万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

平和への脅威を平和の名の下で引き込んだ平昌オリンピック

2018年02月10日 15時46分06秒 | 国際政治
北高官団、文大統領と会談…正恩氏の親書伝達か
 昨日開幕した平昌オリンピック・パラリンピックは、朝鮮半島情勢を背景に各国の駆け引きが繰り広げられる政治アリーナの様相を呈しているかのようです。メディアは、特に開会式に出席した各国要人の動きを追っており、その模様は、まさしく今日の国際情勢を映し出しております。

 オリンピックには、‘政治色を一切持ち込まない’とするのが伝統的モットーとされてきましたが、平昌オリンピックほど政治色の強い大会は過去には見当たりません。何故、こうした本末転倒の事態が発生したのか、その理由を探ってみますと、オリンピック精神として掲げられてきた“政治色の排除”が、逆に政治色を持ち込む口実として利用されたからのように思えます。

 目下、核・ミサイル開発問題をめぐり北朝鮮は国際レベルでの制裁を科されており、いわば、平和に対する脅威として認識されています。本来であれば、国際社会が一致団結して対北制裁網を強化すべき状況にあり、韓国を含め如何なる国も、国連憲章において制裁に協力する義務を負っているはずなのです。ところが、北朝鮮と民族、あるいは、イデオロギーを同じくする韓国の文在寅大統領は、この問題を、朝鮮戦争の延長においてのみ捉え、“排除すべき政治色”を“南北間の対立”に矮小化してしまいました。文大統領は、オリンピックを平和の祭典とするには、南北の融和こそが重要であると訴えることで、“平和への脅威”を“平和の実現”に巧妙にすり替えてしまったのです。言い換えますと、排除すべき平和に対する脅威を、平和の名の下で引き込んでしまったのです。

 IOCのバッハ会長も、開会式において二羽の鳥が融合してゆく演出を取り上げ(仮に、この演出が当初から計画されていたならば、北朝鮮の参加は織り込み済みであったのでは…)、南北の融和をオリンピック精神の発現として称賛しておりましたが、果たして、“平壌オリンピック”と揶揄されているように、北朝鮮主導ともされる南北融和の政治的舞台となった平昌オリンピックは、真に平和を実現しているのでしょうか。少なくとも現実の国際情勢に対しては、日米と朝鮮半島両国との間の距離をさらに広げ、朝鮮半島情勢をさらに不安定化したのではないかと思うのです。

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