あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

抑止力

2008-06-09 23:51:50 | 憤る
昨日の事件に対し、法務大臣が死刑制度について語ったようだ。

死刑制度の是非については、正直自分自身の気持ちも揺らぐ。こんな事件があると、やはり死刑も必要なのでは…と思える。けれども、単に死刑にすることが、被害者にとっても、また犯罪の抑止という観点からもいいのだろうか?

犯人は死刑を望んでいたという。最近起きた他の無差別殺傷事件でも、同じように犯人は「死刑になりたかった」という言葉を口にする。その言葉を額面どおりに受け取っていいかという疑問はあるものの、その言葉は死刑制度の根幹を揺るがしているように思えてならない。「死刑になりたい」というのは、「死刑を恐れる」ことが当たり前といったような考えを完全に否定しているからだ。
遺族の方の気持ちはわからないが、犯人に死んでもらいたいと思う気持ちもあると思うが、犯人が死刑になったところで気持ちが治まるものだろうか?

ふと、むかし歴史で習った「ハムラビ法典」を思い出した。「目には目を」というフレーズが印象的だが、抑止というにはそうした刑罰も検討してもいいのではないかと思った。だが、もしかしたらそれは死刑よりも残酷かもしれない。

僕はむしろ死刑廃止論に肯定的な立場だが、終身刑の導入も含め、さまざまな検討が必要だと思う。
難しい問題と逃げられない。そう、裁判員制度の運用は迫っているから。
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不満と不安

2008-06-09 07:35:47 | つれづれ
今朝も空気が重い。外にでるなり、その重い空気に包まれ、不快感が一気に高まる。だが、電車に乗ってしまえは、涼しい空気のなかでしばし落ち着くことができる。

イライラすることはしょっちゅうだが、しばしの我慢で何とかなることがほとんどだし、嫌だと思っている対象は、他の人も嫌だと思っているという「共感」で止まっている。まあ、それでいいわけではないのだが…

昨日、秋葉原で起きた通り魔事件では、7名の方の尊い命が奪われた。犯人がどのような心理状態だったかはわからないが、人の、それも全く関係ない人々の命を奪うという行為は、正当化できるものではない。だが、このような事件は今後頻発するのではないかと、不安に思う。

ではどうすればよいのか。いま僕がしなければならないのは、自分が不満を抱えた時の対処方法を考えておくことだろうか。

亡くなられた方々のご冥福と、怪我をされた方の回復をお祈りします。
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