初めて気仙沼を訪れる。東京から新幹線で一ノ関へ、そこから大船渡線で気仙沼まで約4時間。気仙沼を訪れたのは、特に理由はないのだが、ここの会社が扱っている海産物加工品をときどき食べているので、どのような土地なのか素朴な好奇心から訪れた。
震災から8年4か月。気仙沼駅に着いたとき、線路を覆うように整備されたBRT用の道路に目が行く。形の上では鉄道だが、実体は廃線してバス路線に転換したということだ。気仙沼は大船渡線と気仙沼線の分岐点でもあるが、どちらも気仙沼以東はBRTになった。駅までは宿泊する宿に送迎をお願いしておいた。駅前の風景はもはや震災を思わせるものはない。しかし、宿のある港のほうへ進むと港周辺はいまだに工事中の道路と更地が広がっている。ネットの動画で見た津波の映像も衝撃的だったが、8年を経て更地のままの港周辺の風景も別の意味で衝撃的だ。
まだチェックインのできる時間ではなかったので、とりあえず荷物を宿に預かってもらい、お昼ご飯を食べにいく。今日の昼は、その海産物加工品を扱っている会社が経営しているレストランで食べることに決めていた。満席であったが、ちょうど会計を済ませて店を出た人と入れ違いになったので、5分ほど待っただけで席につくことができた。煮魚と御造りの定食をいただく。煮魚はメカジキ。ここの港の代表的な魚だ。食後に甘味をいただく。店の人が、「ここの80歳のおばあちゃんが作ったアズキです」と説明してくれて、「おぉぉ」と思う、が、次の瞬間、自分たちは1週間おきに実家に顔を出して82歳の母が作る料理を食べていることを思い出す。
80代といえば、このレストランの隣に手編みのセーターをオーダーで作る店がある。毛糸を取る羊の飼育状況からこだわって、もちろんその毛糸にもこだわって、店に登録している80数名の編み手さんたちが一着一着手編みで作るセーターを販売している。物によっては2年待ちだそうだ。品質もさることながら、毛糸からこだわったとか編み手の想いとかこの店の設立のいきさつといった、セーターにまつわるストーリーに値打ちがあるのだろう。レストランもセーターの店も林に埋もれているような上品な建物だ。どちらも京都の三角屋という建築事務所が手掛けたものである。
腹ごしらえを終えて、街を歩いてみる。まずは五十鈴神社にご挨拶。初めての土地を訪れたときはなるべくその土地の大きな神社に参拝する。気仙沼はここでいいのかどうなのか知らないが、すぐに目についたのも何かの縁だと思う。その前に、明日はレンタカーを予約してあり、その店舗の場所を確認するべく海に沿った道路を南下。魚市場や海の市がある区画を通りかかったので海の市を覗いてみる。お昼ご飯をいただいたばかりで腹が膨れている所為か、特に目を引かれるようなものもなく、そのままレンタカーの店舗を目指す。公民館を過ぎたあたりでレンタカーの看板が目に入ったので、そこから方向を変えて神社を目指す。
ここまでは海沿いだったが、宿やお昼をいただいたレストランのある高台の内陸側の道を行く。すぐに一階部分がゴミで埋まったままの建物の前に出る。建物とか土地の所有者がどうにかなってしまい、手が付けられないのだろう。復興作業のなかで土木とか建築といった物理的な作業自体はそれほどのことでもないだろうが、権利義務の確定というのは、殊に当事者が亡くなって権利の主体がわからなくなってしまうとどうにもならなくなってしまう。何年か前に東電に勤務していた大学時代の友人に誘われて福島原発周辺を訪れたとき、彼が語っていたのは復興作業のそういう難しさであったことを思い出した。
海に面したところは津波の被害の大きなところでもある。かつてフェリーの発着所のあったあたりは更地が広がり、そのなかに点々と真新しい建物がある。このあたりは「風待ち地区」と呼ばれる地域で、個性ある建物が並んでいたらしい。そのなかで登録文化財の指定を受けていたものが真っ先に再建されているようだ。それで点々なのである。店舗についてはもちろん内部を拝見できないことはないが、冷やかしで入るのも憚られるので、外から拝見するだけだ。ただ三事堂ささ木は店舗に併設されている蔵がギャラリーになっているようなのでお邪魔させていただいた。ギャラリーのほうは備前が並んでいた。店舗のほうは日用使いの陶器が中心だ。店の方と話をするなかで、当然に震災や津波の被害が話題になり、その流れで「裏のほうもご覧になりますか?」と尋ねられる。「え、よろしいんですか?」と言いながらも嬉しさが隠せない。他所の人のお宅などそう簡単に拝見できる機会などない。拝見したのは店に通じる出入口を抜けてすぐ裏手の居間のような部屋だ。印象的なのは高い天井と大きな神棚。商店や作業場に神棚があるのは当然だが、「地元の方からもよく言われる」というくらいに立派なものだ。一般的な家屋の天井くらいの高さのところに細長い光取りの窓が並ぶ。その光取りの窓の少し下の壁が上下で色が分かれていて、上より下が白っぽい。その白っぽいところが津波に洗われた跡だ。「洗濯機の中のように水が渦巻いた」そうだ。それにしても古い木造家屋の柱や梁は頬ずりをしたくなるくらい美しい。このお宅は水に浸かったところも、使えるところはそのまま残して修復したという。気の肌や質感も美しいが、たとえば戸に嵌っているガラスの周囲の装飾であるとか桟の模様であるとか、大正昭和の大工や施主のほうが今よりも余程モダンな感覚だったと思う。
五十鈴神社は海に飛び出した突起のような地形の上にある。あるいは島だったのかもしれない。そこだけが森のようになっていて、いかにもの場所だ。この後、紫神社にも参拝したが、こちらも高いところにある。この紫神社の足元に南町紫神社前商店という複数の商店が入居する建物がある。中庭があり、ちょうどそこでアカペラのコンサートが行われていた。ここから更地の区画を挟んで、かつてのフェリー乗り場に面したところにまち・ひと・しごと交流プラザがあり、そのなかにカフェや遊覧船の切符売り場などもある。まだまだ更地が多いところだ。たいした距離ではないのだが、宿の周りをぐるっと歩いてきて、一服したいところでもあったので、カフェでひとやすみ。店内は子連れの比較的若い女性客が多い。子供がたくさんいる風景というのは今どき本当にほっとする。まして、ここにいる子供たちは一見したところ震災後に生まれた年頃なので、なおさらほっとする。
宿に戻ってチェックインを済ませ、午後6時に夕食。地元の酒も料理もたいへん美味しくいただいた。
本日歩いた地域:柏崎、港町、河原田、南町、魚町
本日訪れた店、場所など:鼎・斉吉、メモリーズ、海の市、風待ち地区建物群(千田家住宅、角星店舗、武山米店店舗、三事堂ささ木店舗及び住宅、他)、五十鈴神社・猪狩神社、紫神社、K-Port