熊本熊的日常

日常生活についての雑記

元を辿る

2019年10月06日 | Weblog

葛城というところには、その昔、鴨とよばれる部族が住んでいたそうだ。

のちに山背(城)に移って賀茂と書くようになるが、もとはその字のごとく鴨をはじめとして鳥類を捕らえることを生業としたもので、やはり狩猟民であったと思われる。(宮本常一『日本文化の形成』26頁)

御所に鴨都波神社がある。全国の賀茂(鴨)社の根源だそうだ。このあたり一帯は鴨都波遺跡という弥生中期の遺跡で鴨族の農耕生活の跡とされる。もとは狩猟民であったのが、農耕も営むようになったということらしい。