熊本熊的日常

日常生活についての雑記

冬至弁当

2016年12月21日 | Weblog

冬至である。七十二候の第六十四候、乃東生(なつかれくさしょうず)の頃でもある。昼が一番短いというか夜が長いというか、そういう日だ。今日を境に明るい時間が少しずつ増えていく。サイクルとして陰から陽に転じる、イメージを感じさせる。それで世界のあちこちで冬至近辺にはお祭りのような行事がある。身近なところでは柚子湯に浸かるとか、南瓜を食べるというようなことをする。クリスマスも冬至祭と無関係ではないだろうし、正月も時代を遡れば今時分であったのではないだろうか。

旧暦は冬至を起点とし、冬至月には十二支の子月(しげつ・ねのつき)を当てている。ややこしいのは旧暦の月名のほかに和風月名というのがある。旧暦の月名では、冬至月を起点に子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥となり、起点とはいいながらも数字では冬至月は旧暦11月だ。となると、旧暦2月が卯月となる。新暦において「卯月」といえば4月のことだが、こちらの「卯月」は和風月名。和歌や俳句の季語においても混乱があるようだが、季節の移ろいに合っているのは旧暦であるような気がする。

明るくなるのはめでたい、めでたいことにはあやかりたい、というわけで冬至に合わせてお札を出す神社仏閣もある。東京で有名なのは早稲田の穴八幡で、「一陽来復」と書かれたお札が頒布される。一般に神社のお札は白い紙を折り畳んだものだが、ここの「一陽来復」は円筒形だ。なぜ平面ではなく立体なのかといえば、お札に金柑の種、銀杏、柚子の皮が収められているからだ。金柑、銀杏、柚子で「きんぎんゆず」、つまり「金銀融通」という言葉遊びのようなものだ。ありがたいのか、馬鹿にされているのか、よくわからないが世間では穴八幡といえば商売繁盛・金運向上のご利益があるとされているところなので、ありがたく所定の位置にお祀りしておいたほうがよいだろう。穴八幡のとなりにある放生寺のお札「一陽来福」も同様だ。

ちなみに、穴八幡の「一陽来復」に添付の説明書の最後のほうに以下の記述がある。
「この御守は江戸時代の元禄年間から行われた穴八幡宮だけに傳来する長い傳統のある特別の御守であります。近年附近の寺社等で類似のお守を出して居る様ですが、当社とは全く関係ありません。御参詣の方は間違のない様穴八幡宮の御社殿でお受け下さい。」

穴八幡と放生寺とを訪れてみればわかるが、同じ敷地内だ。江戸時代の地図を見れば「穴八幡」「別當 放生寺」と並んで記載されている。放生寺は穴八幡の別当寺だったのである。神仏習合、本地垂迹説では八幡神と阿弥陀如来は同じものだ。 つまり、穴八幡と放生寺はイケイケだったのである。自分のところの御守の由来を説明するのは結構だが、「近年附近の寺社等で類似のお守を出して居る様ですが、当社とは全く関係ありません。」の一文は余計ではないか。神や仏の世界くらいはおおらかであって欲しい。

さて、そういうわけで、本日の私の弁当には金柑の甘露煮、銀杏を混ぜたかやくご飯、柚子の皮のスライスを混ぜた野菜の酢漬け、というように「金銀融通」が盛り込まれている。他に、鶏つくね、南瓜の煮物、胡瓜の漬物、キヌサヤが入っていた。