万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

SNSが隠れた国民監視システムになる時

2017年12月05日 15時58分32秒 | 社会
先日、日経新聞の朝刊一面に、SNSで収集された個人情報が企業の採用に影響を与えかねないとする記事が掲載されておりました。ビッグテータの解析技術の向上は、便利なコミュニケーション手段であるSNSを国民監視システムに転じさせる可能性を秘めております。

 この傾向は、共産党一党独裁を敷く中国において顕著であり、SNSは当局の厳格な監視下にあります。反政府的な発言はチェックされ、“危険分子”として取締りの対象となるのです。全体主義国家における国民統制手段としてSNSの監視に対して自由主義諸国は批判的ですが、上記の記事は、対岸の火事として見過ごすことができないリスクが自由主義国にも迫っていることを示唆しております。何故ならば、政府に限らず、民間の一般企業が国民の交友関係、思想傾向、行動範囲、人柄まで全て把握できるからです。

 同記事では、フェースブックにおける“友達”や“いいね”の数を採用基準とする企業の問題点を扱っていましたが、考えてもみますと、個々人の生活や活動の内容が全て外部に情報として送信されてしまう社会は不気味と言えば不気味です。政府による個人情報保護政策によって国民の間では相互の情報が遮断される一方で、SNSのネットワークを用いて情報収集ができる立場にある通信関連の企業のみが、一方的に他の大多数の人々の個人情報を、通信サービスの名目で入手できるのです(著しい情報格差の発生…)。“情報を制する者が世界を制する”とする格言が正しければ、最強となるのは、情報の収集やその利用が可能な政府や一部の事業者と言うことになりましょう。

 しかも、企業の採用時におけるSNSデータの利用方法は、“数”の多さを以って人の価値を図るというものです。このため、就職を望む人々の中には、同記事が指摘するように、“数”を求めて、‘偽の友達’や“いいね”を偽造する不届き者や請負業者が現れるのですが、就職目的の“友達”登録が増加し、しかも、それを外部の他者が常時ウォッチしているとなりますと、人間関係は殺伐としたものとなりましょうし、真の友情を育むことも難しくなります。また、適性や能力があっても内向的な人は低評価となり、就職の機会を逸してしまうかもしれません。外部に監視者が潜んでいるならば、本音で話し合うこともなくなり、凡そ全ての人々が”二重人格者”となるかもしれないのです。これは、静かなる精神の破壊に他なりません。

 こうしたSNSのリスクに気付いてその使用を止めると、今度は、就職等に不利となるのですから、この仕組みは巧妙です。使用自体は個人の自由意思に基づきますが、使用者が増加し、企業といった組織が活用したり、公式の制度に組み込むようになりますと、そこから抜け出ることが困難となるのです。つまり、SNSとは、使用者に対しては時代の先端とするイメージを埋め込みつつ、不使用の選択者に対して不利益を与えることで、張り巡らした監視網に人々を追い込むシステムなのかもしれないのです。

 フェースブックの創設者であるマーク・ザッカ―バーグ氏は、中国の習近平国家主席とも懇意であり、中国国内の情報監視システムにも協力的であると伝わります。同氏は、SNSの手法を開発したインターネット時代のヒーローの観がありますが、最近では、その真の姿はアンチ・ヒーローであるダース・ベイダーであったのではないかとする指摘もあるそうです。SNSが、温かな人間らしい社会を破壊して息苦しい空気をもたらし、監視社会に導くとしますと、一般の人々こそSNSの事業者やデータ利用者等をチェックする、あるいは、距離を置くことで、自由を取り戻すべきではないかと思うのです。

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コメント (2)
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