早朝のNHKラジオから、懐かしい歌声が流れてきました。
大塚博堂が歌う『旅でも しようか』という曲に、久しく忘れていた
若い日の思い出が甦りました。
大塚博堂は1981年、37歳で亡くなったシンガーソングライターで、
僅か数年の活動期間でしたが、幾つかの美しい曲を残しています。
『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』、『めぐり逢い紡いで』、
『過ぎ去りし思い出は』、『季節の中に埋もれて』など、どの歌も博堂の
透明な美声と伸びのある豊かな声量が生きる名曲です。
主人の転勤に従い、各地を転々としながら子育てに追われていた頃、
将来に対するボンヤリした不安、何か社会的に意義のある仕事をしたい、
そんな日々によく聴いていたのが、大塚博堂やオフコースの曲でした。
現在、『旅でも しようか』を始め博堂の歌を後世に残そうと、甥の大塚郷や
ファンたちがネットワークや倶楽部を作り、活動を続けているそうです。
無限の愛を伝える博堂の歌声は、いつの世にも歌い継がれて欲しいものです。
旅でも しようか
作詞:藤 公之助
作曲:大塚 博堂
少しだけ心が すり切れてきたから
ひとりで夜明けに この街飛び出す
僕だけの時間を 無駄づかいしながら
時計を忘れた 旅でもしようか
道連れなど要らない 歌がひとつあればいいさ
あしたはあしたは いづこの空の下
銀色のさざなみ 果てしない海原
広がる夕映え 心も染まるよ
ひとりでも生きられる ふたりならなおいい
愛しい貴女に 手紙でも書こうか
時刻表など要らない 気紛れだよこの旅は
あしたはあしたは いづこの空の下
果てしない青空、広がる海原、鮮やかな夕映え、この軽快なメロディを聴くと、
またまた旅心が誘われます。そろそろ次回のプランニング
私も短い間ですが、LPでいっぱい聞きました。
亡くなる前の年に、seiichiと初めてコンサートにも行きました。お腹のそこから湧き上がるピュアな声に圧倒されました。
また、「インデアンサマー」の意味を知ったのも博堂さんの曲からでした。
あまりの懐かしさに涙が出そうになりましたよぉ…
大塚博堂は、ニューミュージックの先駆けだったのでしょうね。
彼の後に井上陽水や小田和正が続いたんですよね。
元気でいたら、今頃どんな歌を歌っているでしょうね。本当に惜しい人でした。
『めぐり逢い紡いで』も、ジ~ンと来る曲で良かったねぇ。
永遠のラブソングってところでしょうか
よろしくお願いします。
HNは私の星座という事でございます。
大塚博堂、語り出すと私も長くなるので簡潔に書かせていただきますが、高音、低音、中間音、全てにおいて自然で綺麗な声だと私は感じています。
詩は人にというのが多いですが、作り物ではなく、尚且つ、背伸びしていない本当の大人の世界観だというところが共感を持てるなと思います。
若くして亡くなったからではなく、本物だから伝説になっているんだなぁ?と私は強く感じます。
先に日ハム欄で気が付きまして…、此方こそ宜しくお願い致します。
大塚博堂、ホンモノ大人の歌い手でしたねぇ。
出来れば秋の夜長に、じっくり聴きたいものです。
つまらない独り言ですが、宜しかったら時々覗いてみて下さいネ。