熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「平穏」(原題:Spokoj)

2009年07月11日 | Weblog
平穏な生活とはどのようなものなのだろうか。家族がいて、仕事があって、特別なことはないけれど、穏やかに毎日が過ぎて行く、ということだろうか。そんなことは簡単なことではないかと思える人は、今、世界中にどれほどいるのだろうか。この作品の主人公の願いは、平穏な生活を手に入れること。妻がいて、子供がいて、自分の家がある生活が、夢なのだという。

主人公は傷害事件で3年ほど服役した後、建設工事現場で働くようになった労働者だ。仲間とも親方とも良好な関係を構築しているかのように見える。妻となる女性とも巡り会い、結婚して、子供も生まれることになった。持ち家以外は自分の夢が叶ったことになる。

ところが、そんな順風満帆であるかのようなときに、彼が働いている工事現場で建設資材が盗まれるという事件が起る。盗難の責任を負って、現場労働者の賃金削減が決まったことから、俄に労使紛争が起る。盗難事件も労使紛争も主人公にとってはどうにもしようのないことなのだが、前科者である自分を雇ってくれた親方にも、一緒に働く仲間にも恩義を感じているので、その板挟みになって平穏な生活が手の届かぬところへ消えてしまう。

ところで、平穏な生活とは容易に手にすることができるものなのだろうか。「平穏」の中身は人によって様々だろう。少なくとも、私にとっては、平穏などあり得ないと思っている。確かに、日々の生活に何不自由無く暮らしているという点では平穏だ。しかし、それは結果であって、これからさきも平穏であり続ける保証はどこにもない。そもそも在るのか無いのかわからない将来を思い煩っても仕方の無いことだ。ましてや、この作品が製作されたのは1970年代のポーランドである。彼の地を訪れた経験がないので、想像の域を出ないが、民主化以前で表現の自由はもとより、日常生活においても有形無形の不自由が多かったのではないだろうか。思うに任せぬ毎日のなかで平穏たることは人々にとっての理想であったのかもしれない。

今、ポーランドはEUにも加盟しており、欧州の多くの国々と入国審査無しで自由に往来できる。この作品の時代とは状況が大きく変化していると思われるが、果たして平穏は今でも夢だろうか。