2016年11月23日、24日に、金沢~白川郷~高山へ
バス旅行に行ってきました。
その1日目の23日は、金沢のひがし茶屋街、兼六園、金沢城
を見て歩きました。
金沢の東山観光駐車場に着いて、これからひがし茶屋街に
向かう処です。通りの向こう中央の道へ歩いて行きました。
ひがし茶屋街の入口まできました。突き当たって右へ
曲がると、昔の茶屋の町並みになります。
両側に茶屋がずらっと並んでいました。左右を見ながら
歩いて行きました。
国の重文指定になっている「志摩」。お茶屋文化館でも
あります。
その志摩の斜め向かいの「懐華樓」の入口。中をちょっと
覗いて雰囲気を味わってきました。懐華樓はここで一番
大きなお茶屋さんみたいです。
行きついた所を右に曲がり、一本南側の町並みへきました。
周辺はこのような通りが幾つもある所でした。因みに、
写真左手前の「あいおい」は人形や陶器などの店でした。
軒先にこのようなトウモロコシがぶら下がっているのを
幾つもみました。後で調べてみたら、東山に位置する
観音院の年中行事「四万六千日」で、参列者は祈祷を
受けたトウモロコシを手に入れ、古いものと交換して
自宅の軒先にぶら下げるようにしている。トウモロコシ
の実は家族の繁栄を、たくさんの毛は「儲け」「魔除け」
に通じる、とのことでした。
一方で、このような長い柄のついたスコップも見ました。
どのようにして使うのでしょうか?
もう一本南側の通り角にあった大きなお店。小間物を
扱っているみたいで、中に入ったら三味線の音が流れて
いました。
その反対側の家で、屋根に何やらガラス張りの小屋みたい
なのが載っていました。何に使うのでしょうか?
さらに南側へ行くと浅野川に出ました。駐車場の前の道を
ずうっとくると見えている橋につながっています。
ひがし茶屋街入口へ戻って、こんどは北側の道にきました。
こんな狭い道もありました。
これは何でしょう?針の山で、生け花の剣山か忍び返しか、
またまた猫が歩かないように置いてるいるのか、不明です。
かなりはずれの、北東部に行った所にあった宇多須神社。
藩祖前田利家を祀った神社です。手前には菅原神社という
神社もありました。
その社殿の床下には忍者が潜んでいました。
駐車場前まで戻ってきました。見えているお店は、昆布や
漬物などを商う「しら井」。駐車場はこの右横でした。
しら井並びのお店。右端の「米沢茶店」などみな歴史を
感じさせる建物ばかりが並んでいました。
これは通りを挟んだ反対側の家並み。ここでもガラス張り
の小屋を見ました。
ひがし茶屋街を後にして兼六園入口にきました。幾つも
ある入口のうち、桜ケ岡という所でした。
入口を入るとすぐに霞ケ池に出ました。
これが徽軫(ことじ)灯籠。金沢を象徴する景観ですね。
冬の風物詩、雪吊りの綱がはりめぐらされた唐崎松。
裏側から見ています。
ちょっと敷地左側に寄って、眺望台から金沢の中心街の
方向を撮りました。
戻って、池の中の蓬莱島を撮りました。亀の形をしていま
した。
左先を進んで雁行橋を見ました。
その先にあった明治記念之標。立っているのは倭建命
ですね。
その傍の松の中を撮りました。枝が縦横に伸びています。
そこから右側へ回って、これは根上松といいます。根が
地表に出ていることからの名でしょうか。
園の東南側に位置する重文成巽閣(せいそんかく)への門。
中へ入ってきませんでした。
ずうっと右へ回り込んで栄螺山の傍を通りました。
蓬莱島を先ほどとは反対側から撮りました。亀の尻尾が
分かりますか?
噴水。霞ケ池の水を噴き上げているみたいです。日本最古
の噴水といわれています。ここまでで、だいたい霞ケ池を
一周してきたことになります。
宿泊地の香林坊近くまできてから、まだ時間があったので
金沢城(兼六園隣)を見に行くことにしました。写真は旧四高
の建物で、現石川四高記念文化交流館。
その石川四高記念文化交流館前を通った先にあった
石川県政記念館・しいのき迎賓館。ここで左に折れて、
金沢城へ向かいました。
金沢城のある金沢公園が見えてきました。写真左辺りに
ある玉泉院丸口から公園内に入って行くことにしました。
玉泉院丸庭園の傍へきました。段上に三十間長屋が見え
ています。
玉泉院丸庭園です。ここを左に巻いて、段上部へ上って
行きました。
これはその途中にあった色紙短冊積石垣です。
二の丸広場に上がってきました。真向かいに見えている
のは五十間長屋。
三十間長屋前へつながる極楽橋の上から撮りました。
石垣と紅葉がきれいでした。
重文指定の三十間長屋です。
その三十間長屋前の紅葉もきれいでした。
三十間長屋前を真直ぐ進んで行くと、途中で木の陰に
隠れたトンネルがありました。戦中、軍部(第六旅団?)
の手によってつけられたものでしょうか?
さらに進んだ所の鶴丸倉庫。やはり重文です。
三の丸広場手前まできました。先ほどとは反対側の
五十間長屋が見えています。
三の丸広場を平行に進み右へ曲がった所の石川門。これも
重文ですね。
反対の左側(後側)へ行った所の河北門。
河北門の横に櫓が組まれていて、そこから見えた
五十間長屋を撮りました。
三の丸広場にきました。
右端の菱櫓を近くに寄って撮りました。
こちらは左端の橋爪橋、橋爪門、橋爪門続櫓です。
橋爪門、二の丸を通ってずうっと大きく回り込み、最初の
玉泉院丸口とは正反対に位置する大手門跡にきました。
実際の大手門はありませんでした。
さすが大手門口。石垣の石は大きかったです。
大手門を出た所の大手堀です。
大手堀に沿って戻る形でやってきた所の黒門口です。
その黒門口すぐ傍に、何やら歴史を感じさせるお屋敷が
あって中に入ることができたので、撮ってきました。
黒門口前を真直ぐ進んで左に折れると近江町市場の
鮮魚通り口へ着きました。時間が遅くなってしまった
ためか、閉まっている店も多かったのですが、カニなど
の鮮魚を売る店や食べさせる店が多くありました。
この日、また、盛りだくさんに見てしまいました。ここに
掲載した以外にも写真はいっぱいあって、選ぶのが大変
でした。それにしても金沢は見所がいっぱいあっていい
ですねー!!
バス旅行に行ってきました。
その1日目の23日は、金沢のひがし茶屋街、兼六園、金沢城
を見て歩きました。
金沢の東山観光駐車場に着いて、これからひがし茶屋街に
向かう処です。通りの向こう中央の道へ歩いて行きました。
ひがし茶屋街の入口まできました。突き当たって右へ
曲がると、昔の茶屋の町並みになります。
両側に茶屋がずらっと並んでいました。左右を見ながら
歩いて行きました。
国の重文指定になっている「志摩」。お茶屋文化館でも
あります。
その志摩の斜め向かいの「懐華樓」の入口。中をちょっと
覗いて雰囲気を味わってきました。懐華樓はここで一番
大きなお茶屋さんみたいです。
行きついた所を右に曲がり、一本南側の町並みへきました。
周辺はこのような通りが幾つもある所でした。因みに、
写真左手前の「あいおい」は人形や陶器などの店でした。
軒先にこのようなトウモロコシがぶら下がっているのを
幾つもみました。後で調べてみたら、東山に位置する
観音院の年中行事「四万六千日」で、参列者は祈祷を
受けたトウモロコシを手に入れ、古いものと交換して
自宅の軒先にぶら下げるようにしている。トウモロコシ
の実は家族の繁栄を、たくさんの毛は「儲け」「魔除け」
に通じる、とのことでした。
一方で、このような長い柄のついたスコップも見ました。
どのようにして使うのでしょうか?
もう一本南側の通り角にあった大きなお店。小間物を
扱っているみたいで、中に入ったら三味線の音が流れて
いました。
その反対側の家で、屋根に何やらガラス張りの小屋みたい
なのが載っていました。何に使うのでしょうか?
さらに南側へ行くと浅野川に出ました。駐車場の前の道を
ずうっとくると見えている橋につながっています。
ひがし茶屋街入口へ戻って、こんどは北側の道にきました。
こんな狭い道もありました。
これは何でしょう?針の山で、生け花の剣山か忍び返しか、
またまた猫が歩かないように置いてるいるのか、不明です。
かなりはずれの、北東部に行った所にあった宇多須神社。
藩祖前田利家を祀った神社です。手前には菅原神社という
神社もありました。
その社殿の床下には忍者が潜んでいました。
駐車場前まで戻ってきました。見えているお店は、昆布や
漬物などを商う「しら井」。駐車場はこの右横でした。
しら井並びのお店。右端の「米沢茶店」などみな歴史を
感じさせる建物ばかりが並んでいました。
これは通りを挟んだ反対側の家並み。ここでもガラス張り
の小屋を見ました。
ひがし茶屋街を後にして兼六園入口にきました。幾つも
ある入口のうち、桜ケ岡という所でした。
入口を入るとすぐに霞ケ池に出ました。
これが徽軫(ことじ)灯籠。金沢を象徴する景観ですね。
冬の風物詩、雪吊りの綱がはりめぐらされた唐崎松。
裏側から見ています。
ちょっと敷地左側に寄って、眺望台から金沢の中心街の
方向を撮りました。
戻って、池の中の蓬莱島を撮りました。亀の形をしていま
した。
左先を進んで雁行橋を見ました。
その先にあった明治記念之標。立っているのは倭建命
ですね。
その傍の松の中を撮りました。枝が縦横に伸びています。
そこから右側へ回って、これは根上松といいます。根が
地表に出ていることからの名でしょうか。
園の東南側に位置する重文成巽閣(せいそんかく)への門。
中へ入ってきませんでした。
ずうっと右へ回り込んで栄螺山の傍を通りました。
蓬莱島を先ほどとは反対側から撮りました。亀の尻尾が
分かりますか?
噴水。霞ケ池の水を噴き上げているみたいです。日本最古
の噴水といわれています。ここまでで、だいたい霞ケ池を
一周してきたことになります。
宿泊地の香林坊近くまできてから、まだ時間があったので
金沢城(兼六園隣)を見に行くことにしました。写真は旧四高
の建物で、現石川四高記念文化交流館。
その石川四高記念文化交流館前を通った先にあった
石川県政記念館・しいのき迎賓館。ここで左に折れて、
金沢城へ向かいました。
金沢城のある金沢公園が見えてきました。写真左辺りに
ある玉泉院丸口から公園内に入って行くことにしました。
玉泉院丸庭園の傍へきました。段上に三十間長屋が見え
ています。
玉泉院丸庭園です。ここを左に巻いて、段上部へ上って
行きました。
これはその途中にあった色紙短冊積石垣です。
二の丸広場に上がってきました。真向かいに見えている
のは五十間長屋。
三十間長屋前へつながる極楽橋の上から撮りました。
石垣と紅葉がきれいでした。
重文指定の三十間長屋です。
その三十間長屋前の紅葉もきれいでした。
三十間長屋前を真直ぐ進んで行くと、途中で木の陰に
隠れたトンネルがありました。戦中、軍部(第六旅団?)
の手によってつけられたものでしょうか?
さらに進んだ所の鶴丸倉庫。やはり重文です。
三の丸広場手前まできました。先ほどとは反対側の
五十間長屋が見えています。
三の丸広場を平行に進み右へ曲がった所の石川門。これも
重文ですね。
反対の左側(後側)へ行った所の河北門。
河北門の横に櫓が組まれていて、そこから見えた
五十間長屋を撮りました。
三の丸広場にきました。
右端の菱櫓を近くに寄って撮りました。
こちらは左端の橋爪橋、橋爪門、橋爪門続櫓です。
橋爪門、二の丸を通ってずうっと大きく回り込み、最初の
玉泉院丸口とは正反対に位置する大手門跡にきました。
実際の大手門はありませんでした。
さすが大手門口。石垣の石は大きかったです。
大手門を出た所の大手堀です。
大手堀に沿って戻る形でやってきた所の黒門口です。
その黒門口すぐ傍に、何やら歴史を感じさせるお屋敷が
あって中に入ることができたので、撮ってきました。
黒門口前を真直ぐ進んで左に折れると近江町市場の
鮮魚通り口へ着きました。時間が遅くなってしまった
ためか、閉まっている店も多かったのですが、カニなど
の鮮魚を売る店や食べさせる店が多くありました。
この日、また、盛りだくさんに見てしまいました。ここに
掲載した以外にも写真はいっぱいあって、選ぶのが大変
でした。それにしても金沢は見所がいっぱいあっていい
ですねー!!
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