先日、「怖い絵」という本を読んだ。この本の内容自体は全く怖くはないのだが、それは人目を引くタイトルで売上を狙う出版社のマーケティングの所為もあるだろうし、そのタイトルに応えるだけの筆力が筆者になかった所為もあるのだろう。
ところで、この本に収載されている絵画作品のなかに、ロンドンで実物を観ることができるものがいくつかある。たまたま、そのひとつBronzino作”An Allegory with Venus and Cupid”(「愛の寓意」)がナショナル・ギャラリーのPainting of the Monthに取り上げられている。
この作品は、タイトルが示す通りヴィーナスとキューピッドを中心とした構図である。つまり母子像だ。ところが、何の予備知識も持たずにこの絵を見て、母子像だと思う人はいないのではなかろうか。神話の世界をモチーフにしているので、全裸であることは仕方がないとしても、母子の絡みが異様に艶かしい。息子が母の乳房に手を置き、その乳首を指の間にはさんでいる。ふたりは唇をあわせているが、その口元をよく観ると、ヴィーナスの半開きの口から舌が覗いている。キューピッドの眼は冷静だが、ヴィーナスのそれは瞳孔が開き、視線が定まっていない。彼女の頬は紅く染まり、耳は真っ赤である。身体は今にも崩れ落ちそうな体勢にも見える。このままいくと、ふたりは身体をあわせかねない雰囲気なのである。
この作品が描かれたのは1545年頃とされている。メディチ家からフランス国王フランソワ1世へ贈られたものだそうだ。当時流行していた寓意画では、画家が難解な寓意を考案し、鑑賞者がその解読に挑戦するという知的遊戯が行われていた。その解読は、解説書や美術書に譲るとして、この作品の前に立ってみる。
結局、これは寓意画に仕立てた春画のようなものではなかったのか。贈り主、贈り先の社会的地位から、もっともらしい解釈がつけられているが、実はそれほど高尚な作品ではないような気がするのである。
ところで、この本に収載されている絵画作品のなかに、ロンドンで実物を観ることができるものがいくつかある。たまたま、そのひとつBronzino作”An Allegory with Venus and Cupid”(「愛の寓意」)がナショナル・ギャラリーのPainting of the Monthに取り上げられている。
この作品は、タイトルが示す通りヴィーナスとキューピッドを中心とした構図である。つまり母子像だ。ところが、何の予備知識も持たずにこの絵を見て、母子像だと思う人はいないのではなかろうか。神話の世界をモチーフにしているので、全裸であることは仕方がないとしても、母子の絡みが異様に艶かしい。息子が母の乳房に手を置き、その乳首を指の間にはさんでいる。ふたりは唇をあわせているが、その口元をよく観ると、ヴィーナスの半開きの口から舌が覗いている。キューピッドの眼は冷静だが、ヴィーナスのそれは瞳孔が開き、視線が定まっていない。彼女の頬は紅く染まり、耳は真っ赤である。身体は今にも崩れ落ちそうな体勢にも見える。このままいくと、ふたりは身体をあわせかねない雰囲気なのである。
この作品が描かれたのは1545年頃とされている。メディチ家からフランス国王フランソワ1世へ贈られたものだそうだ。当時流行していた寓意画では、画家が難解な寓意を考案し、鑑賞者がその解読に挑戦するという知的遊戯が行われていた。その解読は、解説書や美術書に譲るとして、この作品の前に立ってみる。
結局、これは寓意画に仕立てた春画のようなものではなかったのか。贈り主、贈り先の社会的地位から、もっともらしい解釈がつけられているが、実はそれほど高尚な作品ではないような気がするのである。