先日、開智未来高校の学校説明会へ行った時のこと。
説明会終わりに、開智未来高校の元校長先生で、現在は同校の顧問である関根均先生と、他の塾の先生方数人とお話していた時のことです。
ふとしたことから、「スマートな生き方が主流になる中で、“根性”とか“泥臭さ”とか、そういう言葉が死語になりつつあるよね。」そんな話をしていました。
その時ふと「もしかしたら、これらが二極化の原因なのかも…」と私の脳裏を横切ったことがありましたので、今回はそのときに思ったことについて書いていきたいと思います。
スマートな生き方という考え方は、それはそれで共感できることも多くあります。
複雑に考えることをやめて、シンプルに生きる。
その考え方自体は、私も大いに共感するところがあります。
ただ、この考えを“学びの場”に取り入れてくるとなると、少し様相が異なってくるように思います。
世の中には勉強面においてもスマートな学習で、パッとできる人がいるのも事実です。
反面、ほとんどの人は1回で理解できる・わかるようになるということはなく、
それこそ“根性”や何度も繰り返し学ぶ“泥臭さ”が学びにおいて成長していくためには必要だと言えます。
それにも関わらず、そこにこのスマートな生き方の考え方を勉強面に持ち込んでしまうと、
本来は必要な"根性"や"泥臭い"学習をきちんとせずに、
スマートな学習でいいやとなってしまう人も出てしまうような気がします。
本来は根性や泥臭い学習で乗り越えていかなくてはならない壁をそのままにしてしまうことで、
本当にスマートにできる人との差がどんどん開いていってしまうように思います。
これまでは、なかなかできないのならば、できるようになるまで繰り返し学習する、
という考え方が大切にされてきました。
この考え方があったからこそ、勉強が苦手な人でも、繰り返すことで学力を支えることができたのだと思います。
ところが、もしこのスマートな生き方の考えを学習に持ち込んでしまうと、
スマートな学習でも大丈夫な人とそうでない人の差はますます開くことになり、
結果として二極化が極端になってしまうように思います。
もちろんこれは私の考えであり、何らかのデーターの類があるわけではないのですが、
日々生徒さんと接する立場としては、このような考え方に立つことで、
目の前で進行していく二極化を説明できるような気もします。
実際に生徒さんに定期テストの結果の平均点や順位などを見せてもらうと、
このような理由でかは分かりませんが、二極化はかなり進行しているように思います。
現代は様々な生き方が選べる時代でもあります。
どんな生き方がいいのかは、人によって異なる、それはそれで良いのかなと思います。
ただ、こと学習に関しては、もし成長したいという気持ちがあるのならば、
スマートな生き方という新しい生き方と対極にある"根性"や"泥臭い"学習をしていかなくてはならないように感じます。
生き方も多様化している今は、
どのように学ぶのかも選ぶ時代なのかもしれません。
今を大切にすることはとても大切なことです。
反面、今が未来を作っていくこともまた事実です。
どのような未来を描き、どのような生き方を選ぶのか、
それが学習面においても選択を迫られているように感じます。
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