浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

福山へ外出

2012年12月18日 23時00分32秒 | Weblog
今日は、仕事が公休だった。
そこで、広島県の福山まで出かけた。
福山自動車時計博物館と福山城博物館を観たあと、某鉄道模型店へ買い物などに行った。

都合により、詳細は後日書かせていただきます。
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1泊2日の北大阪旅行(その4)

2012年12月11日 21時24分27秒 | Weblog
今さら10月のことを記事化してすみません。

10月26日は、大阪府北部へ1泊2日の旅行に出ていた初日である。
その日の午後は、梅田から地下鉄御堂筋線と北大阪急行に乗り、日本民家集落博物館に行っていた。
前回は、日本民家集落博物館に入ったあとのことを途中まで書いたので、その続きを書かせていただきたい。

「信濃秋山の民家」をあとにすると、次は、「大和十津川の民家」へ向かって歩いた。
それは、板葺き屋根の母屋と白壁の土蔵からなる民家だった。





それは、大阪府の有形文化財に指定されている。
その民家は、屋根が杉板で葺かれているほか、壁も板壁だった。

「大和十津川の民家」をあとにすると、次は、「越前敦賀の民家」に向かって歩いた。
その民家は、茅葺の入母屋屋根の建物だった。



そのタイプの民家は、滋賀県北部の湖北地方から福井県西部にかけて分布していたという。

その次は、「北河内の茶室」に向かって歩いた。



それは、代官屋敷に建てられていた茶室だという。

その次は、「南部の曲家」に向かって歩いた。





それは、18世紀前半の建築と推定されている建物で、当時の南部藩では、馬を飼うために、母屋と厩が一体になった、そのような民家が多く建てられたという。
その建物は、内部の見学も可能で、馬鍬などが展示されていた。

「南部の曲家」をあとにすると、「小豆島の農村歌舞伎舞台」へ向かって歩いた。



その建物は、1859年、香川県の小豆島に建てられたものである。

「小豆島の農村歌舞伎舞台」を観ると、出口に向かって歩き、日本民家集落博物館をあとにした。
そして、服部緑地を通り抜けて、緑地公園駅から北大阪急行の電車に乗った。
電車は、江坂から、大阪市営地下鉄御堂筋線に乗り入れる。
梅田駅に着くと、再び阪急電車の乗り場に向かった。
そして、阪急宝塚線の宝塚行きの急行電車に乗った。
その電車には、女性の車掌が乗務していた。
電車は、途中、十三に止まると、次は、豊中までノンストップである。
豊中駅に着くと、下車して、予約していたホテルに向かって歩いた。
そのホテルは、宿泊のみの予約だったので、夕食時などは外出した。
そして、外出を終えて、ホテルに戻ると、テレビをみた後、就寝した。

都合に寄り、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、後日書かせていただきます。
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モデルフェスティバルに参加

2012年12月10日 21時40分59秒 | 鉄道模型
昨日9日は、岡山市某所にある虹会の運転場で、モデルフェスティバルと鉄道友の会・虹会の忘年会が行われた。
わたしは、路線バスを乗り継いで、午前10時前に会場に到着した。
行きの路線バスの中では、虹会会員の方の一人と合流していたので、その方と一緒に会場に入った。
そして、わたしは、Nゲージのレイアウトの線路状態と出品する車両の状態を確認した。
その間にも、次々と人が集まってきた。
今年は、出品者がわたしを含めて16人だった。
ただし、Nゲージの出品はわたし一人だけだった。
わたしは、KATOの457系電車を塗り替えた、457系・JR九州仕様を出した。
他の方の作品には、古典客車や、キハ72系「ゆふいんの森」、213系電車、223系電車、キハ47「瀬戸内マリンビュー」などがあった。
どれも、美しく作られていた。
各作品の車両が、レールを走行後、参加者による採点が行われ、採点した用紙が集められた。
そして、各作品の得票数が発表された。
モデルフェスティバルでは、HOゲージなど大きな模型は高得点が得られやすいが、Nゲージなど小さな模型は、高い評価が得られにくい傾向がある。
昨年に続いて、厳しい結果となった。
それでも、他の方と、模型談義で盛り上がったりして、いろいろ楽しめたと感じた。
モデルフェスティバルのあとは、その会場内で忘年会である。
飲み食いしながら、談話で盛り上がり、楽しい時間になった。
そして、午後6時頃、会場をあとにした。
こうして、楽しいモデルフェスティバルの日は、無事に過ぎていったのである。
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1泊2日の北大阪旅行(その3)

2012年12月08日 16時05分13秒 | Weblog
今さら10月のことを記事化してすみません。

10月26日の午後1時過ぎには、大阪の梅田にいた。
その日は、朝に梅田行きのバスに乗り、梅田から阪急電車で大阪府茨木市にある総持寺に行っていたが、その後、再び阪急電車で梅田に戻ったのである。
そして、そのあと、地下鉄御堂筋線の乗り場へ向かっていった。
地下にある御堂筋線のホームに入ると、千里中央行きの電車に乗った。
御堂筋線は、大阪市街地を南北に貫く地下鉄路線で、路線は北は江坂駅までだが、江坂からは北大阪急行に直通運転しているため、実質は、千里中央まで1本の路線になっている。
電車は、中津、西中島南方、新大阪、東三国、江坂の順に停車した。
中津と西中島南方の間で、電車は地下から地上に出て、高架を走るようになった。
それからしばらくは、車窓はオフィスビルが多かった。
江坂からは、北大阪急行に乗り入れるため、乗務員が交代した。
江坂を出てからは、車窓は、オフィスビルに変わって、集合住宅が目立つようになった。
そして、次の駅は、緑地公園である。
電車が緑地公園駅に止まると、下車して、改札の外に出て、駅の西に向かって歩いた。
その途中、遠足に行っていたと思われる小学生の集団何組かとすれ違った。
西に向かって歩き、道路を横断すると、服部緑地である。
そこは、広い緑地公園だった。
緑地公園をしばらく歩くと、日本民家集落博物館に到着した。
各地の古い民家を移築して展示している屋外博物館である。
入り口は、「河内布施の長屋門」である。



長屋門に、入場券の窓口があり、そこで券を購入して館内へ入った。

入って右手に向くと、白い土蔵があった。
それは、「大阪堂島の米蔵」だという。
説明によると、堂島川沿いに残されていた唯一の米蔵である。



さらに歩くと、古民家ではないが、昔の人たちの生活に欠かせない道具類が展示されている建物があった。





また、昔の民家の茶の間を再現した場所があったが、家具類も、現代では見られないものだった。

さらに歩いていくと、大柄な建物である合掌造りの家が目に入った。
それは、「飛騨白川の合掌造り民家」だった。
その民家は、国の重要有形民俗文化財に指定されている。



その民家は、内部に入ることができた。
靴を脱いであがると、囲炉裏のある部屋があった。



また、建物内では、その民家が飛騨地方にあった当時の生活に欠かせないものが展示されていた。

そのあと、少し歩くと、入母屋屋根の民家が目に入った。
それは、「摂津能勢の民家」だった。







その民家は、江戸時代初期の建築と推定されていて、その博物館に移築されている民家の中では最古だという。

それから少し歩くと、横長の母屋と母屋の左手に小さな寄棟屋根の納屋のある民家が目に入った。
「日向椎葉の民家」で、宮崎県の椎葉村から移築されたものだという。









その民家をあとにして、少し歩くと、柱と茅屋根だけの建物があった。



それは、「奄美大島の高倉」である。

それから少し歩くと、茅屋根・茅壁の民家に立ち寄った。
それは、「信濃秋山の民家」である。
その民家は、長野県北部の新潟県との境に近い秋山郷から移築したもので、そのタイプの民家は、全国で唯一、その建物のみが保存されているという。
屋根だけではなく、壁も茅なのが目についた。
また、その建物では、ボランティアガイドによる親切な説明も聞くことができた。
壁は、すべて茅だけでできていて、板壁や土壁はない。
また、内部の床も、囲炉裏はあるものの、板は使われてなく、地面に筵を敷いただけだった。
それでも、夏は涼しく、冬は暖かく過ごせたというそうである。



前述のとおり、その形態の民家は、本来建っていた秋山郷には既になく、その博物館に移築展示されているものが、唯一残っているものだという。
本当に貴重な建物である。今後も大切に残して欲しいものであるが、各所に痛みが目立っていた。茅の調達や葺き替えなどの経費の確保が難しくなっているという話を聞いた。
今後も、大切に維持され、いつまでもきれいな状態を保ってほしいと思う。


都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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1泊2日の北大阪旅行(その2)

2012年12月04日 20時56分07秒 | Weblog
今さら、10月のことを記事化してすみません。

10月26日の朝8時過ぎには、母親と一緒に、赤磐市にある、下電高速バスの下市停留所にいた。
そこで、梅田行きのバスを待っていたのである。
8時27分発の梅田行きのバスが入ってくると、乗車券を乗務員に渡して乗車した。
バスは、下市を出発すると、山陽インターから山陽自動車道に入った。
途中、三木サービスエリアで、10分あまりの休憩をとった後、さらにバスは、東へ進んだ。
そして、中国自動車道に入った。
そのバスは、梅田行きだが、途中、西宮北インターと宝塚インターで、下車客のために停車することになっていた。
西宮北インターでは下車客がいなかったため、通過したが、宝塚インターでは一人下車客がいた。
そのあとも、バスは、中国道を走り、中国池田インターで、一般道に下りた。
そして、しばらく走ると、阪神高速道路に入った。
阪神高速道路を、大阪都心方面へ向かって走り、福島ランプで一般道に下りた。
そして、市街地を走り、終点の梅田バスターミナルへ到着した。
そのバスターミナルは、阪急電鉄の駅の真下にある。
バスを降りると、大きな荷物はコインロッカーに預けた後、阪急電鉄の乗り場へ向かった。
乗車した阪急電車は、京都線の特急の河原町行きである。
列車は、9300系で、乗車した車両は9807だった。
車内はクロスシートが並んでいた。
特急電車が途中の茨木市駅に着くと、下車して、普通電車に乗り換えた。
まもなく、普通電車が入ってきた。
その列車の車両は、3300系で、乗車したのは3954だった。
次の駅の総持寺に止まると、下車して、改札の外に出た。
そして、駅名と同じ名前の寺院である「総持寺」を目指して歩いた。
総持寺駅付近は、商店が集まっていたが、少し歩くと、住宅街の中に入った。
住宅街をしばらく歩くと、総持寺に到着した。



総持寺は、西国33箇所の第22番札所である。
その旅行は、西国寺院へ行くのが主な目的だった。



山門をくぐると、本堂などが目に入った。



参拝を済ませると、納経所へ行き、納経帳に朱印を入れてもらった。
そして、総持寺をあとにした。
そのときは昼過ぎだった。
総持寺の近くに、蔵を改装した蕎麦屋があったので、その店に入った。



そして、その店で昼食をとった。



その店の蕎麦は、他の店にはない美味しさを感じた。
蕎麦屋をあとにすると、総持寺駅へ向かって歩いた。
そして、総持寺駅からは、普通電車に乗車した。
その普通電車には、次の茨木市駅まで乗車し、茨木市駅からは、特急電車の梅田行きに乗り換えた。
茨木市駅から乗車した特急電車も、9300系だったが、混雑して座れなかった。クロスシートの車両のため、立つスペースが狭かった。
なお、その日、その列車には、女性の車掌が乗務していた。
特急電車が終点の梅田駅に着くと、改札の外に出て、御堂筋線の乗り場へ向かった。
北大阪急行線沿いにある、日本民家集落博物館へ行くためである。

都合に寄り、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、後日書かせていただきたいと思います。
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今日の鉄模関係の買い物

2012年12月03日 17時29分24秒 | 鉄道模型
今日の昼前は、岡山市西市にある某ホビーショップへ行った。
その店では、鉄道模型関係の製品と塗装用具の買い物をした。
本日購入したものは、KATOの完成品樹木の桜を1セットと、KATOの車両ケース・7両用を1つ、それに、エアブラシ用のホルダーを1つ購入した。
KATOの桜は、計画中の春の風景のレイアウトに使用したいと思う。
車両ケースは、帰宅後、以前単品で7両購入していた115系電車を収納するのに使用した。
また、今日は、ホビーショップでの買い物を済ませた後、岡山市久米にある某古書店へ行った。
その店では、機芸出版社の「Nゲージレイアウト2」を発見したので、購入した。

以上が、本日の鉄道模型関係の買い物記録である。
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