華麗なるオーストラリアンライフ

渡豪17年。職業・看護師。
白熊のようなオージーの旦那1人とワンコ2匹で
ニューサウスウェルス州の田舎町で生息中。

難しい

2011年12月22日 22時19分03秒 | Weblog
明日夜、友達夫婦からパーティーへの招待を受けた。喜んでおじゃましようとしたところ、数ヶ月前にケンカ別れした友人も来るかもとの話で、残念ながら断ることにした。

この友人夫婦は、件の友人と共通の友達で、実は先日しゃべっていたとき「もう全然気にしてないし、(ケンカした友人に)会っても平気」と言ったばかり。だからこそのお誘いだった。だけどそれが現実のものとなりそうになったとき、あのとき激しく傷ついた感情がよみがえってきた。会ったところで以前のような親しい感情を待つことはないけど、知り合いレベルには戻れるかも…ぐらいに考えていた。しかし、自分の予想以上にダメージは大きかったらしい。今あらためて思う。もうこの友人とは偶然にでも二度と会いたくない。

“愛”の反対を“憎しみ”だという意見もあるけど、私は“無関心”だと思っている。憎しみを抱いている間は、まだ相手に関心があるということで、そんな人を心の片隅に置いておけるだけで“気がある”ということになるから。
(件の友人と)“会うかも”となった瞬間、何とも言えない不快な感情が噴き出した。何かしらの感情を私がまだ残しているということなんだろう。またトラウマレベルにまでなっている傷口をほじくり返すのも辛いため「会わない」という選択をしたけど、臆病風に吹かれたようでかなり居心地が悪い。認めたくはないけどまだ囚われてるんかな。

まぁ、そのうちこんな感情も時間が解決してくれるやろう。今日のブログは愚痴モードということで。
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