あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

かけら

2008-12-11 18:18:49 | つれづれ
今年もあと半月余りとなった。世界中で景気が落ち込んでいる中で、来年に向けていい話題はほとんどないかと思うと、実はそうでもない。

一人ひとりにはそれぞれ夢があり、その中には世界経済の影響を受けないものもある。いや、ほとんどのものは影響を受けるのだろう。それでも、たとえ考えていたものよりも小さくなってしまっても、そんな夢のかけらを拾い集めて、見えざる手に対抗してやりたい。
今求められるのは、自分のことだけでなく、どれだけ他者を思いやることができるかだ。

太陽ほどではなくとも、月の灯りのように誰かをほんのりと照らしてあげられたらと思いながら、夕闇に浮かんだ月を見上げた。

ジュエリー

2008-12-10 07:49:20 | つれづれ
雨上がりの街には、ひんやりとした空気が漂い、木々、花々には水滴が飾られている。その水滴は、光の当たり具合によってはジュエリーのようにも見えるだろうか。いや、もっとささやかだが暖かみのあるものかもしれない。

先日沿道に見つけた花が大きく開いていた。そこにも水滴はちょっとしたアクセサリーのように彩りを添えていた。

ジュエリーは女性をはじめとする輝かせる。普段は地味な人でも、華やかに変身させる魔法を持っている。女性にジュエリーを贈ったことはなくはないが、たぶんその魔法を使いこなせなかったんだと、今にして思う。まあ、それは今も変わらないか…

雨降らし

2008-12-09 07:00:02 | つれづれ
天気予報に言われるまま、青空の下、傘を持って家を出た。
路地を出て南の空を見ると、薄紅色の下に薄暗い雲が溜まっていた。あの雲を連れてきたのは、きっと雨降らしの小僧なのだろう。ならば、たまには傘をさして付き合ってやろう。たぶん、この傘も杖代わりばかりではつまらないだろうから…

こんなふうに戯れながら過ごせば、独りの冬の寒さも多少和らぐだろうか。

ウチナーへ

2008-12-08 20:48:02 | つれづれ
沖縄には憧れを持っているものの、まだ一度も訪れたことはない。1人で行くのも寂しいのか、1人でないとだめなのかと迷っていることを口実にしているが、要は決断力がないだけだ。

そんな、沖縄への関心を高めるきっかけとなったものの中で大きなものが、坂手洋二さん作、栗山民也さん演出の二つの演劇、『海の沸点』と『ピカドン・キジムナー』だ。
前者は読谷村に住む知花昌一さんをモデルにした作品だ。上演当時、沖縄では米兵による少女への暴行事件をきっかけに、反基地運動が盛んとなっていて、知花さんは反戦地主として、「象のオリ」と呼ばれた米軍の通信施設の敷地の返還要求に取り組んでいた。
遠く離れた地での出来事に憤りを感じていた僕は、この舞台のことを知り急いでチケットを買い求めた。
自分でチケットを買って行った初めての芝居だったが、今でも演劇に関心を持つ原点はここにある。

もう一つ、『ピカドン・キジムナー』を観に行ったのはは、そんな余韻が四年も残っていたからだ。坂手さんの視点と、栗山さんの表現に惹かれたのもある。

この2作と、『沖縄ミルクプラントの最后』の3本をのシナリオを収録した文庫本が出版されると知り、迷わず買い求めた。
特に、実際に劇場に足を運んだ2作を読んでいると、あのときに感じた思いが蘇ってきた。『海の沸点』では、岡本健一さん演じる青年がガジュマルの木に登り、そして消えていくシーンが、そして『ピカドン・キジムナー』では「」キジムナー屋敷と呼ばれる小屋の前の井戸の青い水や、寺島しのぶさんと益岡徹のやりとりが思い出された。

あとがきを読んで、「象のオリ」が壊されたのを初めて知った。あの頃より沖縄への関心は確実に下がっている。亡くなられた筑紫哲也さんのせいにはできないが、いつの間にかそんな視点や関心をを失ってしまったようだ。

だが、この本をきっかけにまた関心が蘇ってきた。海の青さだけでなく、沖縄の悲しみをも共感できる人と、是非訪れてみたいと、改めて思った。そう、一人ではなくね。だって、それはさみしーさー…

出会いと別れ

2008-12-07 22:02:11 | つれづれ
今朝もまた美しい空が見られることを期待して、6時前に家を出た。

10分も経たないうちに、目の前には足下が日差しに染まりかけた澄んだ青い空が広がっていた。昨日一時間以上歩いて探したのは何だったのかと思いつつ、その青を見つめていた。

ドラマ『篤姫』は来週で最終回を迎える。今日は天璋院らが大奥を去る場面が中心だったが、それと共にともに過ごした人々との別れのシーンが続いた。出会いと別れを描いた作品は多いが、この作品に描かれたそれは、とても印象深かった。今朝の朝刊に掲載されていた脚本の田渕久美子さんの言葉を読んで納得した。そして、別れを怖れて出会いを避けてはいけないと、改めて思った。

ハート

2008-12-06 16:29:38 | つれづれ
約束の時間までと、渋谷のNHKスタジオパークで開催されている『NHKハート展』を観に行った。
展示作品は、障害を持った人たちが作った詩に、有名人やプロのデザイナーらが絵などの作品を添えたもので、この展示会のことは数年前に知ったのだが、気がついた頃にはもう終わっているというのを繰り返していた。とは言え、どのくらいの規模だかわからないため、時間つぶしのつもりはなかったものの、そのくらいの時間しかみていなかった。

売店脇のそれほど広くないスペースに飾られた作品は、一つひとつが心に伝わってくる。おとといの『わたしたちができる展』もそうだったが、純粋に作品を味わうことができれば、それでいい気がする。

作品の一つに、イラストレーターの大垣友紀恵さんが描いた絵があった。彼女がイラストレーターになっていたことは先日航空雑誌を立ち読みしていて知ったのだが、あの『マリンジャンボ』のデザインを描いた女の子だ。

展示作品に描かれたたくさんのハートを観ながら、それらと機体に描かれた海の生き物に共通する「生きている感じ」を感じていた。

そして何よりも、彼らの詩がいい。心をさらけ出しているからだろうか。読んでいて涙が溢れてきた。

こちらでは14日まで開催されているので、近くにいらしたらぜひ寄ってみてほしい。

澄んだ空

2008-12-06 08:13:12 | つれづれ
朝、テレビで見た空が美しかったので、散歩しながらそんな空を探すことにした。

目の前に空が広がる場所として真っ先に思い浮かんだのか、坂の上だった。さて南向きで、太陽と面と向かわずに済む坂って、一体どこにあるのだろう。そんな条件を最新鋭のカーナビに打ち込んだら、迷わずに案内してくれるだろうかと余計なことを考えながらある坂に向かった。

富坂に向かう沿道にはビルが立ち並び、微妙にいい場所が微妙に見つからない。目的地に着いても、太陽と雲と建物の位置関係が思っていたのと異なり、ここという場所がなかった。

諦めかけて脇の公園に入ると、その先は階段の上で、目の前にはラクーアのジェットコースターの後ろにいい塩梅で日差しを浴びた雲がかかっていた。

秋は去っていったが、空気の澄んだ冬空が待っている。

後悔

2008-12-06 07:00:01 | つれづれ
昨日は傘を持って行ったものの、結局一度も使わなかった。昼休みに外へ出た時は、ビルの仮囲い幕が強風に煽られて奏でるメロディーを聴きながら、その風の強さを実感していた。そして帰り道、路面に敷き詰められた銀杏の葉を見つめながら、この秋の終わりを感じた。先延ばしにしていた紅葉狩りも諦めよう。

思い立ったが吉日。思った時に行動しなければ、結局後悔だけが残る。だから…

判断

2008-12-05 12:49:54 | つれづれ
物事に白黒はっきりつけたがる人は少なくないが、そんな人に限って大局的な判断を求められると途端に固まってしまったりする。瞬時の判断を求められる時はあるが、大抵は時間は待ってくれる。

朝見た空は、晴れと曇りとがかなりはっきりと分かれていたが、輪郭はぼやけている。

週末に食事に出かけるとしたら。きっとあのぼやけた線上を行きつ戻りつするのだろう。

見えない糸

2008-12-05 06:58:51 | つれづれ
昨夜、少し遠回りして東京駅に向かった。目的は、地下の動輪の広場近くで開催されている『わたしたちが創る展』を観るためだ。

こじんまりとした会場には、知的障害を持った人たちが作った袋物や木彫りの小物などが展示されており、一部を除き販売もされている。気になった作品を手にとって見てみる。職人さんが作る「隙のない美しさはないが、彼らの直向きさが丁寧な仕事として形になっている。

こうした催しを、ついつい上から目線で見てしまいがちな僕は、最初のうちはそんな気持ちで覗いていたが、作品を観ているうちにそんなことは忘れていて、施しでもなく、ただ「欲しいかどうか」という気持ちでバッグと小物入れを買った。

これを作った彼らのことを少し知り、彼らの作品を生活の中で使うことで、見えない糸が繋がっていく。それでいいと思う。

展示は今日までだそうで、近くに寄る機会がある方は訪れてほしい。