あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

生きている意味

2007-09-16 22:19:33 | つれづれ
時々思う。自分がこの世にいる意味はあるのか…と。
そして、このまま消えてしまおうかとも。

幸いなことに独り身なので、悲しむ人は少ないだろう。
それに、友だちもほとんどいないに等しい。
家族は一時的に悲しむかもしれないが、家族が理由でないことを残しておけば、生命保険もおりるので生活は何とかなるだろう。だから…

そう考えてみるものの、その先へ進むことはできない。いや、進みたくない。
きっと、僕がここにいる意味はあるのだと思う。今は見えなくても、それはきっとあるはずだ。
生きたいと思いながらも生きられない人がいるから。それも理由にはなるけれど、そんなきれい事(と割り切れないけど…)ではなく、何かここでこの世から去っていくのは悔しい気がする。

ここでこんなことを書いているのも、生きている証を残しているのかもしれない。それと、ここで書いたいろいろなことが誰かの目に留まり、その誰かをほんの少しいい方向に動かす力になっていたら…なんて、それもきれいごとかな?

生きることに執着心を持って、それと、いつまでも何かを表現しようとする心を持ち続けていたい。
コメント (2)
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ワイドスクリーン

2007-09-16 20:24:25 | つれづれ
連休というのに、今日は一歩も外に出られなかった。
昨日、用事があり久しぶりに車を運転したのだが、体調が悪かったのに加え、帰り道を選び間違え、渋滞にはまってしまい、疲れがどっと溜まってしまった。
せめて、映画でも観に行こうと思うけど、「めがね」は来週からだし…

先週末、故黒澤明監督の「天国と地獄」と「生きる」がドラマとしてリメイクされ放映されていた。前者はラスト前少し観ていたが、後者は主演の松本幸四郎さんが映画の志村喬さんとあまりにもかけ離れている感じがして、それはそれで観るものがあったのかもしれないが、あのうるさいユースケ…(長すぎる)が出ているのに嫌気が差して観なかった。
両方の作品とも、20年程前だったかにテレビで放映されたときに観た印象が今も残っている。同時期に放映されていた小津安二郎監督作品は、あの固定カメラのクローズアップがどうも僕には合わない…

さて、たまに寄る邦画サイトで、リメイク版「椿三十郎」が紹介されていた。
この作品と「用心棒」も、同じくテレビで観たが、目が離せない展開と、スリリングな中にコメディ的な要素も加わっていて、娯楽性たっぷりだったと記憶している。
三船敏郎さんと織田裕二さんを比べると、だいぶ違う印象だが、それはそれ、新しい切り口で魅力ある作品になっていれば、ぜひ観に行きたい。

ところで、この作品はワイドスクリーンなのかな? まあ、最近は「70mm」なんてことばをチラシに見かけることもなくなったが、大画面をうまく使った演出を見てみたい気がする。
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