12月1日。オーストラリアでは夏の始まり。今日はそれを知っていたかのような夏日。我が田舎町の気温は37度まで上がった。暑かったー。
朝はゴソゴソとお片付け。
近頃シェフDがキッチンマスターとして頑張ってくれている。お皿洗いもやってくれている。だけどコンロや電子レンジを拭いたりするまでには至らない。他には、例えばお皿等の場所も、私が考え抜いてもっとも効率が良いと思って配置したんだけど、キッチンマスターはあんまりそういうことを気にせず、空いた隙間に詰めていく。前者はともかく、後者については私の自己満足でもあるので、自分の満足いくようにやった。
その合い間にシェフDがおいしいサンドイッチを作ってくれた。人の作るご飯はおいしい。
お昼からは昨日も書いた通り、先日うちの病院で亡くなったおばあさんのお葬式に参列してきた。その人柄を表すように、会場には大勢の人が詰め掛けていた。ギリギリにたどり着いた私たちは一番後ろの席に座り、みんなと一緒におばあさんを見送った。92歳という年齢を考えたらある程度覚悟もあるものだと思うけど、やはりご家族は涙・涙。私ももらい泣き。埋葬までは行かず、式が終わった時にご家族にあいさつだけしておいとましてきた。
あいさつした際「最後はあんたのこと探してたんよ」「来てくれてありがとうね」と娘さん。私もおばあさんに最後のあいさつができたから良かったけど、私の参列がほんの少しご家族の心を癒すのに役立ったようで、行って良かったとあらためて思った。一緒に来てくれたDにも感謝。
ところで。
お式はチャペルで行われた。おばあさんは敬虔なクリスチャンだったらしい。神父さんが祈りを捧げたり、神様の言葉について語ったりするんだけど、あまり故人については語らない。「神様が一緒だから大丈夫」「神様の元へ行くだけだから悲しくない」と主語が“神様”。そこにすごい違和感。仏教のお葬式でもお経はあげるけど、もっと故人との別れを惜しんだりするように思う。確かに時期が来たから天国へ引っ越しただけ、というとそう寂しくないのかもしれないけど、もうちょっと故人について語ってよ、なんて思ったりしていた。これがこの神父さんのやり方なのか、宗教的な違いなのか、そこはわからない。
ついでに言ったら、式が終わって参列者が会場から退出。おばあさんのお友達はおばあさんとおじいさんが多いので、時間がかかっていた。そしたら神父さん、それを待ちきれなかったようで、おもむろに制服らしき被り物を脱いだ。まだ会場内に人がいるのに。被り物を脱いだらそのへんのおっちゃんみたいな服装(ストライプのシャツにチノパン)。神父さんにとったら毎日のようにあるお葬式のひとつなんやろうけど、「せめてもう少し辛抱して故人とその参列者を敬えんのか?」と少しいやな気分になった。細かいこと言い過ぎてるんかな。
ちょっと寄り道をしてから帰宅。夕食まで時間があったので、クリスマスツリーを出した。オーストラリアでは12月1日にツリーを出し、クリスマスから12日後に片付けるという風習(?)があるらしい。去年買ったばかりやけど、早くもツリーの飾りは新調した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/d8/b5cc71034d87138443fdb2f1476f53f1.jpg)
青を基調にシンプルなツリー。
足元にはすでに包んだいくつかのプレゼントを配置。ちょっとはクリスマスらしさを意識して。
といってもこの暑さじゃピンとこんけど。やっぱ寒くないとねぇ。
夜ご飯は久々に私が作った。といってもチキンポテトローストなる出来合いのものを使ったので、やったことと言えばサラダを作ったことぐらい。出来合いのものは味がいまいちやった。チーズの味が変(古くなっているという説もあり!?)。やっぱりおうちで作らないとね。
あとはワインを飲みながらソファでゴロゴロ。すんごく暑いので夕方エアコンを入れたけど、電気代が気になって一時間ほどで切った。扇風機に拭かれてこの暑さを乗り切った。
明日からまた仕事。知ってる限りで4連勤。来週のシフトを把握していないので、もしかしたら5連勤かも。
お仕事があるのはいいことだ(←言い聞かせている)。
明日に備えて寝よ。
朝はゴソゴソとお片付け。
近頃シェフDがキッチンマスターとして頑張ってくれている。お皿洗いもやってくれている。だけどコンロや電子レンジを拭いたりするまでには至らない。他には、例えばお皿等の場所も、私が考え抜いてもっとも効率が良いと思って配置したんだけど、キッチンマスターはあんまりそういうことを気にせず、空いた隙間に詰めていく。前者はともかく、後者については私の自己満足でもあるので、自分の満足いくようにやった。
その合い間にシェフDがおいしいサンドイッチを作ってくれた。人の作るご飯はおいしい。
お昼からは昨日も書いた通り、先日うちの病院で亡くなったおばあさんのお葬式に参列してきた。その人柄を表すように、会場には大勢の人が詰め掛けていた。ギリギリにたどり着いた私たちは一番後ろの席に座り、みんなと一緒におばあさんを見送った。92歳という年齢を考えたらある程度覚悟もあるものだと思うけど、やはりご家族は涙・涙。私ももらい泣き。埋葬までは行かず、式が終わった時にご家族にあいさつだけしておいとましてきた。
あいさつした際「最後はあんたのこと探してたんよ」「来てくれてありがとうね」と娘さん。私もおばあさんに最後のあいさつができたから良かったけど、私の参列がほんの少しご家族の心を癒すのに役立ったようで、行って良かったとあらためて思った。一緒に来てくれたDにも感謝。
ところで。
お式はチャペルで行われた。おばあさんは敬虔なクリスチャンだったらしい。神父さんが祈りを捧げたり、神様の言葉について語ったりするんだけど、あまり故人については語らない。「神様が一緒だから大丈夫」「神様の元へ行くだけだから悲しくない」と主語が“神様”。そこにすごい違和感。仏教のお葬式でもお経はあげるけど、もっと故人との別れを惜しんだりするように思う。確かに時期が来たから天国へ引っ越しただけ、というとそう寂しくないのかもしれないけど、もうちょっと故人について語ってよ、なんて思ったりしていた。これがこの神父さんのやり方なのか、宗教的な違いなのか、そこはわからない。
ついでに言ったら、式が終わって参列者が会場から退出。おばあさんのお友達はおばあさんとおじいさんが多いので、時間がかかっていた。そしたら神父さん、それを待ちきれなかったようで、おもむろに制服らしき被り物を脱いだ。まだ会場内に人がいるのに。被り物を脱いだらそのへんのおっちゃんみたいな服装(ストライプのシャツにチノパン)。神父さんにとったら毎日のようにあるお葬式のひとつなんやろうけど、「せめてもう少し辛抱して故人とその参列者を敬えんのか?」と少しいやな気分になった。細かいこと言い過ぎてるんかな。
ちょっと寄り道をしてから帰宅。夕食まで時間があったので、クリスマスツリーを出した。オーストラリアでは12月1日にツリーを出し、クリスマスから12日後に片付けるという風習(?)があるらしい。去年買ったばかりやけど、早くもツリーの飾りは新調した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/d8/b5cc71034d87138443fdb2f1476f53f1.jpg)
青を基調にシンプルなツリー。
足元にはすでに包んだいくつかのプレゼントを配置。ちょっとはクリスマスらしさを意識して。
といってもこの暑さじゃピンとこんけど。やっぱ寒くないとねぇ。
夜ご飯は久々に私が作った。といってもチキンポテトローストなる出来合いのものを使ったので、やったことと言えばサラダを作ったことぐらい。出来合いのものは味がいまいちやった。チーズの味が変(古くなっているという説もあり!?)。やっぱりおうちで作らないとね。
あとはワインを飲みながらソファでゴロゴロ。すんごく暑いので夕方エアコンを入れたけど、電気代が気になって一時間ほどで切った。扇風機に拭かれてこの暑さを乗り切った。
明日からまた仕事。知ってる限りで4連勤。来週のシフトを把握していないので、もしかしたら5連勤かも。
お仕事があるのはいいことだ(←言い聞かせている)。
明日に備えて寝よ。