今年は高尾山薬王院有喜寺へお参りした。電車で高尾山口駅まで行って、リフトで462m地点まで登る。高尾山には小学生の頃の遠足をはじめとして何度か来ているが、リフトに乗るのは初めてだ。加齢で身体がヤワになっているので無理はしないのである。高尾山を訪れたのは子供が小学3年生の頃以来なので、10年ぶりくらいになるのだろうか。細かな記憶は勿論飛んでしまっているが、山道を歩いていて大きく変化したという印象は無い。尤も、単に自分がぼんやりしてこの10年を過ごしてきたというだけのことなのかもしれない。
薬王院は改めて眺めると立派な寺院である。これまでは、登山の途中で通過するだけだったが、今回は初詣なので、境内のお堂やお社をひとつひとつ参拝する。薬王院の開山は天平16年だそうで、当初は薬師如来がご本尊だったことが寺の名前の由来でもあるという。今は山伏とか天狗がここのブランドイメージという印象がある。天狗のほうは高尾山に古来住むと伝えられており、天狗社が境内にあり、お札やお守りではそれらが同じ窓口で授与されている。天狗社以外にも、境内には天狗の像がある。
日本の古い寺院はそもそも仏も神も渾然一体となって祀られていて賑やかだ。そもそもあの世のことなど誰もわからないのだから、妙に堅苦しく形式に走るよりは大らかにそれぞれの信心を尊重し合えばよいのである。わかりもしないことをさもわかったかのように決めつけると物事に角が立つ。信心に限らず、人と人との諍いは世界観の対立でもある。絶対の無いところに絶対を想定するからややこしいことになる。わからないことは素直にわからないと認め合うだけで、世の中はどれほど暮らしやすくなるだろうか。
今回は本社裏手にある弁天洞にもお参りした。これは洞窟で、その中に弁財天が祀られている。長いこと荒廃していたらしいが、1926年に再興されたそうだ。しかし、2004年に洞窟が崩落し、現在は本来の洞窟よりかなり短くなっている。それでも、十分に洞窟感がある。
薬王院の奥の院まで詣でれば、高尾山山頂はあと一息である。せっかくなので山頂まで足を延ばす。山頂にはお掃除小僧の像があった。これも初対面のような気がする。自分も毎日家の掃除をしてから勤めに出ているので、お掃除小僧には妙に親しみを感じた。
下山してから蕎麦屋で昼食を頂き、家路に就いた。何をしたわけでもないのだが、寺社に詣でると妙に気持ちが良い。