goo blog サービス終了のお知らせ 

熊本熊的日常

日常生活についての雑記

終日、雨が酷くて

2010年09月23日 | Weblog
雨が降るのは珍しくないが、終日降り続けるというのは滅多にあることではない。そういう時には家のなかで過ごすに限る。

現在の住処で暮らし始めて1年8ヶ月。30㎡の空間を出来るだけシンプルに使うことを心がけてきた。時々に話題にしている通り、日々の食材については生協の宅配を調達先として一本化し、朝食用のパンだけは勤務先近くの神戸屋とか成城石井で扱っているベッケライサトーのパンを買っている。米と肉は実家から調達。生鮮品は1週間以内に消費できる分しか発注せず、冷凍品は必要最小限にとどめているので、余計な在庫が無い。衣類は傷みがひどいものに限って買い換えるようにしているので、これも余計なものが無い。但し、以前はトレッキングに出かけることがあったが、ここ数年はすっかりご無沙汰なのでトレッキング用品は不良在庫化している。尤も、これはそれほど大きな問題ではない。最近気になり始めているのが本とDVDとCDだ。読み終わった本はアマゾンのサイトで売りに出すか、子供に譲っているので、まだそれほど邪魔にはなっていないが、そろそろ本棚のやり繰りに工夫が要求されるようになってきた。

本は、読み終わった後どうするかが問題だ。再読する本はそれほど無い。それなのに手許に置いておきたいと思うものがある。特に美術展の図録とか写真集とか美術雑誌のような大型本が厄介だ。雑誌はちゃんと読むのだが、他は殆ど開くことがない。今日のように時間の空白が生じたときなどに、手にとってぱらぱらとめくると、今度はその手が止まらなくなってしまう。それはそれで厄介なことである。日々の暮らしのなかで片付けておいたほうが好ましい雑多なことがあるので、ぼんやり本や写真を眺めている場合でもないのだが、こういう時間はとても愉快だ。

今日、手にしたもののなかでは2006年に世田谷美術館で開催された「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」の図録が面白かった。世田谷で現在開催中のヴィンタートゥール展を観てきたことを19日付のこのブログに書いたが、そのメインの作品のひとつであるルソーの「赤ん坊のお祝い」との対比で小出樽重の「子供立像」と「ラッパを持てる少年」を掲げている。実際に小出は好きな作家のひとりにルソーを挙げており、自分の息子を描いたこれらの作品にルソーの幼児像の雰囲気を重ねるのは面白い見方だと感心した。他にも、ブリヂストン美術館にあるルソーの「牧場」が、もとは土田麦僊が渡欧した折に買い求めたものだということが書いてあったり、土田と共に渡欧した小野竹喬もルソーの作品を購入しているとか、植田正治がルソーを意識して撮影したという作品があるとか、ついつい引き込まれてしまうようなことがいくらもあった。

写真集ではマグナムの「IN OUR TIME」が面白い。やはりヴィンタートゥール展に出品されていたジャコメッティ(子)の作品と関連するのだが、ブレッソンの作品にアトリエでのジャコメッティを撮影したものがある。ブレッソンの作品は、その構図が幾何学的で美しく、しかも偶然そういう構図になった瞬間を巧みにとらえているとことに感心する。ブレッソンには被写体との信頼感のようなものも溢れている。モデルやタレントでもないかぎり、カメラを向けられれば人は緊張するものだろう。それでもブレッソンが写したポートレートは、どの人も素を晒しているような雰囲気がある。それはカメラを構えている側と写される側との間に、たとえ瞬間的であるとしても、信頼関係が確立されているということだろう。そうした諸々にブレッソンの魅力があり、私は彼の作品が好きだ。彼が自分の作品を語るドキュメンタリー映画「瞬間の記憶(原題:HENRI CARTIER-BRESSON BIOGRAPHIE D’UN REGARD)」は映画館でも観たし、DVDも持っている。

ほかにもいくつかの本や写真集などを眺めたり、家事をしながら志ん生の落語を聴いているうちに、あっという間に1日が過ぎてしまった。雨がひどくて家にいるときも、それはそれとして愉しい。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。