こんにちは浦田関夫です

市民の暮らしを守るための活動や地域のできごとを発信・交流しましょう。

「唐津日赤病院移転先」報道

2011年08月23日 05時56分58秒 | Weblog


 昨日の読売新聞は、唐津赤十字病院を、運転停止中の火力の九州電力唐津発電所へ移転新築する計画について、断念する方針を固めたということを報道しました。

 9月議会は、日赤病院の移転問題は重要な案件になると考え、19日(金)に、担当者に事情を聞いていました。
その時は「九電と話し合いをしているところ」と早く結論を出したいとも説明していたのです。
 私は、新聞報道を受けて、早速、説明を聞こうと担当者に電話をしても「会議中」で不在。
 職員に電話をしてもらうようにお願いして控え室で18時過ぎまで待っていましたがないまま、自宅に帰ったら議会事務局からFAXが届いていました。

 副市長から議長宛のもので「本日午後2時30分から新聞記者等の取材を受けている…内容は明日の朝刊等へ掲載される見込み」というものです。FAXの発信は19時14分。

 記者からの取材が終わってからFAXで「なんだこれは」と時刻を再確認しました。
 
 こんな重要な問題を議会にも報告がないまま、新聞に報道されるようでは、唐津市の危機管理対策室をつくった意味がない。形だけの危機管理対策室ならなくした方がいい。

 
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写真家「山口大志」講演会

2011年08月22日 06時56分59秒 | Weblog


 この写真をみなさんは見たことがあると思います。
2010年6月オーストラリアで小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰ってくる決定的瞬間を撮ったものです。
この写真を撮った人が唐津市在住の「山口大志」さんです。

 その講演会が、北波多公民館でありましたので参加しました。
3時間、絶え間なく写真のスライドを見せていただきましたが、飽きることなくあっという間の3時間でした。

 山口さんは、写真家でもあり冒険家でもあります。
アマゾンの奥地で、珍しい魚の写真や生物、植物を撮られていて、その写真も見せてもらいました。
 山口さんは、アマゾン地帯が「乱開発」されていることについても警鐘を鳴らしておられました。

 写真を撮るコツは、被写体を「見る」のではなく「観る」のだと話されました。
被写体の周りにある、空気、生活、成り立ちなどをよく観察することが大事だという事だそうです。





 講演会の前に、北波多体育館で「ママさんバレー」応援にいきました。



 午後2時から地域の農道や公園の草払い共同作業です。







 作業後の懇親会も格別です。





 

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イノシシ肉からも放射能検出

2011年08月21日 07時00分21秒 | Weblog


 宮城県は、角田市内で捕獲された野生のイノシシ肉から暫定基準値(1キロ当たり500ベクレル)を超える2200ベクレルの放射能セシュウムを検出したことを発表しました。

 県は、イノシシなどの野生鳥獣を食用にしないように呼びかけています。

 心配していた放射能の拡散が、野生の動物まで広がってきました。
放射能は、数日から数100年いやそれ以上も続くものがあり、人体に危害を及ぼします。
今後どれだけ被害が広がるか心配です。
植物などへの遺伝子への影響も考えられます。

 このような被害が発生することは、一言も説明せず「原発は安全」といってきた原発行政は、根本から改めるべきです。

 写真は「ズイキ」(キュウリとなすの中間野菜)の花
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茨城県産米からセシウム検出、風評被害が心配

2011年08月20日 06時37分36秒 | Weblog
 

 茨城県は19日、鉾田市で栽培された米の収穫前の予備調査を行った結果、玄米から微量の放射性セシウムが検出されたと発表しました。
福島第1原発事故後、米から放射性物質が検出されたのは全国で初めてです。
鉾田市は、福島原発から150キロも離れています。

 微量とはいえ放射性物質が検出されたことで、春の葉物野菜に続いてこれから収穫期に入る米やサツマイモなど秋野菜への風評被害の再燃を懸念されます。
 150キロ離れた登米市で収穫された稲わらを食べた肉牛が汚染されていたことが判明し、その収束も終わっていません。

 このように、原子力発電所の重大事故は、距離的にも広大な地域に影響を及ぼすことを証明しています。

 原発周辺だけでなく、40~50キロ離れている飯舘村でも、ふるさとへ何時帰れるかわからないまま「全町民・全村民が避難」しています。
 住民は、危険が去るのを息をひそめて待って暮らしているいます。

 原発の重大事故は、社会的にも時間的にも取り返しのつかないことを事実をもって国民に示してくれました。
いまこそ、「期日を決めて撤退」することしか原発の危険から住民を守ることができません。

 そもそも、人類は原発をコントロールできないのですから。
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子育てが大企業の利益の対象に

2011年08月19日 05時58分59秒 | Weblog


昨夜は、前日に続き、唐津・東松浦地区労主催の「夏期講座」に出席しました。

午後1時半から4時半までは、武雄市で農業委員会の研修に参加し、その足で唐津市民会館に駆けつけました。
講演のテーマは「子ども・子育て新システムについて考える」で講師は木村雅英(自治労連国民運動局長)でした。

 東日本大震災で被災した保育所は3県で25カ所にもなるそうですが、保育中による犠牲者は一人も出さなかったそうです。
 地震発生から津波まで約30分の間に、保護者の受け取りや保育士による誘導によるものであったと説明されました。
 それを可能にしたのは、現在の「保育制度」にあったと強調されました。

 保育所は、1週間で「青空保育」を再開し、1ヶ月で「保育所」を再開したそうです。
なぜ1ヶ月で流された保育所が再開されたかといえば、高台で被害を免れた保育所で「合同保育」ができたといいます。
それを可能にしたのは、現在の保育体制が、民間も公立も保育基準は国が示し、自治体が現物支給をしているので「保育の差は生じない」から実施できたそうです。

 それを、民主党政権の保育制度改革では、「産業政策」として位置づけ、国や自治体は児童福祉法の3つの柱(現物支給・最低基準・財政保障)をなくし、保育の責任を保護者に「自己責任」として押しつけようとするものです。
 そこに、介護保険制度のように全国展開する企業のもうけ口を与えるものにしようとしています。

 財政面でいえば、これまでの「施設への支援」から「保育への補助」にかわり、農村部や離島など、子どもが少ない所では運営が成り立たなくなります。または、「ベビーホテル」なみの「預かり保育」程度になりかねないと木村講師は警鐘をならし、「地方から保育の充実を求める声を」と結びました。

 唐津市も、唐津方式の「児童館」を、保育園の「分園方式」に移行しようと進めていますが、はたして保護者が望む保育になるのか心配です。

 これを聞いて、「次は義務教育が狙われるのでは」と寒気がしました。そうさせない私たちの取り組みが必要です。

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古川知事と佐賀県議会は同じ「あなのむじな」

2011年08月18日 06時09分56秒 | Weblog

 九電の「やらせメール」に揺れる九電が、玄海原発の関連資料を破棄しようとした資料のなかに、佐賀県議会議員らから「祭りに寄附をして欲しい」「集会に車を出して欲しい」などの要望を受けた際の記録が含まれていたことが明らかになりました。

 これでは、県民の立場で原発行政を審議する県議会議員が九電との「もたれ合い」ととられても仕方がありません。

 古川康知事が、九電幹部と知事公舎での会談での内容については認めながら「ニュアンスや趣旨が違う」と強弁しても、受け取る九電の立場は「天の声」に聞こえるのが普通です。
古川知事と佐賀県議は同じ「同じあなのむじな」で原発推進をしてきていたことが疑いようのない事実として明確になりました。



 昨夜、唐津・東松浦地区労主催の「夏期講座」を受講しました。
演題は「原子力発電について考える」で講師は、豊島耕一佐大教授です。

 この講演で、玄海原子力1号機は老朽化が進み、特に圧力容器の脆性遷移温度が「想定より上回っている」として「原子力容器がセトモノ」になっている可能性があると述べました。

 行政のあり方として、佐賀県庁での経験では「原子力対策課」は「反原発運動対策課」と疑うような対応に終始しているとして、「知事への申し入れは受け取るだけ知事への面会は、バリケードで拒否する」と話し、県民との接触や傍聴しやすい県議会への転換を求めました。
 会場は、席が足りないほどの受講者でした。

 この夏期講座は20年来の歴史があり、その時々の社会問題をテーマに3日連続で開かれ、今日は「子ども・子育て新システムについて考える」(市民会館)明日は、「公務員の労働基本権回復について考える」(唐津市勤労者福祉会館)いずれも18時から1時間半の予定です。


 それにしても、「泊原発の再開」は納得いきません。
国は、「なしく崩し」で原発再開に動き出そうとするのでしょうか。
福島原発の収束のメドも立たないうちに、しかも北電の「やらせメール」問題も浮上しているのに…。



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福島原発復旧作業に「使い捨て労働」でいいのか

2011年08月17日 06時12分04秒 | Weblog


 東京電力福島第1原子力発電所の事故発生から5カ月が過ぎました。
懸命な復旧作業が進められていますが、構内では異常な高放射線量の区画が発見されるなど、収束に向けた作業は困難を極めています。

 放射線に被ばくしながらの労働は健康被害をもたらす危険が高く、労働安全衛生法にもとづき定められた被ばく線量の上限を超えた労働者は、作業に従事できないことになっています。
しかし、それが正確に把握されずになし崩し的に労働がされています。

 13カ月に1回行う定期点検のさいには、大量の労働者が必要になります。
そのとき労働者が集められ、原子炉内の計測装置や汚染された配管の点検・修理、放射性ヘドロのかき出しなど、被ばくの危険の高い作業は、主としてこれらの労働者が担っています。

 下請け労働者の実態は、6次、7次にまで及び、労働者1人当たり5万~10万円の日当を支払っているのに、中間搾取され、末端の労働者が受け取る日当は6500~1万2000円程度、「過酷な状況のなか被ばくしながら働いても何の補償もない」といいます。

 3月24日には、地下たまり水で下請け作業員らが被ばくしました。作業前の放射線量測定もせず、危険性を注意することもなしに突入させていました。作業員の安全など二の次です。

 政府は事故後、緊急時の被ばく上限を大幅に引き上げ、技術者の不足を理由に、福島第1原発での被ばく線量を「別枠」扱いにしているのです。

 長期にわたる廃炉までの作業工程では、さらに多くの技術者、作業員の力が必要です。
個人線量管理の徹底、中間搾取をやめさせ人間らしく働ける労働条件への改善、被ばく労働者の健康管理と補償などが不可欠です。




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唐津火力発電所は運転再開の方向か?

2011年08月16日 05時44分34秒 | Weblog


 朝日新聞が6日付けの紙面で「唐津火力発電所の可能性」について触れた記事がありました。

 気になったので、唐津日赤病院移転先との関連を担当している市職員に事情を聞きましたが、「新聞報道以外は私たちも知らない」ということだった。
 12日、これから九電との話し合いの場を持ちたいとのことであった。少し対応が遅いのでは。

 唐津市は、唐津日赤病院の移転先に「唐津火力発電所敷地内」を決めて準備を進めています。
しかし、九電が正式に「廃止」を決めなければ、石油コンビナート法や港湾法などの解除を解決しなければ先に進めない「前段」の問題を抱えています。

 6月議会では、「9月にはハッキリさせたい」としていましたが、このように九電の方針が決まらなければ、期日までの建設は難しくなったのではないでしょうか。

 九電の「やらせメール」にはじまり、古川知事の九電への「やらせ指示」「自民党県議への働きかけに依頼」にくわえて保安院の「やらせ」まで発覚し海江田経産大臣が陳謝する事態が続いています。
 九電の第三者委員会の結論やストレステストの結果などから、そう簡単に原発が稼働する可能性が遠のいた感がするなかで、「唐津火力発電所運転へ」なることも考えられます。
 運転まで2~3年はかかるといわれていますが、それを早めることだって可能ではないでしょうか。

 火力発電所と唐津日赤病院は両立しないことは周知のことです。
しかも、東日本大震災の教訓から「海のそばは危険」との市民感情もあります。

 この際、思い切って内陸部に新しい候補地を探す方が得策ではないでしょうか。

 唐津火力発電所は、石油でなく「木材チップ」などを使った火力発電所として利用してはどうでしょうか。

 昨日は、66回目の終戦記念日でした。
志佐議員と恒例の街頭宣伝をしました。
車からの声援などもあり、蒸し暑いなかでありましたがいい汗をかきました。

 
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お墓参り

2011年08月15日 06時04分24秒 | Weblog


 昨日は、糸島から来ている孫たちと浦田家の墓参りにいきました。
ご先祖様が自宅に帰っている間に、お墓を掃除してお花を飾って15日にまた、先祖様がお墓にかえる時に気持ちよく帰れるようにするものです。
今年は、長男(高一)はバスケの試合でお墓参りには来ませんでしたので5人でしました。

 長女は、中3でバスケの中体連も終わり来年高校受験です。問題集を抱えて寸暇をを惜しんで勉強しています。



 初盆参り追録
初盆参りをしていたところで「浦田関夫のブログを見ていますよ」といってくれた人がいました。
その人は、私がブログをはじめた頃から見ていただいているそうで、意外なところに見ていただいているかたがいることを知り嬉しくなりました。

 今日は66回目の終戦記念日です。

戦争で亡くなった方々に慰霊の念と平和な日本をつくろうと街頭から訴える恒例の宣伝行動をします。
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唐津商業高校あと一歩及ばず残念

2011年08月14日 06時08分37秒 | Weblog


 昨日は、8月13日の旧盆で初盆参りで終日終えました。

 その途中で、1時50分から、作新学院と唐津商業の野球中継をテレビを見ながら唐津商業の応援をしました。
最初2点を取って「いけるかな」と思いましたが、思いがけないミスなどもあって逆転されました。
それでも、最後まであきらめない唐津津商業ナインの粘りで「逆転勝利」を信じていましたが、あと一本が出ず敗退となりました。

 唐津商業野球部のみなさん。応援者のみなさん暑いなかご苦労様でした。

 夜は、唐の川区で初盆を迎える家で「盆踊り」がありました。
中心に婦人会や青年、子どもと60人ぐらい集まってくれました。
今年の初盆は、中山忠雄さんと森音蔵さんでした。

 
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