗っていたが、岡山駅停車中に大半の乗客が入れ替わった。
列車は、岡山駅を出発すると、西川原・就実前、高島、東岡山、上道、瀬戸、万富、熊山の順に停車した。
熊山駅に止まると、下車して、マイカーで帰宅した。
こうして、18きっぷの消化目的の外出を終えることができた。
両親も一緒である。
熊山駅のマイカー用の駐車場に車を止めると、駅舎へ行き、下りの列車を待った。
その列車が、次の万富駅に止まると、下車して、7時54分発の711Mを待った。
折り返し711Mになる列車が入線すると、前から2両目の車両に乗車した。
列車は、115系の4両編成で、わたしたちが乗った車両の車番はモハ114-2029だった。
その列車は、万富駅を出発すると、瀬戸、上道、東岡山、高島、西川原・就実前、岡山の順に停車した。
岡山では、大半の乗客が入れ替わった。
そのあと、列車は、列車番号を1717Mに変えて、さらに西へ向かって走った。
途中の新倉敷駅を出発すると、車掌が車内に来たので、18きっぷに3人分のスタンプを押してもらった。
列車が、福山駅に止まると、下車して、改札の外に出た。
そして、駅の北へ出て、福山城の石垣に沿って歩いた。
広島県立歴史博物館やふくやま美術館の前に着いた。
まず、ふくやま美術館に入館した。
美術館の1階では、「光と遊ぶ超体験型ミュージアム・魔法の美術館」という特別展が行われていた(9月9日までの予定)。
展示物は多数あったが、光で作られた五線の上に星の形のものを置くとメロディを奏でる装置や、人影の形に赤色の光が出る装置など、面白かった。
そのあと、2階の所蔵品展を観た。
本日は、肖像画などが多く展示されていた。
また、2階には、図書室があり、美術に関する本が多数置かれていて、自由にみることができる。
そうしているうちに、空腹を感じてきたので、美術館1階の喫茶店で、昼食をとった。
そのあと、わたしと母は、県立歴史博物館へ行ったが、父は、美術館の図書室で過ごした。
県立博物館の1階では、伊能忠敬などの時代の日本地図や絵図などが展示されていた。
2階は、常設展の展示室で、福山の草戸千軒の歴史などに関するものが多数展示されていた。
県立歴史博物館にすると、再び美術館へ行き、父と合流後、福山駅へ行った。
そして、13時48分発の1750M・和気行きに乗った。
列車は、115系の3両編成で、わたしたちは、最後尾のクハ115-1066に乗車した。
本来なら、その列車に乗っていれば、熊山に、乗り換えなしで戻れるはずだった。
しかし、今日は、そうはいかなかった。
途中の西阿知で列車がしばらく発車できなくなった。
車掌の放送によると、倉敷と中庄との間の踏切で自動車が動けなくなったとのこと。
倉敷駅が満線で入れないため、西阿知駅に停車した。
そして、その列車の運転を次の倉敷で打ち切るという放送あった。
列車は、しばらくすると動き出したが、次の倉敷駅で乗り換えざるを得なくなった。
倉敷駅の3番ホームには、岡山行きの表示が出ていた列車が止まっていたが、ドア付近まで立っている人たちでいっぱいだった。
乗ろうか、次の列車を待とうか迷ったが、その列車に乗った。
車内は、もちろんギューギューだった。
列車は、岡山まで各駅に停車した。
岡山に着くと、相生行きの列車を待った。
しばらく待つと、遅れて入ってきた。
その列車は、岡山始発ではなく、入線した時には、多数の人が乗っていたが、岡山駅停車中に大半の乗客が入れ替わった。
列車は、岡山駅を出発すると、西川原・就実前、高島、東岡山、上道、瀬戸、万富、熊山の順に停車した。
熊山駅に止まると、下車して、マイカーで帰宅した。
こうして、18きっぷの消化目的の外出を終えることができた。