平成29年10月31日(火)、萩往還を歩く。萩往還は、江戸時代のはじめに、萩城下町(唐樋札場、からひふだば/萩市)から三田尻(三田尻御茶屋/防府市)までを結ぶ参勤交代の道として整備された、道幅約4m(2間)・全長約53km(12里)の街道である。前夜、唐樋札場近くのホテルに泊まり、唐樋札場跡から山口駅近くまで約32.5km、歴史に思いを馳せ、自然を感じながら歩いた。唐樋札場跡~明木市(距離:約8.5km、所要時間:約3時間)
5時半、夜明け前に唐樋札場跡をスタートした。萩市内を横断し、萩駅後方から山間に入って行った。8時30分、明木市に着いた。
①涙松遺跡
1859年5月25日、安政の大獄で吉田松陰が江戸伝馬町の獄へ送られるとき、「かえらじと おもいさだめし旅なれば 一入(ひとしお)ぬるる涙松かな」と詠った街道松。木々の間に、かすかに指月山が見え、ここで萩城下町とお別れだ。
②悴(かせが)坂一里塚
一里塚は、防長両国の主要道に一里(約4km)おきに築かれ、萩往還には12基が設けられていた。唐樋札場から一里歩いた。だんだん萩往還らしさを感じる山道になってきた。
③大屋刑場跡・栗山考庵女刑腑分之跡
④悴(かせが)坂駕籠建場・茶屋跡
明木市~佐々並市(距離:9km、所要時間:3時間30分)
萩往還の難所の一つ標高差300mの一升谷の石畳を、せせらぎを聞きながら登っていく。約50m先に、道を横切る小熊 急いで熊除けの鈴を出して、大きく鳴らした。小熊の周りには親熊もいる
ちょうど、ルートマップに熊の出没が注意喚起されている場所だった。12時、佐々並市に着き、道の駅で昼食を取った。
佐々並市~防長国境(距離:7.5km、所要期間:約2時間)
山の日暮れは早い。休憩もそこそこに12時半、長門・周防の国境、萩往還最大の難所である板堂峠に向かう。15時、峠に到着した。20km近く歩いて、さすがにスピードが落ちてきた。
防長国境~山口客館跡(距離:7.5km、所要時間:約2時間30分)
膝が笑い、両足の裏に水ぶくれ。わらじでは足にもっと堪えただろう。一の坂四十二の曲がりはカニ歩きで下った。
①キンチヂミの清水
男ばかりが飲んだわけでもあるまいに 確かに冷たかった
②六軒茶屋跡
③四十二の曲がり
18時頃、山口客館跡に着いた。約64,000歩。吉田松陰なら三田尻まで行っていた時刻だ。司馬遼太郎著「世に棲む日日」によれば、『萩から三田尻までの道のりは50キロで、途中みぞれのような雨がふりつづき、道のわるさに難渋したが、…、ざっと13時間でこの南下行程を終わり、…雨の中で潮のにおいを嗅いだ。三田尻のまちである』(1853年1月26日、米国ペリー艦隊が浦賀に来航する5か月前)
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