熊本熊的日常

日常生活についての雑記

8時丁度の

2016年12月24日 | Weblog

「8時ちょうどのぉ あずさ2号ぉでぇ わたしはわたしは あなたから …」という歌があったが、8時ちょうどに八王子を発車する八高線に乗った。八王子駅を利用するのも八高線に乗るのも初めてなのだが、思いの外利用客が多く駅周辺や構内の人の動きが活発であることに驚いた。尤も、往来の人々の多くが学生だ。自分の職場が休みなので土曜は休日と思いがちだが、今日はただの土曜日だ。

本日のお題は金鑚神社に参拝することと、八高線で八王子から高崎まで行くことだ。「芸術新潮」の8月号に「神社100選」という特集記事があり、そのなかに埼玉県から2つの神社が選ばれていた。ひとつが大宮の氷川神社であり、もうひとつが金鑚神社だった。生まれてから25歳までと27歳から30歳までを埼玉県内で暮らした身としては、県内有数の神社くらいは知っておいたほうがいいかもしれない、と思ったのと、先月にたまたま氷川神社のほうを訪れたので、せっかくだから二社ともお参りしておこうと思ったのと、冬至を過ぎた直後で自然の循環の節目をお祝いしておこうと思ったことなどから今回の参拝を考えた。要するに、なんとなく行ってみようかな、と思っただけだ。

「芸術新潮」の記事だが、「仏塔のある神社2」として奈良の談山神社と兵庫の名草神社とともに紹介されていた。仏塔はそもそもは近所の天台宗金鑚山一乗院(大光普照寺)のもので神仏習合の名残である。仏塔はこの地の領主であった安保全隆が天文3年(1534年)に建立・寄進したものだそうだ。仏塔は残ったが安保氏は歴史から消えてしまった。今でこそ有名な戦国大名やその後の大名、財閥など諸々あるが、悉く成り上がりであることはちょっと調べればすぐにわかる。成り上がるということは成り下がることも当然に起こるということでもある。それで、金鑚神社だが、本殿はなく御神体である御室ケ嶽一帯を直に拝む祭祀形態である。山を直接拝む形式の神社はここの他には奈良の大神神社と長野の諏訪大社の上社だけだそうだ。大神神社がある奈良県桜井市のあたりは古代日本の中心地であったところで、神社という形態が成立する以前から国家祭祀が行われていたと見られる歴史的にはきらびやかな土地である。諏訪大社は御柱祭で有名だが、記紀に登場する土地である。奈良や諏訪に比べると地味な印象は免れないが、そう思って見る所為か、何かが違う土地であるように感じられる。何がどうということは説明できないのだが、なんか変だぞ、と感じるのである。

さて、八高線のほうだが、その名が示すように八王子と高崎を結んでいる。開業は1931年、全通は1934年。比較的新しい路線という印象だ。東京から高崎へ向かう、あるいは高崎から上京する場合、高崎線を利用するのが一般的ではないかと思うのである。八王子と高崎を結ぶ需要というものが何だったのか、素朴に興味があった。実際に乗車して何がわかるというわけでもないのだが、わからないということがわかるというのも物事の整理には必要なことだと思う。

本日の移動経路は以下の通りである。京王線沿線の自宅を起点に時計回りで移動した。移動の中に八高線というローカル線と新幹線を入れてみた。

0800発 八王子 877E 八高線
0854着 高麗川
0907発              233D 八高線
1020着 丹荘
1025発 丹荘駅前 カミカワタクシー
1035着 金鑚神社

1210発 金鑚山大光普照寺 徒歩
1310着 台湾料理 吉祥
1330発
1335着 丹荘
1407発             239D 八高線
1427着 高崎

1538発 高崎     326C Maxとき326号
1602着 大宮
1608発             1638K 埼京線 各駅停車
1652着 新宿